外道と延命樹

仏教説話

外道と延命樹

過去に仏が世に出現し、菩提樹の下(もと)に座して等正覚(正しい悟り)を得られた。

その時に一人の外道がいて、邪倒の見を信じて三宝を毀謗した。この外道には一人の男子がいたがたちまちに鬼人に打ち殺された。

 外道は、

「自分は邪見が強く諸仏にどういった神力があるのか判らないけれども、仏は既に菩提樹の下で等正覚を成じたのだから、もし真に仏が聖ならば樹もまさに感があるはずだ」

と思慮し、亡き子を菩提樹の下に横たえて、

「仏樹もし聖ならば我が子必ず蘇らん」

と念じ、七日をへてその仏名(ほとけのみな)を誦すると、その子は蘇ることがてきた。

 外道はこの奇瑞を見て、

「諸仏の神力を私は今まで見たこともなかったが、このたび仏成道の樹は希奇を視じた。仏の威徳は甚大で思議することが不可能だ」と讃じた。ために多くの外道も皆、捨邪帰正して菩提心を発(おこ)し、仏力の不可思議なることを信じた。

 人々はこの菩提樹を延命樹と呼んだのである。

 数珠の品位には上下の階級がある。鉄よりも銅が勝れ、銅よりは珊瑚が勝れ、更に瑪瑙、木樓子、蓮子、水精等とつづき、最も良いのは右記の伝説によるのである。

 一般には念珠の品位が即功徳の順序とされているが、『校量功徳経』には「数珠の品位」と記され、また日寛上人も

「清浄の浅深に約するか」

と述べられ、数珠の功徳のランクづけを否定されている。鉄の数珠は功徳が少なく、菩提子の数珠は功徳が多いというのでは、信心の強弱を差し置いて持ち物に執われて、最終的に信心を失ってしまうことになろう。

『校量功徳経』には「念珠を頭上に置くと無間の業を脱し、うなじに懸けると父母・師匠の苦を救い、肘の上に掛ければ妄語、賊論等の過ちを除き、一切の妄想悪念の咎(とが)から離れることができる」と説かれている。

 数珠は常に所持していなければならないものである。

(歴代法主全書八巻)

(高橋粛道)