婿と米

仏教説話

婿と米
昔、おろかな人がいて聟(むこ)養子として他家に迎えられた。その家では聟が来たというのでいろいろともてなしをしてあげたが、この男はどことなく小賢(こざか)しく、由(よし)あるげに振舞い、それほど食物を食べなかったので空腹を感じていた。妻が一寸(ちょっと)立ち去ったすきに米を口いっぱいにサッと入れ、食(く)おうとしたところに妻が帰って来たので、恥ずかしく顔を赤らめていた。

妻が夫の頬のはれているのを見て「どうしたの」と問い掛けても声もだせません。いよいよ顔が赤くなって来たので妻は、はれものがひどく話せないのだろうと思って、驚いて父母にその事を話した。やがて父母がやって来て「どうしたの、どうしたの」と聞くと、益々顔が赤くなった。そこに又近隣の人々も集まり「聟殿のはれ物は危ない、痛ましい事だ」と見舞ってくれた。

そうこうしているうちに医者を呼ぶということになり、田舎医者が近所にいるというので、これを呼んで見せると「これは大変危ない、早速治療しましょう」とて、針を火で焼いて赤くなった所で、針を頬に通したら中からポロポロと米がこぼれ落ちたのであった。頬は破れるし誠に恥ずかしい限りであった。

これは、一般世間の人で隠れて罪をつくり、それを仏様にも懺悔(さんげ)せず、人にも謝らず死んでゆく人はあの世で鉄卒に地獄に引き出され、牛頭(ごず)馬頭(めず)に打たれて大変恥ずかしき思いをすることに譬えたものである。よくよ〈発露懺悔(ほつろさんげ)の心をおこして地獄での恥を逃れるような工夫が必要である。

これは百喩経を無住がアレンジしたもので『沙石集』に収められている。日寛上人は「諸宗の邪法を捨てて本門の正法に帰依して、今日まで造ったところの謗法の罪を速やかに懺悔しなさい、もしそうしないと彼の愚人が米を含んでいたのとかわりがない。もし旧来の謗法罪を懺悔するなら、御本尊の力用(りきゆう)によって、罪は霜露の如く消滅する」と述べられている。

(歴代法主全書六巻)

(高橋粛道)