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一大事の因縁(いちだいじいんねん)

教学用語

一大事の因縁

一(いち) 大(だい) 事(じ) 因(いん) 縁(ねん)

  「一(いち)大(だい)事(じ)因(いん)縁(ねん)」とは、法華経『方(ほう)便(べん)品(ぽん)』に説かれたもので、仏がこの世に出現した究(きゅう)極(きょく)の目的をいいます。

 

 仏の出世の本懐(ほんかい)である法華経

 

 法華経『方便品』に、

「諸仏世(せ)尊(そん)は唯(ただ)一大事の因縁を以(もっ)ての故(ゆえ)に、世に出現したもうと名づくる。諸仏世尊は、衆生をして、仏知見(ぶっちけん)を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見を悟(さと)らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう」

                    (法華経 101頁)

と説かれているように、仏がこの世に出現されたのは、衆生の仏知見を開き、示し、悟らせ、入らしめるため、すなわち一切衆生を成仏させる大きな目的(一大事)を理由(因縁)に出現されたのです。天台(てんだい)大(だい)師(し)は、この「一大事因縁」について『法華文句』に、

「一は則(すなわ)ち一実相(じっそう)なり。五に非(あら)ず、三に非ず、七に非ず、九に非ず、故に一と言うなり。其(そ)の性(しょう)広(こう)博(はく)にして五三七九より博(ひろ)し、故に名づけて大と為(な)す。諸仏出世の儀(ぎ)式(しき)なる故に名づけて事と為す。衆生此(こ)の機有って仏を感ず、故に名づけて因と為す。仏は機に乗じて応じたもう、故に名づけて縁と為す。是(こ)れを出世の本意と為す」

                  (法華文句記会本 上)

と釈しています。つまり、「一」とは一実相。その一とは、五・三・七等と相対したものではなく、すべてを具(そな)える根本的・絶対的な一をいう。その一実相は、一切の法界を具え、広大なる故に「大」という。この一実相を実際の化導という事相の上に説くのが諸仏出世の本懐の儀式であるから「事」という。そして「因」とは、一(いち)乗(じょう)純(じゅん)円(えん)の機(き)根(こん)を有する衆生が仏を感ずること。「縁」とは、仏が純(じゅん)円(えん)一(いち)実(じつ)の衆生の機に応ずること。この一大事因縁こそが仏の出世の本意なのである、と教えています。

 日蓮大聖人は、この文を受けて『御(おん)義(ぎ)口(く)伝(でん)』(御書 1728頁)に、「一大事因縁」とは妙法蓮華経の五字であり、釈尊は一仏乗の法華経を説いて、一切衆生を救済するために出世されたことを御指南されています。

 

 一大事因縁に三つの意義

 

 総本山第二十六世日(にち)寛(かん)上(しょう)人(にん)は『撰(せん)時(じ)抄(しょう)愚(ぐ)記(き)』に、

「汎(ひろ)く出世の大事を論ずるに即(すなわ)ち三意有り。一には、迹(しゃく)門(もん)の顕(けん)実(じつ)を出世の大事と為す(中略)二には、寿(じゅ)量(りょう)の顕(けん)本(ぽん)を出世の大事と為す(中略)三には、文(もん)底(てい)の秘(ひ)法(ほう)を出世の大事と為す(中略)此くの如き三義、浅きより深きに至って第三の最(さい)極(ごく)なり。然(しか)るに本(ほん)化(げ)(地涌の菩薩)の涌(ゆ)出(じゅつ)は、此(こ)の第三の最極の秘法の末法流布の瑞(ずい)相(そう)なり」

                   (御書文段 371頁)

と、仏出世の一大事因縁には三つの意義があることを示されています。

 一は、権実(ごんじつ)相対の意で、方(ほう)便(べん)権(ごん)教(きょう)を開いて真実の法華経(迹門)をもって出世の本懐とします。二は、本(ほん)迹(じゃく)相対の意で、法華経本門の『寿量品』の発(ほっ)迹(しゃく)顕(けん)本(ぽん)をもって出世の本懐とします。そして三は、種(しゅ)脱(だつ)相対の意で、『寿量品』の文(もん)底(てい)下(げ)種(しゅ)の妙法を開(かい)顕(けん)することを出世の本懐とし、それは地涌の再誕、末法の御本仏である大聖人の最極深秘の法門です。『得受職人功徳法門抄』に、

「此の妙法蓮華経は本(ほん)地(ち)甚(じん)深(じん)の奥(おう)蔵(ぞう)、一大事因縁の大白法なり」(御書 594頁)

とお示しのように、本地甚深の奥蔵たる文底下種の南無妙法蓮華経こそ、最極の一大事因縁の大法であり、根源の出世の本懐となるのです。

 釈尊が法華経に明かされた一大事出世の本懐は、前述の一と二までで、文(もん)上(じょう)垂(すい)迹(じゃく)の範(はん)疇(ちゅう)に止まります。文底本地における一大事因縁とは、正しく文底下種の秘法にあるのです。

 

 一大事とは三大秘法

 

 日寛上人は、先の法華経『方便品』の文を挙げ、そこに説かれる「一大事」こそ文底下種の三大秘法であることを明示されています。すなわち『文底秘沈抄』に、

「一は謂(い)わく、本門の本尊なり。是れ則(すなわ)ち一(いち)閻(えん)浮(ぶ)提(だい)第一の故なり、又閻浮提の中に二無く亦(また)三無し、是の故に一と云(い)うなり。

 大は謂わく、本門の戒壇なり。旧より勝(すぐ)るるなりと訓(くん)ず、権迹(権教と法華迹門)の諸戒に勝るるが故なり、又最勝の地を尋(たず)ねて建立するが故なり。

 事は謂わく、本門の題目なり。理に非(あら)ざるを事と曰(い)う、是れ天台の理行に非ざる故なり。又事を事に行ずるが故に事と言うなり。並びに両意を存す、乃(すなわ)ち是れ待(たい)絶(ぜつ)なり。於(あ)戯(あ)天晴れぬれば地明らかなり、吾(わ)が祖の本懐掌(たなごころ)に在(あ)らんのみ」(六巻抄 41頁)

と仰せのように、「一」とは本門の本尊、「大」とは本門の戒壇、「事」とは本門の題目であり、この意義を領(りょう)解(げ)すれば、大聖人出世の本懐は掌に取るように明らかになると御指南されています。

 この三大秘法も帰するところ、その根源は一大秘法である本門の本尊に収まりますから、この本尊を三秘(三大秘法)総在の本尊と称します。

 

 大聖人の出世の本懐

 

 大聖人は『聖人御難事』に、

「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂(と)げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり」(御書 1396頁)

と仰せのように、「余は二十七年」の弘安二年十月十二日、三秘総在の本門戒壇の大御本尊を出世の本懐として御図顕あそばされました。この本門戒壇の大御本尊は大聖人御(ご)一(いち)期(ご)における本懐中の本懐です。

 したがって、この本門戒壇の大御本尊によってのみ、末法万年の闇が照らされ、一切衆生の成仏が叶うのです。

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