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法華経について㉞ 終

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法華経について(全34)
34大白法 平成29年3月1日刊(第952号)より転載

『仏説観普賢菩薩行法経』
 これまで三十三回にわたって法華経について学んできて、各品の概略の説明は前回の『普賢菩薩勧発品第二十八』まで至り、終了しました。
 今回は法華経に関するお話の最後として、『仏説観普賢菩薩行法経』について学びましょう。
 『観普賢経』・『普賢経』等とも称される当経は、中国南北朝時代の初期に、南朝の宋国で曇無密多(曇摩蜜多)によって漢訳され、現在まで伝えられています。
 普賢菩薩の「普賢」という名は、真理(普)と智慧(賢)が一体となるところに真実の大法が存することを意味しています。当経では、法華経の最後に説かれた『普賢菩薩勧発品』を受けて、普賢菩薩の修行を観る方法と功徳を説き、法華経の受持・読誦・流布を勧めています。
 また、当経一巻は品に分かれておらず、序分・正宗分・流通分の三段からなると共に、その全体が法華経の流通分としての意義を有しています。このことから当経は、天台大師によって法華経の結経に位置づけられました。

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 『普賢経』の内容
 序 分
 釈尊は、『無量義経』から『普賢菩薩勧発品』に至るまでの長きにわたり、摩竭蛇国の霊鷲山において説法をなされましたが、当経は、摩蜴陀国の北方に位置する毘舎離国にある大林精舎の重閣講堂で説かれました。
 その冒頭で釈尊は、
「却って後、三月あって、我当に般涅槃すべし」(法華経 六〇九㌻)
と、三カ月後に自身が入滅することを明かされたのです。
 そこで阿難・摩訶迦葉・弥勒菩薩の三人は、
「釈尊の滅後、衆生はどのようにしたら菩薩の心を起こし、法華経を修行し、仏の境界を得ることができるでしょうか。また、どうすれば煩悩を断ぜず五欲を離れずに諸々の罪を滅除することができますでしょうか(趣意)」(同 六一〇㌻)
と、釈尊に対して異口同音に申し上げました。
 法華経において即身成仏の法門が説かれたとはいえ、衆生は五欲に塗れています。煩悩充満の凡夫が、その身のまま仏の境界に至るにはどうすべきであるかを質問したのです。

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 正 宗 分
 この問いに対して釈尊は、普賢菩薩の行法を観ることとその功徳、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根にわたる懺悔の修法等を明かし、法華経に基づく戒を説かれます。これが『観普賢菩薩行法経』という経名の由来でもあります。
 釈尊は、大乗経典、すなわち法華経を誦し、法華経を修し、法華経の意を発する者は、釈尊の説くところを修すべきであるとし、六根を清浄にして法華経を誦せば、六牙の白象に乗る普賢菩薩を観ずると説かれます。六牙とは六根清浄、白象とは正しき道理を見つめて静なるを顕わします。また、普賢菩薩は理を顕わしており、これらの相は静寂なる正しき道理、すなわち、法華経に説く「諸法実相」を意味しています。
 普賢菩薩を観ずることによって懺悔を深め、釈尊・多宝仏塔・十方分身諸仏を見ること、自ら仏身を成ずることが明かされたのです。
 その後。釈尊は、阿難に懺悔のための受戒と末法の自誓自戒を示され、最後に第一より第五に至る五段の懺悔の法を説かれました。

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 流 通 分
 最後に釈尊は、
「未来世に、今説いてきたような懺悔の法を修習したならば、自身の罪を反省する心を身に付け、諸仏に護り助けられて、長い時間を経ずに成仏できるであろう(趣意)」(同 六五八㌻)
と阿難に告げ、共に説法を聴聞していた大菩薩衆は歓喜し、その実践修行を決心することで当経は結ばれます。

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   ◇   ◇   ◇   ◇

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 当経が、釈尊一代の教えにおける法華経の位置を明確にすることから、宗祖日蓮大聖人は『観心本尊抄』『本尊問答抄』等、諸抄に要文を引用されています。その一つは、
「此の大乗経典は、諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸の如来を出生する種なり。
此の経を持つ者は、即ち仏身を持ち、即ち仏事を行ずるなり。(中略)汝大乗を行じて、法種を断たざれ」(同 六二四㌻)
との経文です。
 法華経は諸仏の宝蔵であり、眼であり、根元の種であるから、この妙法を信受する者は、仏の身を持ち、仏の如く行ずる人である。妙法を信行して、成仏の種を断ずることがあってはならないと説かれているのです。

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 懺悔の正意
 懺悔と聞くと、キリスト教の悔悛の儀式に関する言葉であったり、ただ自らの悪事を反省することだと考えがちです。
 しかし、仏法における懺悔とは、自らの罪過を披瀝し同じ過ちを犯さぬことを誓い、さらに罪障消滅のため仏道修行に精進することを意味します。
 天台大師の『摩訶止観』には、三昧行の助行としての懺悔、事と理の懺悔等、種々の行法が説かれます。三世に亘る因果の理を説くのが仏法ですから、過去世の罪業の原因を知り、それを自ら戒め、その上で修行に励むことが大切です。
 当経では、懺悔の相を、
「若し懺悔せんと欲せば 端座して実相を思え」(同 六四八㌻)
と説かれ、その具体的な行として六念が示されます。六念とは、仏・法・僧・戒・施・天の六種を念ずることで、仏道修行者が持つべきものとして諸経に明かされ、六念処・六随念とも称します。
 この六念について、大聖人は
『御義口伝』に、
「念仏とは唯我一人の導師なり、念法とは滅後は題目の五字なり、念僧とは末法にては凡夫僧なり、念戒とは是名持戒なり、念施とは一切衆生に題目を授与するなり、念天とは諸天昼夜常為法故而衛護之の意なり。末法当今の行者の上なり。之を思ふべきなり」(御書 一七九八㌻)
と、末法ではいかに拝すべきかを御教示あそばされています。末法における懺悔とは、大聖人を御本仏と仰いで本門戒壇の大御本尊を信受し奉り、自行化他の唱題、折伏を実践することに他なりません。
 この実践によってこそ、誹謗正法をはじめとする無始以来の罪障消滅も叶い、大きな功徳が顕われてくるのです。
 『三大秘法稟承事』の、
「三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して踏み給ふべき戒壇なり」(同 一五九五㌻)
との御金言を拝し奉り、一人でも多くの人を本門戒壇の大御本尊のもとへ導くという、法華講衆の使命を自覚することが大切です。

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 法華経を拝する
 朝夕の勤行において読誦する法華経について学んできましたが、その基本・概略を知るだけでも三年半、三十四回にわたる掲載を要しました。
 御法主日如上人猊下は、法華経を拝する心構えとして、
「法華経には久遠の南無妙法蓮華経が存しているのであり、法華経を拝して読むということは、その奥に根本中の根本、妙中の妙、要中の要たる妙法蓮華経が存するからであるということをよく知っていただきたい」(大白法 七二一号)
と、また前御法主日顕上人猊下は、
「正法をもって広宣流布に向かうことが、この法華経の功徳の要点骨子である」(同 五八六号)
と、その肝要を御指南くださっています。
 「要法たる南無妙法蓮華経が存する」「本門寿量品の文底に三大秘法が秘沈されている」と心得て法華経を拝するとき、ただ漠然と法華経の説相を眺めたときとは異なる、深い意義を知ることができるのです。
 このように法華経を学んでいきますと、大聖人の御法門に対する理解が増し、日々の修行に具わる意義・功徳を実感できるようになり、そして何より信心の確信を深めることに繋がります。
 大聖人は『諸法実相抄』に、
「行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」(御書 六六八㌻)
と仰せられています。
 自らの信心を確立するのはもちろんのこと、折伏・育成のための信・行・学にわたる錬磨を心がけてまいりましょう。

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