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種々御振舞御書

御書5
種々御振舞御書  建治二年  五五歳  
 去ぬる文永五年後の正月十八日、西戎大蒙古国より日本国ををそうべきよし牒状をわたす。日蓮が去ぬる文応元年太歳庚申に勘へたりし立正安国論すこしもたがわず符合しぬ。此の書は白楽天が楽府にも越へ、仏の未来記にもをとらず、末代の不思議なに事かこれにすぎん。賢王聖主の御世ならば、日本第一の権状にもをこなわれ、現身に大師号もあるべし。定んで御たずねありて、いくさの僉議をもいゐあわせ、調伏なんども申しつけられぬらんとをもひしに、其の義なかりしかば、其の年の末十月に十一通の状をかきてかたがたへをどろかし申す。国に賢人なんどもあるならば、不思議なる事かな、これはひとへにたゞ事にはあらず。天照太神・正八幡宮の僧について、日本国のたすかるべき事を御計らひのあるかとをもわるべきに、さはなくて或は使ひを悪口し、或はあざむき、或はとりも入れず、或は返事もなし、或は返事をなせども上へも申さず。これひとへにたゞ事にはあらず。設ひ日蓮が身の事なりとも、国主となり、まつり事をなさん人々は取りつぎ申したらんには政道の法ぞかし。いわうやこの事は上の御大事いできたらむのみならず、各々の身にあたりて、をほいなるなげき出来すべき事ぞかし。而るを用ひる事こそなくとも悪口まではあまりなり。此ひとへに日本国の上下万人、一人もなく法華経の強敵となりて、としひさしくなりぬれば大禍のつもり、大鬼神の各々の身に入る上へ、蒙古国の牒状に正念をぬかれてくるうなり。例せば殷の紂王に比干といゐし者いさめをなせしかば、用ひずして胸をほる。周の文武王にほろぼされぬ。呉王は伍子胥がいさめを用ひず、自害をせさせしかば越王勾踐の手にかゝる。これもかれがごとくなるべきかと、いよいよふびんにをぼへて、名をもをしまず命をもすてゝ、強盛に申しはりしかば、風大なれば波大なり、竜大なれば雨たけきやうに、いよいよあだをなし、ますますにくみて御評定に僉議あり。頚をはぬるべきか、鎌倉ををわるべきか。弟子檀那等をば、所領あらん者は所領を召して頚を切れ、或はろうにてせめ、あるいは遠流すべし等云云。  日蓮悦んで云はく、本より存知の旨なり。雪山童子は半偈のために身をなげ、常啼菩薩は身をうり、善財童子は火に入り、楽法梵士は皮をはぐ、薬王菩薩は臂をやく、不軽菩薩は杖木をかうむり、師子尊者は頭をはねられ、提婆菩薩は外道にころさる。此等はいかなりける時ぞやと勘ふれば、天台大師は「時に適ふのみ」とかゝれ、章安大師は「取捨宜しきを得て一向にすべからず」としるさる。法華経は一法なれども機にしたがひ時によりて其の行万差なるべし。仏記して云はく「我滅後正像二千年すぎて、末法の始めに此の法華経の肝心題目の五字計りを弘めんもの出来すべし。其の時悪王・悪比丘等、大地微塵より多くして、或は大乗、或は小乗等をもてきそはんほどに、此の題目の行者にせめられて在家の檀那等をかたらひて、或はのり、或はうち、或はろうに入れ、或は所領を召し、或は流罪、或は頚をはぬべし、などいふとも、退転なくひろむるほどならば、あだをなすものは国主はどし打ちをはじめ、餓鬼のごとく身をくらひ、後には他国よりせめらるべし。これひとへに梵天・帝釈・日月・四天等、法華経の敵なる国を他国より責めさせ給ふなるべし」ととかれて候ぞ。各々我が弟子となのらん人々は一人もをくしをもはるべからず。をやををもひ、めこををもひ、所領をかへりみることなかれ。無量劫よりこのかた、をやこのため、所領のために、命をすてたる事は大地微塵よりもをほし。法華経のゆへにはいまだ一度もすてず。法華経をばそこばく行ぜしかども、かゝる事出来せしかば退転してやみにき。譬へばゆをわかして水に入れ、火を切るにとげざるがごとし。各々思ひ切り給へ。此の身を法華経にかうるは石に金をかへ、糞に米をかうるなり。 仏滅後二千二百二十余年が間、迦葉・阿難等、馬鳴・竜樹等、南岳・天台等、妙楽・伝教等だにもいまだひろめ給はぬ法華経の肝心、諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろまらせ給ふべき瑞相に日蓮さきがけしたり。わたうども二陣三陣つゞきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にもこへよかし。わづかの小島のぬしらがをどさんを、をぢては閻魔王のせめをばいかんがすべき。仏の御使ひとなのりながら、をくせんは無下の人々なりと申しふくめぬ。さりし程に念仏者・持斎・真言師等、自身の智は及ばず、訴状も叶はざれば、上郎尼ごぜんたちにとりつきて、種々にかまへ申す。故最明寺入道殿・極楽寺入道殿を無間地獄に堕ちたりと申し、建長寺・寿福寺・極楽寺・長楽寺・大仏寺等をやきはらへと申し、道隆上人・良観上人等を頚をはねよと申す。御評定になにとなくとも日蓮が罪禍まぬがれがたし。但し上件の事一定申すかと、召し出だしてたづねらるべしとて召し出だされぬ。奉行人の云はく、上へのをほせかくのごとしと申せしかば、上件の事一言もたがはず申す。但し最明寺殿・極楽寺殿を地獄といふ事はそらごとなり。此の法門は最明寺殿・極楽寺殿御存生の時より申せし事なり。  詮ずるところ、上件の事どもは此の国ををもひて申す事なれば、世を安穏にたもたんとをぼさば、彼の法師ばらを召し合はせてきこしめせ。さなくして彼等にかわりて理不尽に失に行はるゝほどならば、国に後悔ありて、日蓮御勘気をかほらば仏の御使ひを用ひぬになるべし。梵天・帝釈・日月・四天の御とがめありて、遠流死罪の後、百日・一年・三年・七年が内に自界叛逆難とて此の御一門どしうちはじまるべし。其の後は他国侵逼難とて四方より、ことには西方よりせめられさせ給ふべし。其の時後悔あるべし平左衛門尉と、申し付けしかども、太政入道のくるひしやうに、すこしもはゞかる事なく物にくるう。  去ぬる文永八年太歳辛未九月十二日御勘気をかほる。其の時の御勘気のやうも常ならず法にすぎてみゆ。了行が謀反ををこし、大夫律師が世をみださんとせしを、めしとられしにもこへたり。平左衛門尉大将として数百人の兵者にどうまろきせてゑぼうしかけして、眼をいからし声をあらうす。大体事の心を案ずるに、太政入道の世をとりながら国をやぶらんとせしににたり。たゞ事ともみへず。日蓮これを見てをもうやう、日ごろ月ごろをもひまうけたりつる事はこれなり。さいはひなるかな、法華経のために身をすてん事よ。くさきかうべをはなたれば、沙に金をかへ、石に珠をあきなへるがごとし。  さて平左衛門尉が一の郎従少輔房と申す者はしりよりて、日蓮が懐中せる法華経の第五の巻を取り出だして、おもてを三度さいなみて、さんざんとうちちらす。又九巻の法華経を兵者ども打ちちらして、あるいは足にふみ、あるいは身にまとひ、あるいはいたじきたゝみ等、家の二三間にちらさぬ所もなし。日蓮大高声を放ちて申す。あらをもしろや平左衛門尉がものにくるうを見よ、とのばら、但今ぞ日本国の柱をたをすとよばはりしかば、上下万人あわてゝ見へし。日蓮こそ御勘気をかほれば、をくして見ゆべかりしに、さはなくして、これはひがごとなりとやをもひけん。兵者どものいろこそへんじて見へしか。十日並びに十二日の間、真言宗の失、禅宗・念仏等、良観が雨ふらさぬ事、つぶさに平左衛門尉にいゐきかせてありしに、或はわっとわらひ、或はいかり、なんどせし事どもはしげければしるさず。せんずるところは、六月十八日より七月四日まで良観が雨のいのりして、日蓮にかゝれてふらしかね、あせをながしなんだのみ下して雨ふらざりし上、逆風ひまなくてありし事、三度までつかひをつかわして、一丈のほりをこへぬもの十丈二十丈のほりを越ゆべきか。いずみしきぶいろごのみの身にして八斎戒にせいせるうたをよみて雨をふらし、能因法師が破戒の身としてうたをよみて天雨を下らせしに、いかに二百五十戒の人々百千人あつまりて、七日二七日せめさせ給ふに雨の下らざる上に大風は吹き候ぞ。これをもって存ぜさせ給へ。各々の往生は叶ふまじきぞとせめられて、良観がなきし事、人々につきて讒せし事、一々に申せしかば、平左衛門尉等かたうどしかなへずして、つまりふしし事どもはしげければかゝず。  さては十二日の夜、武蔵守殿のあづかりにて、夜半に及び頚を切らんがために鎌倉をいでしに、わかみやこうぢにうち出で四方に兵のうちつゝみてありしかども、日蓮云はく、各々さわがせ給ふな、べちの事はなし、八幡大菩薩に最後に申すべき事ありとて、馬よりさしをりて高声に申すやう、いかに八幡大菩薩はまことの神か、和気清丸が頚を刎ねられんとせし時は長一丈の月と顕はれさせ給ひ、伝教大師の法華経をかうぜさせ給ひし時はむらさきの袈裟を御布施にさづけさせ給ひき。今日蓮は日本第一の法華経の行者なり。其の上身に一分のあやまちなし。日本国の一切衆生の法華経を謗じて無間大城におつべきをたすけんがために申す法門なり。又大蒙古国よりこの国をせむるならば、天照太神・正八幡とても安穏におはすべきか。其の上釈迦仏、法華経を説き給ひしかば、多宝仏・十方の諸仏・菩薩あつまりて、日と日と、月と月と、星と星と、鏡と鏡とをならべたるがごとくなりし時、無量の諸天並びに天竺・漢土・日本国等の善神聖人あつまりたりし時、各々法華経の行者にをろかなるまじき由の誓状まいらせよとせめられしかば、一々に御誓状を立てられしぞかし。さるにては日蓮が申すまでもなし、いそぎいそぎこそ誓状の宿願をとげさせ給ふべきに、いかに此の処にはをちあわせ給はぬぞとたかだかと申す。さて最後には日蓮今夜頚切られて霊山浄土へまいりてあらん時は、まづ天照太神・正八幡こそ起請を用ひぬかみにて候ひけれと、さしきりて教主釈尊に申し上げ候はんずるぞ。いたしとおぼさば、いそぎいそぎ御計らひあるべしとて又馬にのりぬ。
 日蓮不思議一つ云はんと思ひて、六郎左衛門尉を大庭よりよび返して云はく、いつか鎌倉へのぼり給ふべき。かれ答へて云はく、下人共に農せさせて七月の比と云云。日蓮云はく、弓箭とる者は、をゝやけの御大事にあひて所領をも給はり候をこそ田畠つくるとは申せ、只今いくさのあらんずるに、急ぎうちのぼり高名して所知を給はらぬか。さすがに和殿原はさがみの国には名ある侍ぞかし。田舎にて田つくり、いくさにはづれたらんは恥なるべしと申せしかば、いかにや思ひげにて、あはてゝものもいはず。念仏者・持斎・在家の者どももなにと云ふ事ぞやと怪しむ。  さて皆帰りしかば、去年の十一月より勘へたる開目抄と申す文二巻造りたり。頚切らるゝならば日蓮が不思議とゞめんと思ひて勘へたり。此の文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬へば宅に柱なければたもたず。人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり。平左衛門既に日本の柱をたをしぬ。只今世乱れて、それともなくゆめの如くに妄語出来して、此の御一門どしうちして、後には他国よりせめらるべし。例せば立正安国論に委しきが如し。かやうに書き付けて中務三郎左衛門尉が使ひにとらせぬ。つきたる弟子等もあらぎかなと思へども、力及ばざりげにてある程に、二月の十八日に島に船つく。鎌倉に軍あり、京にもあり、そのやう申す計りなし。六郎左衛門尉其の夜にはやふねをもて、一門相具してわたる。日蓮にたな心を合はせて、たすけさせ給へ、去ぬる正月十六日の御言いかにやと此の程疑ひ申しつるに、いくほどなく三十日が内にあひ候ひぬ。又蒙古国も一定渡り候なん。念仏無間地獄も一定にてぞ候はんずらん。永く念仏申し候まじと申せしかば、いかに云ふとも、相模守殿等の用ひ給はざらんには、日本国の人用ゆまじ。用ゐずば国必ず亡ぶべし。日蓮は幼若の者なれども、法華経を弘むれば釈迦仏の御使ひぞかし。わづかの天照太神・正八幡なんどと申すは此の国には重んずけれども、梵釈・日月・四天に対すれば小神ぞかし。されども此の神人なんどをあやまちぬれば、只の人を殺せるには七人半なんど申すぞかし。太政入道・隠岐法皇等のほろび給ひしは是なり。此はそれにはにるべくもなし。教主釈尊の御使ひなれば天照太神・正八幡宮も頭をかたぶけ、手を合はせて地に伏し給ふべき事なり。法華経の行者をば梵釈左右に侍り日月前後を照らし給ふ。かゝる日蓮を用ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし。何に況んや数百人ににくませ二度まで流しぬ。此の国の亡びん事疑ひなかるべけれども、且く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ、今までは安穏にありつれども、はうに過ぐれば罰あたりぬるなり。又此の度も用ひずば大蒙古国より打手を向けて日本国ほろぼさるべし。ただ平左衛門尉が好むわざわひなり。和殿原とても此の島とても安穏なるまじきなりと申せしかば、あさましげにて立ち帰りぬ。さて在家の者ども申しけるは、此の御房は神通の人にてましますか、あらおそろしおそろし。今は念仏者をもやしなひ、持斎をも供養すまじ。念仏者・良観が弟子の持斎等が云はく、此の御房は謀叛の内に入りたりけるか。さて且くありて世間しづまる。  又念仏者集まりて僉議す。かうてあらんには、我等かつえしぬべし。いかにもして此の法師を失はゞや。既に国の者も大体つきぬ、いかんがせん。念仏者の長者の唯阿弥陀仏・持斎の長者生喩房・良観が弟子道観等、鎌倉に走り登りて武蔵守殿に申す。此の御房島に候ものならば、堂塔一宇も候べからず、僧一人も候まじ。阿弥陀仏をば或は火に入れ、或は河にながす。夜もひるも高き山に登りて、日月に向かって大音声を放って上を呪咀し奉る。其の音声一国に聞ふと申す。武蔵前司殿是をきゝ、上へ申すまでもあるまじ、先づ国中のもの日蓮房につくならば、或は国をおひ、或はろうに入れよと、私の下知を下す、又下文下る。かくの如く三度、其の間の事申さざるに心をもて計りぬべし。或は其の前をとをれりと云ひてろうに入れ、或は其の御房に物をまいらせけりと云ひて国をおひ或は妻子をとる。かくの如くして上へ此の由を申されければ、案に相違して、去ぬる文永十一年二月十四日御赦免の状、同じき三月八日に島につきぬ。念仏者等僉議して云はく、此程の阿弥陀仏の御敵、善導和尚・法然上人をのるほどの者が、たまたま御勘気を蒙りて此の島に放されたるを、御赦免あるとていけて帰さんは心うき事なりと云ひて、やうやうの支度ありしかども、何なる事にや有りけん、思はざるに順風吹き来たりて島をばたちしかば、あはいあしければ百日五十日にもわたらず。順風には三日なる所を須臾の間に渡りぬ。越後のこう、信濃の善光寺の念仏者・持斎・真言等は雲集して僉議す。島の法師原は今までいけてかへすは人かったいなり。我等はいかにも生身の阿弥陀仏の御前をばとをすまじと僉議せしかども、又越後のこうより兵者どもあまた日蓮にそひて善光寺をとをりしかば力及ばず。三月十三日に島を立ちて、同じき三月二十六日に鎌倉へ打ち入りぬ。  同じき四月八日平左衛門尉に見参しぬ。さきにはにるべくもなく威儀を和らげてたゞしくする上、或入道は念仏をとふ、或俗は真言をとふ、或人は禅をとふ、平左衛門尉は爾前得道の有無をとふ。一々に経文を引きて申す。平左衛門尉は上の御使ひの様にて、大蒙古国はいつか渡り候べきと申す。日蓮答へて云はく、今年は一定なり、それにとっては日蓮己前より勘へ申すをば御用ひなし。譬へば病の起こりを知らざらん人の病を治せば弥病は倍増すべし。真言師だにも調伏するならば、弥此の国軍にまくべし穴賢穴賢。真言師総じて当世の法師等をもて御祈り有るべからず。各々は仏法をしらせ給ふておわすにこそ申すともしらせ給はめ。又何なる不思議にやあるらん、他事にはことにして日蓮が申す事は御用ひなし。後に思ひ合はせさせ奉らんが為に申す。隠岐法皇は天子なり。権大夫殿は民ぞかし。子の親をあだまんをば天照太神うけ給ひなんや。所従が主君を敵とせんをば正八幡は御用ひあるべしや。いかなりければ公家はまけ給ひけるぞ。此は偏に只事にはあらず。弘法大師の邪義、慈覚大師・智証大師の僻見をまことと思ひて、叡山・東寺・園城寺の人々の鎌倉をあだみ給ひしかば、還著於本人とて其の失還って公家はまけ給ひぬ。武家は其の事知らずして調伏も行はざればかちぬ。今又かくの如くなるべし。ゑぞは死生不知のもの、安藤五郎は因果の道理を弁へて堂塔多く造りし善人なり。いかにとして頚をばゑぞにとられぬるぞ。是をもて思ふに、此の御房たちだに御祈りあらば入道殿事にあひ給ひぬと覚え候。あなかしこあなかしこ。さいはざりけるとおほせ候なと、したゝかに申し付け候ひぬ。

さてかへりきゝしかば、同四月十日より阿弥陀堂法印に仰せ付けられて雨の御いのりあり。此の法印は東寺第一の智人、をむろ等の御師、弘法大師・慈覚大師・智証大師の真言の秘法を鏡にかけ、天台・華厳等の諸宗をみな胸にうかべたり。それに随ひて十日よりの祈雨に十一日に大雨下りて風ふかず、雨しづかにて一日一夜ふりしかば、守殿御感のあまりに、金三十両、むま、やうやうの御ひきで物ありときこふ。鎌倉中の上下万人、手をたゝき口をすくめてわらうやうは、日蓮ひが法門申して、すでに頚をきられんとせしが、とかうしてゆりたらば、さではなくして念仏・禅をそしるのみならず、真言の密教なんどをもそしるゆへに、かゝる法のしるしめでたしとのゝしりしかば、日蓮が弟子等けうさめて、これは御あら義と申せし程に、日蓮が申すやうは、しばしまて、弘法大師の悪義まことにて国の御いのりとなるべくば、隠岐法皇こそいくさにかち給はめ。をむろ最愛の児せいたかも頚をきられざるらん。弘法の法華経を華厳経にをとれりとかける状は、十住心論と申す文にあり。寿量品の釈迦仏をば凡夫なりとしるされたる文は秘蔵宝鑰に候。天台大師をぬす人とかける状は二教論にあり。一乗法華経をとける仏をば、真言師のはきものとりにも及ばずとかける状は、正覚房が舎利講式にあり。かゝる僻事を申す人の弟子阿弥陀堂の法印が日蓮にかつならば、竜王は法華経のかたきなり、梵釈四王にせめられなん。子細ぞあらんずらんと申せば、弟子どものいはく、いかなる子細のあるべきぞと、をこづきし程に、日蓮が云はく、善無畏も不空も雨のいのりに雨はふりたりしかども、大風吹きてありけるとみゆ。弘法は三七日すぎて雨をふらしたり。此等は雨ふらさぬがごとし。三七二十一日にふらぬ雨やあるべき。設ひふりたりともなんの不思議かあるべき。天台のごとく、千観なんどのごとく、一座なんどこそたうとけれ。此は一定やうあるべしと、いゐもあはせず大風吹き来たる。大小の舎宅・堂塔・古木・御所等を、或は天に吹きのぼせ、或は地に吹きいれ、そらには大なる光物とび、地には棟梁みだれたり。人々をもふきころし、牛馬をゝくたふれぬ。悪風なれども、秋は時なればなをゆるすかたもあり。此は夏四月なり、其の上、日本国にはふかず、但関東八箇国なり。八箇国にも武蔵・相模の両国なり。両国の中には相州につよくふく。相州にもかまくら、かまくらにも御所・若宮・建長寺・極楽寺等につよくふけり。たゞ事ともみへず。ひとへにこのいのりのゆへにやとをぼへて、わらひ口すくめせし人々も、けふさめてありし上、我が弟子どもゝあら不思議やと舌をふるう。  本よりごせし事なれば、三度国をいさめんにもちゐずば国をさるべしと。されば同五月十二日にかまくらをいでて此の山に入る。同十月に大蒙古国よせて壱岐・対馬の二箇国を打ち取らるゝのみならず、大宰府もやぶられて少弍の入道・大友等きゝにげににげ、其の外の兵者ども其の事ともなく大体打たれぬ。又今度よせるならば、いかにも此の国よはよはと見ゆるなり。仁王経には「聖人去らん時は七難必ず起こる」等云云。最勝王経に云はく「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、乃至他方の怨賊来たりて国人喪乱に遭はん」等云云。仏説まことならば、此の国一定悪人のあるを国主たっとませ給ひて、善人をあだませ給ふにや。大集経に云はく「日月明を現せず四方皆亢旱す。是くの如く不善業の悪王と悪比丘と我が正法を毀壊せん」云云。仁王経に云はく「諸の悪比丘多く名利を求め国王・太子・王子の前に於て自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説く、其の王別へずして此の語を信聴せん。是を破仏法破国の因縁と為す」等云云。法華経に云はく「濁世悪比丘」等云云。経文まことならば此の国に一定悪比丘のあるなり。夫宝山には曲林をきる。大海には死骸をとゞめず。仏法の大海、一乗の宝山には、五逆の瓦礫・四重の濁水をば入るれども、誹謗の死骸と一闡提の曲林をばをさめざるなり。されば仏法を習はん人、後世をねがはん人は法華誹謗おそるべし。  皆人をぼするやうは、いかでか弘法・慈覚等をそしる人を用ゆべきと。他人はさてをきぬ。安房国の東西の人々は此の事を信ずべき事なり。眼前の現証あり、いのもりの円頓房、清澄の西尭房・道義房、かたうみの実智房等はたうとかりし僧ぞかし。此等の臨終はいかんがありけんと尋ぬべし。これらはさてをきぬ。円智房は清澄の大堂にして三箇年が間一字三礼の法華経を我とかきたてまつりて十巻をそらにをぼへ、五十年が間、一日一夜に二部づつよまれしぞかし。かれをば皆人は仏になるべしと云云。日蓮こそ念仏者よりも道義房と円智房とは無間地獄の底にをつべしと申したりしが、此の人々の御臨終はよく候ひけるかいかに。日蓮なくば此の人々をば仏になりぬらんとこそをぼすべけれ。これをもってしろしめせ。弘法・慈覚等はあさましき事どもはあれども、弟子ども隠せしかば、公家もしらせ給はず。末の代はいよいよあをぐなり。あらはす人なくば未来永劫までもさであるべし。拘留外道は八百年ありて水となり、迦毘羅外道は一千年すぎてこそ其の失はあらわれしか。  夫人身をうくる事は五戒の力による。五戒を持てる者をば二十五の善神これをまぼる上、同生同名と申して二つの天、生まれしよりこのかた、左右のかたに守護するゆへに、失なくて鬼神あだむことなし。しかるに此の国の無量の諸人なげきをなすのみならず、ゆき・つしまの両国の人皆事にあひぬ。大宰府又申すばかりなし。此の国はいかなるとがのあるやらん。しらまほしき事なり。一人二人こそ失もあるらめ、そこばくの人々いかん。これひとへに法華経をさぐる弘法・慈覚・智証等の末の真言師、善導・法然が末の弟子等、達磨等の人々の末の者ども国中に充満せり。故に梵・釈・四天等、法華経の座の誓状のごとく、頭破作七分の失にあてらるゝなり。  疑って云はく、法華経の行者をあだむ者は頭破作七分ととかれて候に、日蓮房をそしれども頭もわれぬは、日蓮房は法華経の行者にはあらざるかと申すは、道理なりとをぼへ候はいかん。答へて云はく、日蓮を法華経の行者にてなしと申さば、法華経をなげすてよとかける法然等、無明の辺域としるせる弘法大師、理同事勝と宣べたる善無畏・慈覚等が法華経の行者にてあるべきか。又頭破作七分と申す事はいかなる事ぞ。刀をもてきるやうにわるゝとしれるか。経文には如阿梨樹枝とこそとかれたれ。人の頭に七滴あり、七鬼神ありて一滴食らへば頭をいたむ、三滴を食らへば寿絶えんとす、七滴皆食らへば死するなり。今の世の人々は皆頭阿梨樹の枝のごとくにわれたれども、悪業ふかくしてしらざるなり。例せばてをいたる人の、或は酒にゑひ、或はねいりぬれば、をぼえざるが如し。又頭破作七分と申すは或は心破作七分とも申して、頂の皮の底にある骨のひゞたぶるなり。死ぬる時はわるゝ事もあり。今の世の人々は去ぬる正嘉の大地震、文永の大彗星に皆頭われて候なり。其の頭のわれし時ぜひぜひやみ、五蔵の損ぜし時あかき腹をやみしなり。これは法華経の行者をそしりしゆへにあたりし罰とはしらずや。  されば鹿は味ある故に人に殺され、亀は油ある故に命を害せらる。女人はみめ形よければ嫉む者多し。国を治むる者は他国の恐れあり。財有る者は命危ふし。法華経を持つ者は必ず成仏し候。故に第六天の魔王と申す三界の主、此の経を持つ人をば強ちに嫉み候なり。此の魔王、疫病の神の目にも見えずして人に付き候やうに、古酒に人の酔ひ候如く、国主・父母・妻子に付きて法華経の行者を嫉むべしと見えて候。少しも違はざるは当時の世にて候。日蓮は南無妙法蓮華経と唱ふる故に、二十余年所を追はれ、二度まで御勘気を蒙り、最後には此の山にこもる。此の山の体たらくは、西は七面の山、東は天子のたけ、北は身延山、南は鷹取の山。四つの山高きこと天に付き、さがしきこと飛鳥もとびがたし。中に四の河あり。所謂富士河・早河・大白河・身延河なり。其の中に一町ばかり間の候に庵室を結びて候。昼は日をみず、夜は月を拝せず。冬は雪深く、夏は草茂り、問ふ人希なれば道をふみわくることかたし。殊に今年は雪深くして人問ふことなし。命を期として法華経計りをたのみ奉り候に御音信ありがたく候。しらず、釈迦仏の御使ひか、過去の父母の御使ひかと申すばかりなく候。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。

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  • 4月度御報恩御講 2024年4月14日
    4月度の御報恩御講に参詣させて頂きました。御書は『諌暁八幡抄』「今日蓮は去ぬる建長五年癸丑四月廿八日より、今弘 […]
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  • お見舞い 2024年1月9日
    震災並びに航空機事故のお見舞いを申し上げます。

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和歌山県田辺市の在住、日蓮正宗法華講員です。
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