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法華経について⑥

法華経について(全34)
6大白法 平成26年3月1日刊(第880号)より転載


 前回は『序品』について学びましたので、今回は法華経の第二番目、朝夕の勤行で読誦している『方便品』について学びましょう。

 方 便
 「方便」とは、目的のための一時の手段・方法を示す言葉として世間で用いられますが、仏教においては仏が真実の法・悟りに衆生を誘引するために設ける便宜上の手段、またそれを用いる内容を意味します。
 この方便について天台大師の『法華文句』並びに妙楽大師の『法華文句記』では、法用方便・能通方便・秘妙方便の三義に釈されています。
 第一の法用方便とは、「法」は種々の方法・手段、「用」はそれを利用することを意味し、仏が仏界に具わる九界の智慧を用いて衆生の機根に応じて導く随他意の法門を用いた方便のことを言います。爾前権経が方便とされるのはこのためで、声聞に四諦、縁覚に十二因縁を説くなどの化導法を指します。
 第二の能通方便とは、法用方便と同じく衆生を導く手段ですが、仏の大慈悲より起こる、真実に導くための目的と意義を含み、真実へ能く通じる「門」を意味します。仏の智慧を含みつつも未だ九界の智慧をもって説かれます。
 第三の秘妙方便とは、深奥で知り難い仏の真実の境界を基として、直ちにその不思議の妙法によって衆生を導くことをいい、これこそが爾前権経に全く説かれていない法華経『方便品』の方便となります。

 『方便品第二』
 
法華経迹門の序分・正宗分・流通分の立て分けの上からまず序分として『序品』が説かれましたが、『方便品』からは正宗分としての釈尊による説法が開始されます。
 そもそも迹門では開三顕一と言って、爾前経における三乗(声聞・縁覚・菩薩)方便の教えを開いて一仏乗の法が顕わされ、三周の説法が行われます。三周の説法とは、弟子の声聞衆の機根に応じて法説周・譬説周・因縁説周の説法をもって領解せしめることで、『方便品』はそのうち智慧第一と称される上根の舎利弗に対して説かれた、法説周(直ちに教法を説いて示す説法)の正説段に当たります。
 法華経では、釈尊が弟子に法を説いて未来の成仏を保証するに当たり、正説段・領解段・述成段・授記段の四つの段階を説示されています。仏が正法を説かれるのが正説、説法を聴聞した衆生が仏に理解した内容を述べるのが領解、その後仏が領解の正しさを認めてさらに説き示されるのが述成、最後に未来に仏と成る際の劫(時)・国・仏の名号等を明らかにされて成仏を保証されるのが授記です。
 無量義処三昧に入定されていた釈尊は安祥として起たれると、問われることなく自ら説法を開始し、諸仏の智慧が甚深無量・難解難入であることを賛嘆され、舎利弗に対して諸法実相・十如是を説き、一念三千の法門を明かされました。これが略開三顕一の説法です。
 しかし、舎利弗以下の大衆はあまりに不可思議な法門に疑念を生じたため、舎利弗はさらに詳説されるよう三度釈尊に請願し、許諾した釈尊によって、五千人の上慢の四衆が退座した後、『授学無学人記品』に至るまで広開三顕一の説法が展開されるのです。
 法説周の正説段に当たる「方便品』では五仏章として、総諸仏・過去仏・現在仏・末来仏・釈迦仏が説かれますが、最初の総諸仏の行化において、仏がこの世に出現する一大事因縁を示され、衆生に対する四仏知見(仏が一切衆生に仏知見を開かしめ・示し・悟らせ・入らしめんとする)にその目的があると説かれました。また、仏の教え(教)・修行(行)・修行をする人(人)・修行によって悟る真理(理)という教行人理の四について、無量の法門を一仏乗に開会することをもって仏の正意を示されました。
 続いて、過去仏、未来仏、現在仏、そして釈尊自身も、衆生を教化するためには初めに方便の三乗法を施して機根を調え、時が至った後に一仏乗の法華経を説示するという、五仏道同の義を述べられます。さらに、仏は五濁悪世の衆生を救うために出現し、三乗の方便を示すことを明かされつつ、仏の真実の化導は三乗等の方便に存することはなく、ただ一仏乗のみであることを説示されたのです。
 この後、比丘偈と称される偈頌において長行の再説がなされ、『方便品』の説法は結ばれます。

 一念三千
 一念三千とは、一念の心に三千の諸法を具足することであり、『方便品』の経文をもとに天台大師が『摩訶止観』で説かれました。私たちの一念の心には十の法界が存し、その十界それぞれに十界が具わることで百界となります。そこにそれぞれの境界における用きとしての十如是と、五陰・衆生・国土の三種の世間が具わることで三千世間となります。
 諸法実相・十如是の文によって十界互具の理を観じ、凡夫の己心に具わる三千の妙理が明かされたことにより、九界の迷妄の生命にも尊い仏界の境界を具すという、一切万物に平等な理として十界皆成の道が説かれたのです。
 しかしこれは原理として顕わされたもので「迹門理の一念三千」と言い、説かれた釈尊も未だ本地を明かされておらず、インドで応誕し三十歳で成道した始成正覚の仏となります。
 大聖人様が『十章抄』に、
「一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る」(御書 四六六㌻)
と仰せの通り、法華経『如来寿量品第十六』に至って久遠実成が説かれ、本因・本果・本国土の三妙合論が明かされなければ、真の一念三千の実体実義を成就することもありません。釈尊在世の衆生は三世常住の化導をもって「本門事の一念三千」を覚知できたのです。
 この点をさらに大聖人様の御法門より拝するならば、『本因妙抄』に、
「一代応仏のいきをひかえたる方は、理の上の法相なれば、一部共に理の一念三千、迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を、脱益の文の上と申すなり。文底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず、直達正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり」(同 一六八四㌻)
と示されるように、法華経の文上に説かれる一念三千はあくまでも釈尊の脱益の教法であり、迹門・本門共に理の一念三千となります。真の一念三千とは、『寿量品』の文底に秘沈された、久遠元初の御本仏が即座開悟された本因名字の妙法のことであり、末法出現の御本仏日蓮大聖人様の御内証である文底独一本門・人法一箇の事の一念三千です。
 大聖人様は、久遠元初の本法を末法濁悪の今に移され、末法尽未来際に亘る一切衆生皆成仏道の法体として、御身証得の妙法当体たる三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊を建立されました。末法の荒凡夫である私たちは、大御本尊への絶対の確信のもと南無妙法蓮華経と唱えることによってのみ、仏界即九界・九界即仏界、境智冥合して即身成仏の大功徳を得られるのです。
 この広大無辺なる仏恩報謝のためにも、一天四海広宣流布の実現に向け、自行化他の唱題・折伏に励むことが肝要です。

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