邪宗という呼び方が気に入らない

 「正しい宗教と信仰」に学ぶ(大白法)
 邪宗という言葉は、日蓮正宗の人が、やみくもに他宗を攻撃するために勝手に使っているのではありません。
 釈尊は法華経に、
「正直に方便を捨てて 但無上道を説く」(方便品第二・法華経一二四)
と、四十余年にわたって説き続けてきた方便の経経を捨てることを説き、これ以後に説示する法華経こそ最高唯一の無上道であると言われています。また方便の経経に執着していた弟子の舎利弗は自ら、
「世尊我が心を知ろしめして 邪を抜き涅槃を説きたまいしかば 我悉く邪見を除いて 空法に於て証を得たり」(譬喩品第三・法華経一三二)
と述懐していますが、ここにも低級な教えによる考えを「邪見」と称しています。
 また、日蓮大聖人は末法の教主として、
「正直に権教の邪法邪師の邪義を捨てゝ、正直に正法正師の正義を信ずる」
(当体義抄・新編七〇一)
ことが、もっとも大切であると教えています。
 これらのことからも、邪宗・邪法などの言葉は仏の経説にしたがって使用していることがわかると思います。
 ではなぜ他の宗派に対して、攻撃的なしかも刺激の強い邪宗という呼び方をするのかといいますと、個人の苦しみや社会の不幸はすべて邪まな宗教が元凶となっているからであり、言いかえると誤った宗教、低劣な教えがこの世の不幸のたねだからです。
 昭和二十年に広島市と長崎市に投下された原爆は一瞬のうちに何十万人という市民、それもなんの罪もない子供や老人まで無差別に殺戮しました。いま私たちが、核兵器の行使が悪魔の所業であると叫び、この憎むべき不幸を二度とくり返してはならないと訴えるのは当然でしょう。そしてその不幸の原因が戦争であり、戦争は人間社会の誤った思想によって誘発されたことを考えますと、誤った思想が何十万人、いな世界大戦で戦死した人を含めると何百万人、何千万人の命を奪ったことになるのです。このような殺人思想に対して、邪教・魔説と指弾することは言いすぎでしょうか。失礼に当たるから控えるべきなのでしょうか。
 涅槃経に、
「悪象のために殺されては三趣に至らず、悪友のために殺されては必ず三趣に至る」
と説かれています。この意味は災害や事故によって命を失っても地獄・餓鬼・畜生というもっとも苦しむ状態にはならないが、誤った教えを信ずる者は死して後に必ず三悪道に堕ちて永劫に苦しみ続けるということです。
 一切の不幸の元凶となる誤った宗教は、あたかも覚醒剤や麻薬のように、本人も気付かないまま、いつしか次第に身も心もむしばみ人生を狂わせていくのです。
 正しい仏法に目醒めた私たちが、誤った宗教を不幸の根源であると破折し、邪宗と称することは、悪法に対する憤りであり、いまなお知らずに毒を飲んでいる人に対する警告の表われでもあるのです。

【折伏実践のために】

末法は権実雑乱の時
 今末法の世は、「権ごん実じつ雑ぞう乱らん」と言って、正しい教えである法華経を蔑ないがしろにして、間違った教え(邪宗教)が世の中に蔓延はびこる時代です。
 日蓮大聖人様は『如説修行抄』に、
「今の時は権教即実教の敵と成る。一乗流布の代の時は権教有って敵と成る」(御書 六七二㌻)
と御教示され、真実最高の教えである法華経が世に弘まる時には、この真実の法華経を説くための方便として説かれた仮の経々(権教)が世に蔓延り、かえって真実の教えの流布を妨さまたげる敵となることを示されています。
 そしてまた、末法の衆生は、無知無行の衆生と言って宗教に無知であり、真実の教え(正法)があることすら判っていません。そのために、多くの人たちが邪義邪宗の謗法の害毒によって正邪に迷い、悩みや苦しみを背負って生活をしているのが現状です。
 
 不幸の根源は邪宗教にある
 大聖人様は『立正安国論』に、
「世皆みな正に背そむき人悉ことごとく悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相あい去り、聖人所を辞して還らず。是ここを以て魔来たり鬼き来たり、災起こり難起こる」(同 二三四㌻)
と仰せられ、世の中の不幸と混乱と苦悩の原因は、すべて邪義邪宗の謗法の害毒にあることを明かされています。
 御法主日如上人猊下は、
「まさしく、間違った教えほど恐ろしいものはありません。多くの人々を不幸にし、個人のみならず全体を破滅に導き、国土をも破壊するのが謗法の怖こわさであります」(大白法 六九八号)
と御指南あそばされています。
 世の中の真の平和と幸せを築くには、不幸と混乱と苦悩の根源たる邪教を摧くだかなければ、私たち自身の幸せも、世の中の平和も実現することはできません。故に私たちは、こうした謗法の教えである間違った宗教には、声を大にして〝邪宗教〟と指摘し、折伏をしなければなりません。
 
 正しい宗教によってすべての人が救われる
 大聖人様は『諌暁八幡抄』に、
「又一分のしるしある様なりとも、天地の知る程の祈りとは成るべからず。魔王・魔民等守護を加へて法に験しるしの有る様なりとも、終ついには其の身も檀那も安穏なるべからず」(御書 一五三一㌻)
と仰せられ、邪宗教を信じて、一時的に祈りが叶ったように見えても、それは、正しい法を覆おおい隠す魔の所為(行い)であり、ついには身を滅ぼす怖いものであると説かれています。
 世の中において真実がただ一つのように、正しい宗教もただ一つです。釈尊は、法華経『方便品』に、
「十方仏土の中には 唯ただ一乗の法のみ有り 二無く亦また三無し」(法華経 一一〇㌻)
と示され、法華経こそが唯一最高の教えであると説かれました。大聖人様は、『阿仏房尼御前御返事』に、
「夫それ法華経の意は一切衆生皆成仏道の御経なり」(御書 九〇五㌻)
と仰せられ、末法の一切衆生が成仏できる教えは、法華経以外にないことを御教示されています。
 
 正しい御本尊への祈り
 私たちが、幸せな人生を送るためには、正しい宗教を信仰しなくてはなりません。大聖人様は、末法万年に亘って一切の人々を苦悩の闇から救済するために、法華経に予証された通り、数々の大難に遭あいながらも南無妙法蓮華経の大法を説き示され、真実最高の本門戒壇の大御本尊を顕わされました。
 大聖人様の顕わされた三大秘法の御本尊は、一切衆生が正しく救われる教えであり、様々な悩みや苦しみを根本から解決し、すべての人が幸せになることができる最も正しい教えです。大聖人様が『日女御前御返事』に、
「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤もっとも大切なり」(同 一三八八㌻)
と仰せの如く、私たちが正しく救われる真実にして最高の教えとは、釈尊が説かれた法華経ではなく、大聖人様が顕わされた本門戒壇の大御本尊を、正直に信ずることであります。大聖人様は、私たちが御本尊を正しく信ずる功徳によって、すべての人が必ず絶対的な幸福を築けると教えられています。
 
 勇気を出して折伏実践
 御法主日如上人猊下は、
「末法の衆生は自ら進んで法を求めてくるようなことはありません」(大白法 八〇三号)
と仰せになり、さらに、
「世の中の人々に、邪義邪宗の謗法が国土、人心を破壊する根本原因であることを教え、誤った信仰を捨てさせ、『実乗の一善』すなわち御本仏日蓮大聖人の出世の御本懐たる、本門戒壇の大御本尊に帰依することが最善の道であることを伝えていかなければなりません。その具体的実践の方途が、すなわち折伏であります」(同 八二九号)
と御指南あそばされています。
 今こそ私たちは、この御指南を心肝に染め、一切衆生救済の使命を胸に、勇気を出して最高にして最善の大慈悲行である折伏を実践し、邪宗教の邪義を打ち破って広宣流布実現へ進んでいかねばなりません。世の中の悩める多くの人たちに、邪宗教の怖さと御本尊の偉大なる功徳をしっかりと教えてあげましょう。

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