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人相・手相などはどのように考えるべきか

「正しい宗教と信仰」に学ぶ(大白法)
人相術や手相術は今から数千年前に、古代インドに発祥したといわれています。
 私たちの目に写る姿、形の特徴から過去のできごとや、将来の吉凶を判断するのが人相・手相などの観相術です。
 私たち人間の生命は、色心不二といって肉体と精神が一体のものですから、心に大きな悩みや心配ごとがあれば、具体的に色法として相にあらわれます。また内臓などに疾患があればもちろんその特徴が出てきますし、本人の生活信条や性格なども、長い間には姿、形にあらわれてくるものです。
 したがって、表面の人相や手相からその人の性格や健康状態を推測することは、それほどむずかしいことではありません。さらにそれをもとにして将来の予想もある程度できるかもしれません。
 そのほかにも、過去のできごとなど、およそのことを言い当てる占い師もおりますが、だからといって将来を間違いなく見ることができるとは限りません。
 わらにもすがる気持ちで占い師に見てもらう人にとっては、過去が当たったということですっかり信じ込み、未来の予言をうのみにしてしまうのでしょうが、これは、実にあさはかなことなのです。日蓮大聖人が心地観経を引いて、
「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」(開目抄・新編五七一)
と記されているように、現在はまさしく過去の結果であり、未来は現在の果報が現われるのです。したがって自分の未来を占い師などに問い尋ねて一喜一憂するよりも、現在の自分が将来の幸福のために正しい因行を積んでいるかどうかを考えることがもっとも大切なのです。

【折伏実践のために】

人相・手相に頼って将来を判断してはならない
 占いブームや易ブームと言われ、今なお、占いの人気は衰えを知りません。
 世の中が不況になったり、恐ろしい事件や事故が頻発するようになると、「明日はどうなるのだろうか」と不安になり、未来を知りたいと考え、占い師や易者のもとを訪ねる人が多くなってくるものです。その中でも、人相・手相による占いは古くから身近に行われてきました。
 ここで大事なことは、占いの結果を信じて、将来の人生の判断のもととしては決してならないということです。
 仏法では、色心不二と言って、「色法」である肉体と、「心法」である精神とが一体であると説かれます。ですから、心に悩みがあれば顔に出るように、その人の心の迷い、煩悩が長い間に、人相・手相などの相を形作ると考えられます。
 これによって、相を見て占い師が過去の出来事を言い当てたりすることも、可能であると言えます。しかし、それを言い当てたからといって、未来も必ず言い当てることができると考えてはなりません。
 
 因果の理法を教えよう
 仏が宇宙法界の真理、因縁、果報を悟られ、その悟りをあますところ無く説き明かされたのが仏教です。
 その仏教では、森羅万象は原因、結果の法則によるもので、原因のないところには結果は絶対にありえない、と説かれています。ですから、現在の姿は過去に原因があって、その結果としての姿であり、現在が未来の姿の原因となっているのです。
 私たちの身の回りには豊かな人、貧しい人、健康な人、病弱な人、呑気な人、神経質な人、怒りっぽい人、のんびりした人など千差万別で、同じ人はひとりもいません。これと同じように、人相・手相も同じ相の人はいません。
 仏教では、これらの一人ひとりの違いは、すべて過去の業(身の振る舞い、口で話すこと、意で思うこと)が原因であると説かれています。つまり、因果の道理に則のっとってすべての違いがあるのであって、偶然ということは絶対にありえないと示されるのです。
 前御法主日顕上人猊下は、
「現れた形というのはしょっちゅう変わります。人相も変われば境遇も変わりますし、貧乏人が金持ちになったり、金持ちが貧乏人になったりというように、色々と変わってくるわけです。それは種々の因縁によって変わるのですが、つまり悪いことを行えば悪い結果が起こる。また善い縁に値あえば善い結果が来るし、悪い縁に値えば悪い結果が来るのであります」(大日蓮 七一六号)
と。また、
「ともかく我々自身の相は、現在の姿がそのまま永劫にあるものではありません。悪い人間が良くなることもあるし、今、不幸な人も正しい道を行っていけば必ず幸せになっていくのです」(同)
と仰せられ、人相見や手相見の話を聞いて一喜一憂するのではなく、因果の道理を知って、人相・手相は我々の努力で変わるのであり、正しい道を行ずることが幸せへの道であることを気づかなければなりません。
 
 正しい道とは大聖人の教えを行ずること
 占い師によって人相・手相を見てもらい、将来を判断しようとする人に対して、日蓮大聖人は、
「若し彼の変へん化げのしるしを信ぜば即ち外道を信ずべし。(中略)一切衆生の悪知識なり。近付くべからず。畏おそるべし畏るべし」(同 三六六㌻)
と、それらは外道の教えを信ずるようなものであり、決して近づき頼ってはならないと仰せられています。
 私たちは、占い師に頼る他力本願的な生き方を捨てて、自らが発心し、誓願を起こし、精進をし、力強く生き抜く自分を作るという、真実の尊い生き方を身に付けることが必要なのです。
 それには日蓮大聖人の説かれる三大秘法の南無妙法蓮華経の教えを信じ、仏道修行を実践していくことが大切となってきます。このことによって
「妙とは蘇そ生せいの義なり」(同 三六〇㌻)
「わざはひも転じて幸さいわひとなる」(同 六八五㌻)
と説かれるように、過去世よりの一切の罪障を消滅し、いかなる悪業をも幸いへと転換させて、幸せと歓喜と法楽、そして信仰の輝きと即身成仏の実証を厳然と果たすことができるのです。
 そして、
「法華経の法門を一文一句なりとも人にかたらんは過去の宿しゅく縁えんふかしとおぼしめすべし。(中略)僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使ひと見えたり」(同 一五五五㌻)
との仰せから拝すれば、私たちがこの信仰に会えたことは宿世の因縁であり、この御本尊の尊さを一文一句なりとも人に語っていく人は、仏の使いであるとの自覚を持つべきでしょう。
 
 人生を開く折伏行を
 大聖人は、
「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩ぼん悩のう・業ごう・苦の三道、法身・般若・解げ脱だつの三徳と転じて、三さん観がん・三さん諦たい即一心に顕はれ、其の人の所住の処は常じょう寂じゃっ光こう土どなり」(同 六九四㌻)
と、私たち迷いと悩みの凡夫が、三大秘法の御本尊を一心に信仰することによって、その迷いや悩み苦しみが、直ちに仏の説く最高の幸福境界に変わると仰せであり、それまでの幸・不幸に関わりなく、無上の幸福境界を現していけるのです。
 因果の道理に依らず、言葉巧たくみな占い師や易者に大事な人生を委ゆだねることは愚の骨頂です。
 過去・現在・未来の三世をことごとく御照覧あそばす末法の御本仏日蓮大聖人を主師親と仰いで、正しい信仰の道を進むことが最善の正しい人としての生き方であり、御法主日如上人猊下の、
「混迷を極める今日の難局を打開する最善の方途は、すなわち折伏以外においてない事を深く命に刻み、一人も漏れず、破邪顕正の折伏を実践していかなければならないと思います」(大白法 八三七号)
との御指南を体して、一天四海本因妙広宣流布をめざして、折伏実践に立ち上がる人生ほど尊い人生はないことを知らなければなりません。

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和歌山県田辺市の在住、日蓮正宗法華講員です。
宝相寺支部所属。宝相寺は日蓮正宗総本山大石寺の末寺です。人生の悩みなど正しい仏法で乗り越えていきましょう。
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