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特定の宗教への入信は人間関係をむずかしくするのではないか

 「正しい宗教と信仰」に学ぶ(大白法)
 「特定の宗教」とは日蓮正宗を指していると思われます。ひとことで言えば、日蓮正宗に入信することが原因になって人間関係を損ねるということはまったくありません。
 もし特定の宗教に入信することが人間関係に支障をきたすというのならば、宗教に限らず〝特定の学校〟に入ったら旧友と仲たがいするのでしょうか。〝特定の会社〟に入ったら友情にひびが入り、〝特定の政党〟を支持したら親子の断絶が生ずるとでもいうのでしょうか。
 国籍が定まっている人は、〝特定の国家〟の一員であり、住所が定まっている人は〝特定の地域〟の住民です。このように国籍や職場・学校、あるいは政党に限らず、私たちは多くの〝特定の〟社会や集団・組織の一員として生きているのではありませんか。もし国籍も住所も不定であり、所属する職場や学校も定まらず、これといった信念も持っていないならば、その人はまったく信用されないでしょう。
 これが宗教となると、特定の信仰を持つことがいけないような錯覚にとらわれるのはなぜなのでしょう。欧米の人々は自分がひとつの信仰を持つことに大きな誇りを感じ、堂々と自分が信じている宗派を披瀝します。ですから信仰を持っていない人間を心に深みとゆとりのない無教養の人として軽蔑するのです。「特定の宗教……」といって、ひとつの信念を持つことを忌みきらうような言い方をするあなたは、たとえば「私には心から尊敬している人がいます」というより、「私は誰をも尊敬しません」と答える方が、格好がよくて人間関係を損ねない利口な方法だと思いますか。
 あなたが心配している「人間関係」とは、
 ①特定の宗教をもつと考え方や意見が食い違ってきらわれるのではないか
 ②信仰活動によって〝つき合い〟の時間がなくなるのではないか
 ③周囲から色メガネで見られたり、異端者としてのレッテルを貼られるのではないか
などの点であろうと思われます。しかし正しい仏法に帰依して真実の人生を歩もうとすれば、周囲に一時的な変化があるかもしれませんが、いずれ信仰者の姿や言動を通じて周囲も理解を深め、以前にもましてよりよい人間関係が築かれることを確信すべきです。
 実際にあった話ですが、非行グループに入っていた少年がひとつのきっかけで母親の願いを容れて正法を信仰するようになったところ、いつしか悪友たちが遠ざかり、よい友達がふえてその少年は立派に更生した、ということです。
 この少年に対して、あなたは「少年が信仰をしたために悪友との人間関係を損ねたことはよくない」とは言わないでしょう。
 もし周囲に宗教に無知な人がいるならば、こと宗教に関する意見や考え方に食い違いがあるのは当然ですし、その時は誠意をもって正しい仏法を持つことがどういうことかを教えてあげればよいのです。
 日蓮正宗を信仰する人は、信仰によって培った生命力と快活な人間性を発揮して、清浄な人間関係を積極的に作る人々です。現在全世界の正宗信徒は信仰以外の分野においても、おのおのの社会、職場そして個々のつながりを大切にして、日夜向上を計って努力しているのです。

【折伏実践のために】

福徳を具え豊かな人間関係を
 そもそも人間関係の中心には、私たちの〝心〟の状態いかんということがポイントとして挙げられます。
 現代人は、否いや応おうなく競争社会に投げ込まれて、他ひ人とを思いやる温かい心が枯こ渇かつし、〝ぎすぎす〟や〝いらいら〟などネガティブな思いを懐いだく人は少なくないでしょう。
 〝豊かな心〟を育はぐくむことは理屈ではなく、人間のぬくもりの中で互いに実感され、積み重ねられる中で身につくものです。
 言うまでもなく、私たちの人生は、一日一日の積み重ねによって成り立っています。したがって、その人生が真の価値あるものであったか、幸せなものであったか、尊いものであったかは、平常の一日をどのように過ごしたかによって決まります。
 日蓮正宗の信仰は、この貴重な一日の原点として、仏の究極の悟りである本門戒壇の大御本尊を帰き命みょう依え止しの対境と定め勤行・唱題し、その功徳と仏智をもって、尊い人生を築き上げていくのです。
 「有意義な人間関係」を確立するためには、『一生成仏抄』に、
「深く信心を発こして、日夜朝暮に又懈おこたらず磨くべし。何いか様ようにしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云ふなり」(同 四六㌻)
と仰せられ、常に正しい仏法である南無妙法蓮華経の題目を唱え、自らの心を磨く修行をする大切さが説かれています。
 常に身に福徳を具そなえ、成仏の境界を開くとき、私たちは〝実に尊く、そして豊かな人間関係〟を確立する、〝豊かな心〟を持って生活することができるのです。
 
 日蓮正宗の信仰とは
 仏法では、いかなる人にも仏性が具わっており、仏の境界に至ることができるという一念三千の法門が説かれています。その仏ぶ性しょうが発はつ現げんするとき、煩ぼん悩のう・業ごう・苦くの生しょう死じの迷いが転じて、法ほっ身しん・般はん若にゃ・解げ脱だつの悟りへと変わるのです。
 その方ほう途とこそ、宗祖日蓮大聖人が末法万年の衆生を救済するために顕わされた、本門戒壇の大御本尊を根本の対境とし、大聖人の御み教えのまま信行に邁進することです。仏法僧の三宝に報恩・感謝し、随順する清浄な一念が、生命に深く刻まれ、心身に染しみ込み、正まさしく凡夫の身のまま、即身成仏という大利益を得るのです。
 この日蓮正宗の信仰を持たもつということは、日夜尊い御本尊様の徳に浴して、相手の仏性を敬うやまい、自他の幸福を願い精進することです。
 私たちは、真実最高の仏法をもって、心豊かな人格を磨いてまいりましょう。自己を見つめ、他を慈いつくしむとき、本当に充実した「人間関係」が確立されるのです。
 臆おくすることなく、また驕おごることなく、粘ねばり強く真実最高の仏法をもって、各人の仏性を開花させんと祈り、伝えてまいりましょう。

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宝相寺支部所属。宝相寺は日蓮正宗総本山大石寺の末寺です。人生の悩みなど正しい仏法で乗り越えていきましょう。
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