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現代の生き仏,生き神と呼ばれる人がいるが,どうとらえるか

 「正しい宗教と信仰」に学ぶ(大白法)
 現代の新興宗教には、教祖をそのまま神、仏と信じ崇める宗教があります。それらの中で主な宗派としては、天理教の中山みき、大本教の出口王仁三郎、世界救世教の岡田茂吉などが挙げられます。これらはすでに亡くなっておりますが、現身になんらかの啓示を受けて特別な能力を得たといい、神がかり状態になったといわれます。
 現在も数多くの新興宗教や群小教団の中には、〝生き神さま〟と称される教祖がいるようです。では、このような生き神、生き仏と称する人は信用できるものなのでしょうか。もしある人が精神異常をきたし、突然自分は神さまだと言い出したならばどうでしょうか。
 これについて二つの点から考える必要があると思います。その第一は、むかし釈尊が出現される以前には、九十五派のバラモンがあり、その中に生き神と同じような教祖も多くおりました。これに対して釈尊は、すべての世界は因果の原理によって構成されており、因果を無視したり、因果を説かない教えは真実のものではない、と破折されました。
 日蓮大聖人も、これら外道の邪義に対して、
「実に因果を弁へざる事嬰児のごとし」(開目抄・新編五二六)
と仰せられております。
 生き仏や生き神と称する人は、いったいかなる因行を修行して神や仏になったのでしょうか。因がなく、ただ果のみが突然あらわれる奇跡などというものは実際には存在しないのです。
 ですから、もしある日突然、神がかりとなったとしても、因行が説明できない神や仏ならば信ずべきものではないのです。
 第二の点は、生き仏や生き神といわれるものが、はたして真理に体達した聖人や、経典によって予証されているかどうかということです。御本仏日蓮大聖人は、末法の法華経の行者として現実の五濁の世に出現されて、法華経に説かれた予証を体現されたのです。
 これについて大聖人は、
「此等の文のごときは日蓮この国になくば仏は大妄語の人、阿鼻地獄はいかで脱れ給ふべき」(報恩抄・新編一〇一九)
と仰せられています。
 経文に予証されていない生き仏や生き神といわれるものは、しょせん信用するにたりないものであり、少しばかり人間ばなれをした能力があったとしても、衆生を根本から救うべき正法の導師などではないのです。

【折伏実践のために】

 超越者を崇拝する心理
 一般的に「生き仏・生き神」と言えば、「人間を超越した能力の所有者」がイメージされると思います。宗教に限らず、人間には超越者を崇拝する心理があるのです。したがって、人々はいざ救いを求めるときや、自分の力ではどうすることもできない状況に直面した場合に、特別な能力を持つ人物を頼り、困難を解決しようとします。
 こうしたことは、例を挙げればきりがありませんが、古くは空海が挙げられます。空海は、真実とは思えない逸話で塗り固められた人物ですが、大聖人様は空海について『聖愚問答抄』に、
「唐土より三さん鈷こを八万余里の海上をな投ぐるに即ち日本に至り、或は心経の旨をつゞるに蘇生の族途に彳たたずむ。然れば此の人たゞ人にあらず、大聖権化の垂すい迹じゃくなり。仰いで信を取らんにはしかじ」(御書 三九三㌻)
と仰せです。三鈷とは密教の法具ですが、空海が三鈷を中国から日本に投げたところ、海を越え日本に到達したと言われ、また般はん若にゃ心しん経ぎょう秘ひ鍵けんという本を書くと、疫病がたちまちに止み、病気にかかった人が蘇生したと言うのです。空海はこのような特別な能力で、人々の信仰を集めました。
 その他にも世界中に数多くの「生き仏・生き神」がいますが、多くは教祖や追従者によって演出された「特別な能力」に過ぎません。彼らは、超越者を求める心が人間にあることを巧みに利用しているのです。
 
 魔の通力に誑たぶらかされてはいけない
 前述した心理から、人々は超越者と言われる人物を信仰することがあります。
 しかし大聖人様は『聖愚問答抄』に、
「彼の阿あ伽か陀だ仙せんは恒河を片耳にたゝ湛へて十二年、耆ぎ兎と仙せんは一日の中に大海をすひほす。張ちょう階かいは霧を吐き、欒らん巴ばは雲を吐く。然れども未だ仏法の是非を知らず、因果の道理をも弁へず」(同)
と仰せのように、特別な能力を所有する人物がいたとしても、能力の有無をもって、その人物を信仰の対象とする理由にはならないのです。
 その理由の一つとして、特別な能力と、真の利益である成仏は無関係であることが挙げられます。
 ただし、私たちは、このような能力を侮あなどってはいけません。なぜなら「魔の通力」と言うように、魔は利益を与えることで衆生を正法から遠ざけ、成仏を妨げることがあるからです。ですから、特別な能力を持つ者がいたとして、その力で願いが成就する等の利益があったときは、それはかえって、成仏得道の大利益を妨げようとする魔の用はたらきであることを知るべきです。
 
 因果を無視して真の解決はない
 さらに信ずべきでない理由の一つは、「生き仏・生き神」が持つ能力は、因果の道理を弁わきまえていないからです。因果が判然としない特別な能力では、私たちの苦悩を解決することはできません。
 なぜなら『種々御振舞御書』に、
「病の起こりを知らざらん人の病を治せば弥いよいよ病は倍増すべし」(同 一〇六七㌻)
と仰せのように、病気に例えれば、「なぜ病気になったのか」という因を認識せずに病気が治ったとしても、病気の原因が自らの生活習慣等にあったとすれば、それを改めない限り、一時は治ったように見えても、いずれさらに大きな病となって現われます。同様に私たちが、仮に現在、苦悩に囚とらわれた生活をしているとすれば、それは過去の自分に悪業の因があったからです。その因果を弁えた上で、正しい信仰に励み、身口意の三業を調ととのえなければ、苦悩の根本的解決はありません。
 つまり因果を無視した特別な能力で苦悩を逃れても、それは一時のことで、未来にはさらに大きな苦悩として現われてしまうのです。
 ましてや因果は、過去・現在・未来の三世に亘わたるのですから、三世の因果に通達した大聖人様の仏法を信仰する以外に、一切の苦悩を解決する根本的な方法はないのです。
 
 御本仏日蓮大聖人の御力は絶大
 さて、「生き仏・生き神」などと違い、御本仏大聖人様の御力は絶大です。御書等には、蒙古の襲来や北条一門の内紛(二月騒動)等の未来を予証されたことや、竜の口法難における光り物、御入滅の時に大地が震動したことなどが示されています。
 しかし宗教に無知な人の中には、このことから大聖人様を、「生き仏・生き神」と同列に考える人もいますが、それは大きな誤りです。
 大聖人様は御本仏としての御化導を示されたのです。すなわち未来を予証されるのは、三世に亘る因果に通達されているからであり、また大聖人様の御振る舞いによって国土世間が動くのは、依え正しょう不ふ二にの原理からです。
 衆生ですら国土世間へ大きく影響を与えるのです。ましてや大聖人様は、御法主日如上人猊下が、
「『身土』の『身』は大聖人の御身、大聖人の住する処は『土』にして一体不二であります」(大白法 七六九号)
と御指南のように、国土と一体不二ですから、大聖人様の御振る舞いから、国土世間が動くことは当然です。
 したがって、大聖人様は世間で言う「生き仏・生き神」などではありません。大聖人様は五濁悪世の末法において、「生き仏・生き神」に惑わされ、その害毒に苦しむ人々を救済するために妙法の教えを説かれたのです。
 現代にあって特別な能力を誇示し、それを教祖とするような宗教に衆生を救済する力などありません。私たちは、確信に満ちた折伏によって、このことを多くの人々に伝え、大御本尊様のもとへ導いてまいりましょう。

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和歌山県田辺市の在住、日蓮正宗法華講員です。
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