法華経について(全34)
26大白法 平成28年5月1日刊(第932号)より転載
『如来神力品第二十一』
今回は、『如来神力品第二十一』について学んでいきます。
題号の「如来神力」とは、釈尊が滅後の弘通を付嘱するために、十種の神力を現じたことに由来します。
本門流通分のうち、『分別功徳品第十七』の後半から前回学んだ『常不軽菩薩品第二十』までは、釈尊により、功徳流通として滅後末法の信心修行の因果の功徳が説かれ、さらに過去の常不軽菩薩の故事が明かされました。
『如来神力品』以降の八品では、嘱累・化他・自行に約して付嘱流通が説かれます。その中でも当品と『嘱累品』は、嘱累流通に配当されます。
如来の神力
これまでに滅後流通の功徳と信毀罪福の大なることを聴聞した地涌の菩薩たちは、当品の冒頭において、皆揃って釈尊の前に進み出ます。そして、一心に合掌礼拝して次のように申し上げました。
「私たちは、仏の滅後、娑婆世界はもとより、分身の諸仏の滅度の国土においても、広く妙法を弘通いたします。なぜならば、私たち自身も真に清浄な大法を得て、受持・読・誦・解説・書写して供養したいからであります(趣意)」(法華経 五〇九㌻)
すると釈尊は、文殊師利菩薩をはじめとする無量百千万億の娑婆世界に住する一切衆生の前で、大神力を顕わされました。
この神力は次の十種です。
①吐舌相―広長舌を出して上梵世に至らせる
②通身放光―身体中の一切の毛孔(毛穴)から無量無数色の光を放ち、遍く十方世界を照らす
③一時謦欬―広長舌を摂めて一時に咳払いをする
④倶共弾指―諸菩薩が弾指する
⑤地六種動―謦欬と弾指の響きが十方諸仏の世界に至り、大地が皆六種に震動する
⑥普見大会―十方世界の一切衆生が、皆娑婆世界の三仏(釈尊・多宝如来・師子座上の十方分身の諸仏)及び菩薩を見る
⑦空中唱声―諸天が虚空中において、釈尊の妙法説法と衆生の随喜供養を唱える
⑧咸皆帰命―十方世界の衆生が虚空中の声を聞き、合掌し釈尊に帰命する
⑨遙散諸物―華香・瓔珞・幡蓋・諸々の厳身具・珍宝・妙物を、遙か娑婆世界に散ずる
⑩十方通同(通一仏土)―十方世界が通達無礙、一仏国土となる
これらは、爾前迹門では現われたことのない大神力でした。そのことからも、これから付嘱される妙法の功徳がいかに広大無辺であるかが拝されます。
この十神力について、中国の妙楽大師は、『法華文句記』の中で、前の五つは在世のため、後の五つは滅後のために顕わされた、と釈されています。
日蓮大聖人は御本仏の御境界から、
「此の十種の神力は在世滅後に亘るなり。然りと雖も十種共に滅後に限ると心得べきなり」(御書 一七八三㌻)
と、滅後に約して御教示あそばされています。これは、『観心本尊抄』に、
「此の十神力は妙法蓮華経の五字を以て、上行・安立行・浄行・無辺行等の四大菩薩に授与したまふなり」(同 六五九㌻)
と仰せられていることからも明らかです。
十種の大神力が顕わされると、釈尊は上行菩薩を筆頭とする地涌の菩薩たちに対し、法華経の滅後弘通を付嘱されました。
この付嘱は、称歎付嘱・結要付嘱・勧奨付嘱・釈付嘱から成ります。次品『嘱累品第二十二』における「総付嘱」は、一切の菩薩に対する法華経一部の付嘱であるのに対して、当品における付嘱は、本化地涌の菩薩に法華経の肝要を付嘱されることから、「別付嘱」とも称されます。
要を結して受持を勧む(説相の大意)
釈尊は上行菩薩等に告げられます。
称歎付嘱(付嘱の功徳が大なるを称える)
諸仏の神力は無量無辺であるが、その神力を用いて無量無辺百千万億阿僧祇劫という長い間、付嘱のために妙法の功徳を説いたとしても説き尽くすことはできない。
結要付嘱(「四句の要法」に括られた付嘱の内容)
「以要言之。如来一切所有之法。如来一切自在神力。如来一切秘要之蔵。如来一切甚深之事。皆於此経。宣示顕説(要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す)」(法華経 五一三㌻)
しかしながら、枢要を取り妙法の精粋を述べるならば、如来の一切の所有する教え、如来の一切の無礙自在な神力、如来の一切の不可思議の実相、如来の一切の深い因縁果報は、すべて妙法蓮華経に説き明かされている。
勧奨付嘱(修行・起塔を勧める)
したがって、あなたたちは仏滅後、一心に妙法を受持・読・誦・解説・書写し、教説の通りに修行しなさい。どのような国土にあっても、教説のままに修行したとする。それが法華経が在す場所であるならば、たとえ園の中であっても、また林の中、樹の下でも、あるいは寺院や在家の家、殿堂であっても、もしくは山谷・広野であったとしても、そこに塔を建てて供養すべきである。
釈付嘱(修行の功徳を解釈する)
なぜならば、妙法の在す所が、そのまま道場だからであり、諸仏は、そこにおいて悟りを開き、説法をされ、入滅されるのである。
付嘱の法体
以上、四段からなる付嘱において最も大事なのは、肝要となる付嘱の内容を顕わされた結要付嘱です。迹化・他方の菩薩方による誓願を制止された釈尊が、当品に至り、ついに本化地涌の菩薩へと滅後流通を付嘱されたのです。
『従地涌出品第十五』を学んだ際に、地涌の菩薩の外用と内証について概説しました。そのうちの外用の御立場として大切なのは、開近顕遠と結要付嘱の二義を顕わすために出現されたということです。
釈尊は、法華経の肝要を四句の要法に括って上行菩薩に付嘱されました。これを天台大師は、
「結要に四句有り。(中略)唯四なるのみ。其の枢柄を撮って之を授与す」(法華文句記会本下‐四六七㌻)
と、名体宗用教の五重玄の依文として、概略的に釈されています。
これに対して日蓮大聖人は『御義口伝』に、
「一経とは本迹廿八品なり。唯四とは名用体宗の四なり。枢柄とは唯題目の五字なり。授与とは上行菩薩に授与するなり。之とは南無妙法蓮華経なり」(御書 一八〇五㌻)
と、また『三大秘法稟承事』に、
「所説の要言の法とは(中略)寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり」(同 一五九三㌻)
と仰せられています。付嘱の法体を明確に御示しになり、本尊付嘱としての意義が明らかです。
こうして妙法の一切は釈尊から上行菩薩の所有となり、この付嘱の筋目によって末法に上行菩薩の再誕・再往久遠元初自受用報身如来の再誕として御出現されたのが、宗祖日蓮大聖人です。大聖人は、妙法を弘通することで惹起した大小種々の難を忍び、三類の強敵を扣発して一人法華経を身読され、末法の一切衆生救済のために、付嘱の法体を三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊として御図顕あそばされたのです。
応に此の経を受持すべし
付嘱の後、釈尊は義を重ねて宣せられるために偈頌を説かれ、その最後に、
「我が滅度の後に於て 応に斯の経を受持すべし 是の人仏道に於て 決定して疑有ること無けん」(法華経 五一七㌻)
と結ばれています。『如来神力品』における結要付嘱の功徳として、釈尊の滅後、正像時代を過ぎた末法時代においては、妙法を受持する一行に五種妙行の一切が具わり、凡夫の即身成仏があることを説かれて結語とされたのです。
私たちは、法華講衆として大御本尊を信受したとき、深い因縁により、一人ひとりが地涌の流類・地涌の菩薩の眷属であるとの実証を示すことができます。したがって、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年に向けて、大聖人の本眷属であるとの自覚に立ち、妙法弘通に挺身していくことが大切です。