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法華経について㉗

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法華経について(全34)
27大白法 平成28年6月1日刊(第934号)より転載

『嘱累品第二十二』
 当品は本門流通分の付嘱流通のうち、先の『如来神力品第二十一』と共に嘱累流通に当たります。
 先の『神力品』では、釈尊から地涌の菩薩に「四句の要法」の付嘱がなされ、滅後末法の弘通が託されました。
 当品では続いて、すべての菩薩たちへの付嘱が説かれます。

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 摩頂付嘱
 釈尊は、虚空における多宝塔の説法の座より立ち上がって出で、再び大いなる神通力をもって、右の手ですべての菩薩の頭をなでられました。
 そして、次のように述べられました。
「私釈尊は、無量の数え切れないほどの長い年月にわたって、得難い無上の悟りである妙法を習い修行をして、体得してきたのである。そして、今、この大法をすべての菩薩に付嘱しよう。そなたたちは、一心にこの法華経を流布して、広く世の人々を利益していきなさい」
 このようにして、釈尊は三度にわたって一切の菩薩たちの頭をなでて、繰り返して、「私釈尊は、無量の数え切れないほどの長い年月にわたって、得難い無上の悟りである妙法を習い修行をして、体得してきたのである。そして、今、この大法をすべての菩薩に付嘱しよう。そなたたちは、この法華経を受持し、読誦し、広く流布して、一切の衆生に聞かせて理解させ修行なさしめなさい」
と述べ、続いて、次のように説かれました。
「その訳は、仏は大きな慈悲を持って、何事も物惜しみすることなく、また畏れはばかるところなく、人々に仏のすべての智慧を与えることができるのである。故に、仏は一切の衆生にとって法を施してくれる大施主であり、そなたたちも仏にしたがって妙法を学び、信受して、けっして物惜しみの心を生じてはならないのである。未来世において、男性であれ女性であれ、もしこの円満なる仏の智慧を信受しようという者がいたならば、まさにその人が仏の智慧を得ることができるように、この法華経を説き聞かせなさい。しかし、もし信受しようとしない者がいたならば、まず法華経に至る前の段階に当たる深い教えを説き聞かせて、その者らを教化して利益を与え、歓喜の気持ちを起こさせるところから始めなさい。このように法華経を弘通するならば、すなわちそれが諸の仏の恩を報ずることになるのである」
 この釈尊の御言葉を聞いた菩薩たちは、大いに歓び、ますます仏を敬って深く礼拝して頭を下げ、合掌して声を揃えて次のように申し上げました。
「釈尊の勅の通りに実行いたしましょう。ですので、御心配なさらないでください」
 諸の菩薩は、同じ言葉を三度申し述べました。
 そして、付嘱を終えた釈尊は、十方の世界より集まった自らの分身の仏を、それぞれの本土に帰らせるために、
「諸の仏たちよ。もとの国土に戻り、安らかになされよ。また多宝如来の宝塔は閉じて、元のようになしたまえ」
と仰せられました。
 この御言葉を聞いた宝樹の下にいた分身の諸仏や多宝仏、また上行菩薩をはじめとする無数の菩薩たち、舎利弗らの声聞衆に諸天や阿修羅たちは、皆大いに歓喜の心を起こし、当品の説法は終わります。

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 総別の付嘱と三時弘経の次第
 当品の付嘱は『宝塔品』の、
「仏此の妙法華経を以て付属して在ること有らしめんと欲す」(法華経 三四七㌻)
の通命に対する付嘱であり、地涌の菩薩のみではなく一切の菩薩に、釈尊滅後の弘教を付嘱されたことから総付嘱と言います。
 この総付嘱について、大聖人は『曽谷入道殿許御書』に、
「釈尊、然後正像二千年の衆生の為に、宝塔より出でて虚空に住立し、右の手を以て文殊・観音・梵・帝・日・月・四天等の頂を摩でて、是くの如く三反して法華経の要よりの外の広略二門、並びに前後一代の一切経を此等の大士に付嘱す。正像二千年の機の為なり」(御書 七八五㌻)
と仰せられています。この御金言を拝して、別付嘱と対比しつつ、教・機・時の三つから説明します。
 まず教について、法華経を広略要の観点から拝しますと、広の法華経とは一部八巻二十八品を言い、略の法華経とは『方便品』と『寿量品』の二品のことを言います。これに対し、要の法華経とは題目の南無妙法蓮華経のことです。
 この広略要を種熟脱の三益と総別の付嘱から見れば、広略の法華経は熟脱の仏法であり、当品で総付嘱し、要の法華経は文底下種の仏法として上行菩薩に結要付嘱(別付嘱)されました。
 次に機と時からみれば、釈尊の滅後は正法・像法・末法の三つの時代があります。
 このうち正像二千年は総付嘱された法華経弘通の時代となり、末法は別付嘱の法華経の時代となります。
 つまり、正像二千年の衆生は既に過去に下種を受けた本已有善の衆生であるため、総付嘱にしたがって、広略の熟脱の法華経が弘められました。
 それに対し、末法の衆生は未だ過去に下種結縁を受けたことのない本未有善の衆生であるため、別付嘱にしたがって地涌上行菩薩が出現して、要の法華経である文底下種の南無妙法蓮華経を弘められる時代なのです。
 この末法出現の上行菩薩とは、正しく宗祖日蓮大聖人の御事であります。さらに本宗の御相伝によれば、ここに外用は上行菩薩、内証は久遠元初の自受用報身如来であられることが拝されるのです。
 こうした付嘱にしたがって、正像時代には迹化薬王菩薩の再誕である天台大師や伝教大師が現われて、広略の法華経を弘められました。
 そして、日蓮大聖人は、末法時代に御出現されて結要付嘱の要法を三大秘法として御建立されたのです。

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 五老僧の異解
 ところが大聖人の弟子檀那の中で、この立て分けを正確に理解されたのは、日興上人とその門流だけでした。
 そのために五老僧の申状では、それぞれが「天台の沙門」や「天台法華宗の沙門」と名乗り、大聖人は「天台の余流を酌」むなどと述べているのです。
 それに対して日興上人は、
「夫日蓮聖人は忝くも上行菩薩の再誕にして本門弘通の大権なり(中略)今末法に入っては上行出世の境、本門流布の時なり。正像已に過ぐ、何ぞ爾前迹門を以て強ひて御帰依有るべけんや。就中天台伝教は像法の時に当たって演説し、日蓮聖人は末法の代を迎へて恢弘す、彼は薬王の後身此は上行の再誕なり、経文に載する所、解釈炳焉たる者なり(中略)何ぞ地涌の菩薩を指して苟しくも天台の末弟と称せんや」(同 一八七六㌻)
と、末法の今時は結要付嘱を受けた上行菩薩の再誕である大聖人が、寿量文底秘沈の大法である南無妙法蓮華経を弘められる時であり、天台大師・伝教大師は総付嘱を受けた薬王菩薩の後身として、文上熟脱の法華経を弘めたのであると明確に示されています。
 日興上人は、このように天台・伝教と大聖人の立場が異なることを奏上され、五老僧の誤った考えを厳しく指摘されております。
 私たちは、法華経の総別の付嘱と正・像・末の三時における弘経の次第をしっかりと学び、大聖人より連綿と血脈を御相承された御法主上人猊下の御指南を根本に、信心修行に励んでまいらねばなりません。
 さあ、平成三十三年の御命題成就をめざして、折伏に邁進していきましょう。

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