法華経について(全34)
29大白法 平成28年8月1日刊(第938号)より転載
『妙音菩薩品第二十四』
今回は、『妙音菩薩品第二十四』について学んでいきましょう。
当品は、本門流通分の付嘱流通中、化他流通の三昧乗乗に位置しています。
三昧乗乗とは、三昧(精神を集中させて安定した状態)という境界に入って法華経をもって衆生を導くことを言います。
前回の『薬王菩薩本事品』では、薬王菩薩が過去世において、長い年月の間、自分自身を灯して法華経と法華経を説いた日月浄明徳仏を供養して、妙法の悟りを得た故事が説かれました。
今回の『妙音菩薩品』では、遥か東方にある浄光荘厳世界の浄華宿王智如来の弟子である妙音菩薩について説かれます。
妙音菩薩の来至
当品ではまず、釈尊は肉髻(頭の盛り上がっている部分)と眉間の白毫から光を放ち、東方にある無数の仏の国を照らしました。
その光は遥か浄光荘厳世界に及び、その世界を見たところ、そこでは、浄華宿王智如来が、大勢の菩薩たちに囲まれて説法されている姿が見えました。
その中に妙音菩薩という一人の菩薩がいました。この妙音菩薩は、長い間、数々の徳を積み、多くの仏様にお仕えして、深い智慧を得て、法華三昧をはじめ、様々な三昧を得ていました。釈尊の放つ光が妙音菩薩を照らすと、妙音菩薩は浄華宿王智如来の前に進み出て、
「私は娑婆世界へ赴いて釈迦如来を供養申し上げ、また文殊菩薩や薬王菩薩たちにお会いしたいと存じます」
と願い出たのです。
すると浄華宿王智如来は、
「妙音菩薩よ、娑婆世界をけっして軽んじて下劣の思いを起こしてはならない。娑婆世界は、様々な汚れで満ちている。釈迦如来や菩薩たちの体も非常に小さい。対してお前も私も、体は非常に大きい。またお前の体は端正で福徳で光り輝いている。だからと言って、娑婆世界へ行って、仏や菩薩、国土をけっして軽蔑してはいけない」
と誡められました。
これに対して、妙音菩薩は、
「よく承知しております。娑婆世界へ行くことは、皆如来の力、如来の功徳や智慧によるものであります」
と答えました。そして、その場で身を動かすことなく三昧に入り、三昧の力をもって、娑婆世界の霊鷲山の周りに、八万四千もの宝で出来た蓮華を出現させました。
霊鷲山では、これらの宝の蓮華を見た文殊菩薩が、
「どのような因縁によって、このような瑞相が現われたのでしょうか」
と釈尊にお伺いしました。釈尊は、
「これは妙音菩薩が浄光荘厳世界から、八万四千のお伴の菩薩たちとこの娑婆世界へまいり、私と法華経を供養しようと願って現われた瑞相である」
と答えられました。さらに文殊菩薩は、
「その妙音菩薩という方は、どのような修行をして、どのような功徳を積んで、この大神力を得られたのでしょうか。どうかその三昧の名前を教えてください。勤めて修行をしたいと思います。また、神通力をお使いいただき、妙音菩薩が来られたとき、その姿、振る舞いを私共が拝見できるようにしていただけますでしょうか」
とお願いしました。
釈尊は、
「その願いは多宝如来が叶えるであろう」
と仰せになり、多宝如来が妙音菩薩に呼びかけられると、妙音菩薩はお伴の菩薩と共にこの娑婆世界にやって来られました。途中で通過した国々は六種に振動し、七宝の蓮華が降り、天の音楽が自然に鳴り響きました。この菩薩の目は大きな青蓮華のようで、百千万もの月を合わせても、その端正な顔には及びません。身は金色に輝き、三十二相が具足し、堂々とした体格です。
妙音菩薩は、釈尊の足元に進み出て、お持ちになった宝物を釈尊に献上し、次のように申し上げました。
「浄華宿王智如来より、釈迦如来にお伺いするよう言われました。釈迦如来はご機嫌麗しくお元気にてお過ごしでしょうか。世間はいかがでしょうか。また多宝如来もお元気にて、長く娑婆世界に留まられるでしょうか。私もぜひ、多宝如来にお会いしたいと思います」
すると釈尊はこの旨を多宝如来に伝えると、多宝如来は妙音菩薩を愛でて、釈尊と法華経を供養するために来たことを褒め称えました。
三十四身普門示現
妙音菩薩たちの荘厳な姿と振る舞いを見た華徳菩薩は、釈尊に、
「妙音菩薩はどのような修行をして、功徳を積み、このような神力を得たのでしょうか」
とお伺いしたので、釈尊は次のように答えられました。
「遠い昔、雲雷音王仏が現一切世間国という国に出現された。その時、妙音菩薩はこの仏に、一万二千年もの長きにわたって種々の音楽を奏でて供養し、さらに八万四千の七宝の鉢を供養申し上げたのである。この因縁によって、浄華宿王智如来の国に生まれ、この神力を得たのである。
華徳菩薩よ、妙音菩薩は仏に仕え、久しく功徳を積んだので、梵天王・帝釈などの善神、また国王や長者、修行者や信徒、子供の姿、竜や阿修羅、さらには地獄に住む者の姿など、三十四の自在の身を現わして法華経を説き、様々な国土で人々を救済するのである。さらに、声聞・縁覚・菩薩・仏等の形を現わし、人々のために法を説くのである」
このように説明を受けた華徳菩薩は、重ねて、
「それでは、妙音菩薩は何という三昧に入ったことにより、このような自由自在の身を現わして人を導くのでしょうか」
とお伺いしました。そこで、釈尊は教えられました。
「それは現一切色身三昧と言う。この三昧に入って、一切の人々を利益するのである」
このように妙音菩薩について説かれたとき、娑婆世界の無量の菩薩は、現一切色身三昧を得て、華徳菩薩は法華三昧をも得ることができました。
妙音菩薩は、釈尊と多宝仏塔の供養を終えて元の国土に帰られ、浄華宿王智如来に、娑婆世界で供養したこと、またお伴の八万四千の菩薩と娑婆世界の菩薩たちに現一切色身三昧を体得させることができたことをご報告しました。
以上で『妙音菩薩品』は終了します。
利根と通力とにはよるべからず
妙音菩薩たちが体得した現一切色身三昧とは、一切衆生の色身を現わす三昧を言います。つまり、相手に応じて三十四身という自由自在の身を現わし、妙法を弘通して導くことを言います。
ここで大切なことは、いかに優れた神通力や三昧を得たとしても、その根本には必ず妙法が存するということです。いかに超能力を謳ったとしても、仏法の根本は寿量文底の妙法にあるのですから、ここから離れた神通力や超能力を基としたなら、それは邪道であり、魔の通力に堕すことになるのです。
したがって、大聖人様は『唱法華題目抄』に、
「但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず」(御書 二三三㌻)
と明確に法の邪正によって判断すべきであり、通力などに頼ってはならないと誡められております。
また、大聖人様は『御義口伝』に、
「妙音とは今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る事、末法当今の不思議音声なり」(同 一七八七㌻)
と仰せであります。
すなわち、妙音菩薩が一万二千年にわたり、妙音の演奏をもって御供養申し上げて積んで得た功徳と力用も、寿量文底の大法たる南無妙法蓮華経に収まるのです。
故に私たちが、三秘総在の御本尊を堅く受持し、自行化他にわたる妙法の信行に励むところに、妙音菩薩の功徳と力用が現われることを知り、唱題に唱題を重ね、さらなる折伏に邁進し、本年の誓願を必ず達成すべく、精進してまいりましょう。