諸宗教破折2
もうすぐ正月を迎えるこの時期は、有名占い師によ次年を占った本が多数出版される。また、元日には初詣に行き、くじを引いて一年の運勢を占う人も少なくない。
占いとは、運命や未来など、先の見えないことを予言するものだという。最近では「占いは古代から研究された学問」「取り入れることで生活はより良くなる」「著名な経営者も占いをしている」などと、旧態のオカルト的イメージを払拭し、占いを人々の生活に浸透させようとしている。
悲しいかな。その目論見通り、情報番組や雑誌では占いの特集が組まれ、占い番組が放映されるほどに人々の関心を引くようになっているようだ。
占い依存にご注意を
一口に占いといっても、多種多様であり、大きく三種に分けられる。
①命…占星術や四柱推命、数秘術など、生まれ年月日、時間から占い、生まれてから死ぬまでの毎日の運勢が判るとされる。
②朴・・・おみくじやタロットカードのように、偶然の結みいだ果の中から意味を見出そうとする占い。
③相手や顔の相、家の配少置、姓名判断など、物の相を見て占うもの。
また、占いはその入り口も多様化され、昔ながらの占い屋敷で行う対面によるか 占いだけでなく、電話やメールなどの通信機器も用いられ、二十四時間いつでも占いを受けられる。
その手軽さから、事ごとに占い師へ電話してしまう「電話占い依存症」や、様々な占い師を渡り歩き自分の意に添う占い結果を求める、「占いジプシー」と呼ばれる者も出てきた。
さらに、占いに依存する者は、自分で判断する力が損なわれ、「占いの通りに生きなければ」と、時に人間関係をも崩すことがあるという。
当然のように、電話占い利用時間、メッセージを用いる占いでは送受信数によって金額がかさむ。なかには月々十万円を費やす人や、占いを契機に高額な水晶やお守りを購入するなど、金銭トラブルに発展する例もあるようだ。
台本通りの占い
そもそも、占いの信憑せい とはどれほどだろう。現役の占い師は、「手品みたいなもので、台本があれば誰でもできます」と言い、占い師には資格はなく、教科書を使えば誰でもなれるらしい。要は話し方であり、占いには、誰にでも当てはまるようなあいまいな表現をする「バーナム効果」や、受け手の信じたいものや期待に添う情報を与えるという「確証バイアス」というテクニックがある。
また、占いとはポジティブな内容よりも、ネガティブな内容のほうが印象に残り、当たっていると感じやすいという研究結果もあるようだから、良くない占い結果が心に残り、強迫観念る となって自分を追い詰めることになりかねない。
占いを求めることなかれ
要するに、占いとは一部当てはまっていることを強調して「当たっている」とな 錯覚させるもの。迷い苦し喫す む心に付け入られ、心理操作されているだけなのだ。
人々が占いに求めることは、自分の肯定と、未来への安心感であり、背中を押してくれる言葉であろう。
しかし、偶然に出たくじの結果や人の相など、無関係な事柄を意義づけることは因果なき所業であり、これを仏法では外道という。
厳しい言い方をするが、占いによって現在の問題の解決も、平穏な未来も手にすることはできず、むしろつな謗法へ繋がることから堕地獄の因となるのみである。
ゆえに日蓮大聖人は『開月抄』に、心地観経の、
「過去の因を知らんとせば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」(御書 五七一ページ) との文を引かれ、現状を変えるには、自らが因となる善行を行うべきと御教示である。 善行とは、大聖人が顕わされた妙法蓮華経の教えを受持信行することに他ならない。
「一年の計は元旦にあ部 り」といわれる。正月という節目にこそ、と 自分の信行を見直すともに、占いに惑わされる人たちを正法に導いていこうではないか。
(大白法令和6年12月16日号より転載)