光明
宗祖日蓮大聖人御聖誕七百九十九年の御誕生会を迎えた。八百年の大慶事まで一年。
本年の御誕生会には、ぜひ講中一同、異体同心して「御命題達成」の志を再確認したいものである。
『生死一大事血脈抄』に、「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云いなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。 若し然らば広宣流布の大願も叶ふべき者か」(御書 五一四ページ)
との御文が拝される。
異体同心の異体とは、個々人や個性の違いである。けっして同体ではない。しかし同じ志で同心したチームに参画すると、互いに協力し切磋琢磨して、各自の持ち分や力量をも増していくという。それが大きな目標の達成に繋がるのである。いわば、異体同心の和は、掛け算となって表われるのである。
翻って、法華講員も一人ひとりの姿・形はもとより、生まれも育ちも、過去世の宿業も、皆異なっている。
しかし同じものを有することも見逃してはならない。それは本門戒壇の大御本尊を信じ、本門の題目を唱え、信仰を実践していることである。
講中が同じ信心の志を持ち、一緒に同じ題目を唱え、大御本尊に、日蓮大聖人に、日興上人・日目上人乃至歴代上人に、心から御報恩謝徳申し上げると、各々異なった個性ながら、同じ仏界の命を同一時に現し、そこは仏国土となる。
何故なら、同じ信心の血脈のもとに講中全体が大御本尊と確かに繋がることで、大御本尊から涌き出る妙法法水の功徳が、一人ひとりという枠を超え、相乗的に講中全体を潤していくからである。
そして、こうした講中全体の自行の充実があってこそ、「異体同心の化他折伏も成就する。それが本年の「御命題達成」だと確信したい。
要は異体同心の信行である。
(雄)