大白法 平成28年2月16日付
因果の「因」とは原因、「果」とは結果のことで、仏法における最も基本かつ重要な法則を言います。
一切の事物の原因には必ず結果があり、過去・現在・未来の三世を通じる因果の法則により、行為や言動、思考などのすべての原因が、後にその報いとして善悪の結果(果報)を体や心に受けるのです。
大聖人様は、その論証として『開目抄』に、
「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」(御書571)
と、『心地観経』を引かれています。
また、「因」という直接的な原因だけでは結果は生じません。因を助ける「縁」という間接的な原因があって、初めてその果報を生ずるのです。
そして、この「果報」が次の因や縁となる故に、因果は三世に亘って繰り返していくのです。
我々が成仏という最高の果報を得る方途も、この道理と同じであり、最高の因縁に依らなければなりません。
よって、善き結果(成仏)を得るためには正しい教えや本尊に対して善き原因(修行)を積むことが大切であり、反対に、間違った教えや本尊に対して修行をすれば、かえって悪果を得て苦しむことになってしまうのです。
これを善因善果、悪因悪果と言います。
また、因果には、本来原因から結果への経過において時間的な差が生じます。
釈尊が法華経以前に説かれた爾前経には、衆生が生死を繰り返し、長い間修行を重ねて煩悩を断じ、最後に仏の境界に至る修行法として歴劫修行が説かれるように、結果には長い修行期間(原因)を経なくてはならないと説かれています。
しかし、大聖人様は、『観心本尊抄』に、
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を護り与へたまふ」(同653)
と説かれるように、大聖人様の御法門は、仏様の因行(成仏の原因となる修行)と果徳(修行の結果として得た悟りの功徳)の両方が具わっているのです。
よって、我々が本門戒壇の大御本尊に向かって真剣に勤行・唱題に励む修行には、受持即観心の義によって、直ちにその身そのままの姿で成仏という最高の境界に至ることができるのです。
★ポイント
前御法主日顕上人猊下は、
「仏法においては 身は心の従と教えており、身体は心の善悪に従ってあらゆる変化が生じ、そこに種々の病気や不幸か現れるのであって、その病気の元は過去・現在・未来の三世にわたる心の因縁果報に存するのであります」(大白法609号)
と御指南されています。このように、現世における病気や不幸の原因は、すべて心の善悪によるものなのです。