(令和4年12月4日 於 総本山客殿)
本日は、本年十二月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には依然として新型コロナウイルス感染症の勢いが止まず、各所で様々な障害が出ているなか、信心強盛に参加され、まことに御苦労さまでございます。
さて、本年も既に師走に入り、 残りあとわずかとなりましたが、皆様には本年度の折伏誓願達成に向かって、日夜、御奮闘のことと思います。
申すまでもなく、折伏誓願の達成は、私どもが御宝前に固くお誓い申し上げたことでありまして、何があっても反故にすることなく、講中一緒・異体同心し、一時なりとも無駄にせず、全力を傾注していかなければなりません。
大聖人様は『開目抄』に、
「つたなき者のならひは、約束せし事まことの時はわする>なるべし」(御書 五七四ページ)
と仰せであります。
この御文を拝する時、私どもは改めて年頭に御宝前に誓った折伏誓願は、講中の総力を結集して達成しなければならない大事な目標であることを確認し、時を惜しまず、誓願達成へ向けて折伏を行じ、「つたなき者」との名はなんとしても避けなければなりません。
大聖人様は『唱法華題目抄』に、
「末代には善無き者は多く善有る者は少なし。故に悪道に堕せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒鼓の縁と成すべきか。然れば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事あらそ
諍ひ無き者をや」(同 231ページ券)
と仰せであります。
この御文中の「毒鼓の縁」とは、既に皆様方には御承知の通り、毒を塗った太鼓を大衆のなかで打つと、聞こうとする心がなくとも、その音を聞いた者すべてが死ぬと言われております。 これは、法を聞こうとせず反対しても、やがて煩悩を断じて得道できることを毒鼓、毒を塗った太鼓を打つことに譬えているのであります。
つまり、耳根得道という言葉がありますように、一切衆生には皆、仏性が具わっております。たとえ聞こうとする心がなくても、正しい法を耳にしたことが縁となって成仏できるわけでありますから、順縁の衆生はもとより、たとえ逆縁の衆生であっても、三大秘法の南無妙法蓮華経を聞かせることによっ
て正法と縁を結ばせ、救済できるのであります。
まさに、この御文を拝する時、今こそ、私どもは一人でも多くの人々に妙法を下し、結縁せしめていくことが、いかに事であるかを知らなければなりません。
特に現今の世情を見ますと、新型コロウイルス感染症によって末法濁悪の世相そのままに、混沌とした状況を呈しておりますが、この混迷を脱却するためには、一人ひとりが「立正安国論』の御聖意を拝し、妙法広布を目指して、破邪顕正の折伏に立ち上がることが最も肝要であります。
大聖人様は『聖愚問答抄』に、
「今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行して力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めとなり。取捨其の旨を得て一向に執する事なかれと書けり。 今の世を見るに正法一純に弘まる国か、邪法の興盛する国か勘ふべし」(同四〇三ページ)
と仰せであります。
されば私どもは、この御金言を拝し、一人ひとりが妙法広布への使命と断固たる決意をもって、異体同心・一致協力して折伏を行じ、もって仏祖三宝尊へ御報恩の誠を尽くされますよう心から念じ、本日の挨拶といたします。
(大白法令和4年12月16日号より転載)