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亀の報恩

仏教説話

亀の報恩

寛平(かんぴょう)法皇(宇多天皇の出家後の称)の昌泰元(八九八)年十月二十日、法皇は大井河の紅葉叡覧のために御幸(ごこう)した。

 その時、和泉大納言定国が供奉(ぐぶ)していた。嵐山の山嵐(やまおろし)が烈しく吹いたので定国の烏帽子(えぼし)は河に吹き飛ばされたが、取るにも取れなかった。

 定国が袖で髻(もとどり)を抱えていると、御幸に随行していた如無僧都という人が香爐(こうろ)箱から烏帽子を取り出して差し上げたので、人々を驚かせることになったが、これは高名である。

 山陰中納言が大宰大弐(だざいだいに)として二歳になる子息を連れて筑紫に下った。

 河尻より船に乗り、海に浮かんで漕いでいると乳母(うば)がどうしたのか、うっかりしてか子供を海中に落としてしまった。中納言はあわてて騒いだけれども茫々とした水底では、どうにも救いようがなかった。

 けれども、二歳の子供は遥か沖の波に浮かんで流されずにいた。船を漕いで近付いてみると大きな亀の甲に乗っていた。子を抱き上げ、船内に入れると亀は船に向かって涙を流していた。

 中納言は不思議に思い、亀に向かって、

 「この有り難い志は言葉では言い尽くせない。本当に有り難う」。

 と言うと、亀は海に潜って姿を消した。

 その夜、夢に亀が現れて言うには、

 「この若君の母御前は、昔、御宿願があって、天王寺詣りをしていました。その時、渡辺(わたなべ)の橋のほとりで漁夫が鵜飼(うつかい)亀を取りつつ、私を殺そうとしました。

 母御前は哀れに思い、御自分の御小袖で買い取り、『おのれは畜生だけれども、この志を思い知れ、遠き守りとなれ』と言って河中に放してくれました。

 その亀とは私でございます。生々世々に忘れられず思っており、折々に守っておりましたが、生死の習いの悲しさ、母御前はこの若君をもうけて去年、亡くなってしまわれました。

 今はこの幼き人を守り、夜も昼も御身近くにおりました。筑紫に下向されましたので、私も御船に添って下っておりましたところ、継母が乳母を言いくるめて海に沈めましたので、甲の上に載せて助け、昔の母御前の御恩に奉じたのです」。

 大納言は、そこで夢から覚めた。彼の二歳の幼人とは、如無僧都のことである。

 これは『宇治拾遺』や『源平盛衰記』に見え、畜類の報恩を記したものである。

(歴代法主全書八巻)

(高橋粛道)

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