商那和修
商主は王舎城の長者であった。ある時、五百人の賈客(こきゃく)と共に大海を渡って珍宝を得ようと出発した。すると道中で一人の僧に出会った。僧は重い病気に罹(かか)り、瀕死の状態であったので、そのまま放置するに忍びず、薬草を与えたり、色々と手を尽くして看病した。そのかいあって何日かして漸(ようや)く快方に向かい、遂に病を克服し体力も回復してきた。
僧は商那衣[商那とは草の名で、この草を紡(つむ)いで織った衣(ころも)で赤色]といわれる衣を身に纏っていたが、ヨレヨレで何ともみすぼらしく見えた。商主は、僧のために諸々の香湯を沸かして沐浴(もくよく)させ、さらに、
「あなたの衣は非常に粗末なので私の衣服を受け取ってください」
と、上等の衣を差し出して御供養申し上げた。すると、僧は自分の着ている衣を指して、
「私は、この衣を着て出家成道し、この衣を着て涅槃するでありましょう」
と言い、さらに、
「汝は僧に衣を供養した功徳により、未来に必ず大果報を得るであろう」
と言い終わって虚空に飛び上がり、十八変を現じて、そのまま涅槃に入った。
眼前に、この奇瑞(きずい)を見た商主は啼哭(ていこく)し、多くの香木を積み、尊体を茶毘(だび)に付してのち、舎利を収集して塔を建てて供養した。続いて商主は、
「私は、来世には聖師に値遇(ちぐう)して、あらゆる威儀、功徳、衣服を具して今の如くなりたい」
と誓願を発(おこ)した。
この願力によって商主は人(にん)に生を受け、衣を着たまま母の胎内から生まれた。そして衣は商主が成長するに従って長く大きくなるのであった。
そして夏は薄く軽く、冬は厚く暖かく、春は青く、秋は白く変わり、いつも垢(あか)に穢(けが)れることもなく、膚(はだ)が雨に濡れることもなかった。
そののち、商主は阿難を礼して出家した。すると身に着ていた衣は変じて袈裟となった。得度し涅槃に際しても、けっしてこの衣(=商那衣)は僧の身体から離れることがなかったので、この因縁から僧を商那和修と言うようになったのである。
後年、商那和修の袈裟はひどく朽ちてきたので、これは仏法隠没(おんもつ)の相ではないかと恐れたのである。
これは『付法蔵因縁伝』に説かれている。日寛上人は「衣を施(ほどこ)した功徳を説いたものである」と仰せである。
(歴代法主全書八巻)
(高橋粛道)