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伝統的な欺瞞体質 浄土真宗

諸宗教破折
11/20/2016

悪人正機
浄土真宗の開祖・親鸞は、
「善人でさへ極楽に往生するのだから、悪人が往生することは言うまでもない(趣意)」
(浄土真宗の常識 二八ページ)
などと言う。悪人をも救済するのは大乗仏教の優れた所以であるが、善人よりも悪人のほうが
往生しやすいとは、どのような理屈によるものだろうか。
善因善果、悪因悪果とは仏教の大綱であり、これを無視した教えは、もはや仏教ではない。
昨今の日本の諸相を見れば、親が子を殺し、子が親を殺すなど、思いもよらない悪が充満している。
「悪いほうがいいんです」と嘯(うそぶく宗教に、世間を浄化する力がないことは明らかだ。

他力本願
浄土真宗では「他力」(阿弥陀仏の力)の救済に頼り、「自力」を徹底的に否定する。
では「自分」はどんな態度でもいいのか。
この宗派独特の”ぐうたらぶり”がよく表れているのが、
「法蔵菩薩という菩薩が(中略)『頑張りなさい』『努力しなさい』『悔いなく生きなさい』
などと、私に願いや理想を告げるのを止めたというのです。」(同 三六㌻)
という教えだ。
努力することを評価しない宗教に未来はない。
なにせ、寺院参詣する努力や朝夕のお勤めをする努力は無用となる理屈だ。ならば、自宗を世の中に普及する努力もやめれば、いかがなものか。

西方極楽浄土
あらゆる方角のうち、なぜ、西方なのか。
「なるほど浄土真宗」では、西を夕日の沈むところとして、
「言い表すことのできない感動的な光景(趣意)」(該書 一四㌻)
だと賞賛している。
たしかに感動的だが、例えば同じように朝日に感動する人もいるだろう。
結局”西”に限定すべき根拠は該書には見当たらない。
西方極楽浄土を言うならば、東方浄瑠璃世界など、十方(あらゆる方角)に無数の仏様がおられ、
あらゆる浄土が存在する。
”西”でなければならぬ理由を示して見よ。

往生と成仏
往生というのは「ある場所に生まれ変わる」ことで、成仏とは「悟りを開く」ということだ。
言うまでもなく仏様は、悟りを開いた事で仏となり、あらゆる苦悩から離れられたのだ。
仏様が人々の苦悩を除くために示す道は、成仏への道に他ならない。
対して、浄土真宗で言う「往生」とは、「苦しみに満ちたこの世を離れ、悪に満ちた我が身を離れて、
とりあえず西方の極楽浄土に往生しましょう。しかる後に成仏をめざしましょう」というものだ。
ならば問う、私たちが生きているこの世は荒んだままでもいいのか。
今生の我が身や家族は不幸のままでも仕方ないのか。なぜ西方浄土に限定するのか。
それほどまでにすばらしい西方浄土から、さらに成仏をめざす意味があるのか。
直接「成仏」への道を示した釈尊の教えを黙殺するのはなぜか。
すべての教えが矛盾と欺瞞に満ちている。
人生の苦境に立たされた時、本当にその人を救ってくれるのは、どのような教えだろうか。
心身共に疲弊しきった人に「来世は極楽に往生しましょう」と言ったらどうだろう。
実際、中世においては「捨身往生(しゃくしんおうじょう)」と言う自殺行為が流行していたという。
言うまでもないが、現実逃避からは本当の幸せは生まれない。
法華経の教えは、これとは正反対だ。仏様は我々一人ひとりの境界を、けっして否定したりはしない。

「我此土安穏 天人常充満」(法華経 四四㌻)

と説かれるように、我々の住むこの娑婆世界(穢土)は、もとより仏様の領する浄土なのだ。
我々個人もまたしかり、我々の命には仏様の命が具わっており、南無妙法蓮華経の御本尊に帰依することで、その命を開く事ができるのだ。
ただ、我々の内にある「煩悩」が、その真実相を覆い隠しているに過ぎない。

(大白法 平成28年5月16日号より)

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