諸宗教破折
日蓮大聖人の御化導は「立正安国会に始まり、立正安国当に終わる」と言われる。そして安国論には、
「災難や不幸の原因は誤った教えにあり、それらを破折し正法を受持することにより仏国土が建設され衆生は幸せになる、と説かれる。
ここに言う正法とは、釈尊の仏法ではなく、釈尊の予証通り御出現あそばされた日蓮大聖人を御本仏と拝し、大聖人が末法万年の一切衆生のために顕わされた御本尊を根本とするところに存する。
大聖人滅後、血脈相承を受けられた日興上人が門下を御教導されていたが、敵対する僧俗が現われた。
日蓮宗の祖となる六老僧の一人・民部日向と、一味である身延の地頭・波木井実長がそうである。
日向は画師に絵曼荼羅を描かせ、波木井実長は日向に唆されて、仏像を造立したり邪宗寺院に参拝、供養をするなど、『安国論』の教えに反する謗法行為を犯した。釈尊に執着して、大聖人の教えに心伏随従できなかったからである。
日興上人は、これを機に本門戒壇の大御本尊、御霊骨を捧持して身延の山を下りられた。「源濁れば流れ清からず」という中国古典の諺を『十章抄』に引かれる通り、今もなお、謗法の姿が続いている。
笑止千万日蓮宗の慶讃
そんな日蓮宗は本年、日蓮聖人降誕八百年慶讚大法要」を行った。 法要は管長が千葉の誕生寺に出向いて行い、前日に十六人の僧侶が褌一枚で水を頭からかぶり。慶讃』したそうだ。水をかぶる意味はどこにあったのか……不明だ。また事業の一環として、高名なアーティストに「法華経画」を依頼。大々的に披露し、法要で供えられた。
曼荼羅の御相貌を擬人化したその絵は、中央に釈尊、その足下に大聖人、四天王なども描かれている。
「釈尊より大事なる行者」(御書 1159ページ)
である大聖人の曼荼羅本尊を娯楽のように描かせ、挙旬、釈尊を中心に据え、大聖人をその足下に描くとは冒涜も甚だしい。
描き手はイラストレーターとしては一流である。精いっぱい、末知の世界である法華経について尋ね、考察して形にしたずだ。教える方の日蓮宗が正しく、知らないのだから無理もない。しかし、そもそも「絵」を描いてもらおう!」という日蓮宗の発想には、民部日向も顔負けだ。
また日蓮宗には、寺院参詣を促すためのアプリケーョンがあり、国内寺院へ参詣すると「参る(マイル)ボイン」が貯まって特典や記念品と交換できる。参詣だけでなく、首題 (日蓮宗信徒専用のもので、題目が書かれ寺の印が押される)や御朱印等を買わせるのが狙いだ。特にこの時期、多くの寺院で、「記念」「特列」と箔をつけていろいろ販売している。ちなみに誕生寺では「特別御朱印好評販売中」と宣伝していた。釈尊を本仏と崇める彼らに、は、大聖人の御聖誕記念も金儲けの材料でしかない。
無間地獄日蓮宗
法要の中、日蓮宗管長選が次のように発言していた。
「今は世界はコロナによる大惨状になっております。この惨状の源は、私達人間の自然界に対するエゴです。勝手に自然を汚した人間の罪であります」と。
何を言っているのか。そのエゴがどこから来て、どのように解決していくかを説かれたのが大聖人の教えではないか?!どこまでも正しい教えが見えず、足蹴にする日蓮宗である。
『安国論』に照らせば、今日の惨状の根本原因は、エゴではなく、日蓮宗を含む邪宗謗法の害毒にある。
今の日蓮宗は、全日本仏教会なる団体に加盟している。 仏教界のことや平和について肩を並べて活動するそうで、天台宗、浄土宗、浄土真宗、禅宗、真言宗等、多くの宗派が名を連ねる。
「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀|ともに無間地獄は疑ひな|かるべし」(御書 1040ページ)
正邪を判別するつもりもなく、折伏の精神などない。日蓮宗は、今すぐ宗名から 「日蓮」の御名を外し、「釈尊宗」に変えるべきだ。
大聖人の教えが正しく伝|わっているのは、我が日蓮正宗のみ。大聖人門下を名乗る似非宗派に対しても折伏を展開し、創建八百年に御報恩申し上げよう。
(大白法令和3年7月16日号より)