広(こう) 略(りゃく) 要(よう)
『法華経』に「広・略・要」という三つの立て分けがあります。「広」とは広いということであり、また全体という意味があります。「略」とは略要、簡略という意味であり、「要」とは肝心かなめという意味です。
日蓮大聖人は『法華題目抄』に、
「一部八巻二十八品を受持読誦し、随喜護持等するは広なり。方便品寿量品等を受持し乃至護持するは略なり。但(ただ)一四句偈(げ)乃至題目計りを唱へとなうる者を護持するは要なり。広略要の中には題目は要の内なり」
(御書 355頁)
と説かれています。この日蓮大聖人が説かれた「広・略・要」は、『法華経』の法体と修行に関する立て分けです。
『法華経法師品』などには、受持・読・誦・解説・書写の五種の修行が説かれていますが、末法の衆生は五種の中の受持の一行をもって修行の肝要とします。そこで一体何を受持するのかを明示されたのが、この「広・略・要」の立て分けなのです。
「広」とは『法華経』一部八巻二十八品全体を受持し修行する意です。
「略」とは、『法華経』一部の大略の中心の義という意で、迹門十四品の内では諸法実相を説示した『方便品』、本門十四品の内では久遠実成を説く『寿量品』がこれに当たります。
そして「要」とは、妙法蓮華経の五字七字です。日蓮大聖人は『法華取要抄』に、
「日蓮は広略を捨てゝ肝要を好む、所謂上行菩薩所伝(しょでん)の妙法蓮華経の五字なり」(御書 736頁)
と我々の修行は「要」の修行である題目の受持であることを御教示されています。
しかし、この題目はただの『法華経』の題名ではなく「上行所伝の妙法蓮華経」なのです。
この妙法五字は、『法華経』の説相からいえば、釈尊が『寿量品』において説き示した三世常住の法です。釈尊はこれを『神力品』において四句の要法として上行菩薩に付嘱されました。この相伝によって、この要法は上行菩薩が所持あそばすのです。
上行菩薩の再誕・末法出現の御本仏日蓮大聖人は、この要法が久遠元初の自受用身の証得された本因名字下種の妙法であり、さらにこれを御所持あそばす日蓮大聖人の御当体そのものであることを明かされました。
そして日蓮大聖人は、末法の一切衆生救済のために御身の御魂魄を御本尊と御図顕あそばされたのです。
要の修行とは、この御本尊を受持して妙法蓮華経の題目を唱えることであり、これこそが日蓮大聖人の示された末法の一切衆生の成仏のための修行なのです。