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王仏冥合(おうぶつみょうごう)

教学用語

王仏冥合(おうぶつみょうごう)

王仏冥合の語源

王仏冥合とは、王法である世間法と仏法である出世間法が冥合することをいいます。この語源は、日蓮大聖人が『三大秘法抄』に、

「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有(う)徳王(とくおう)・覚徳(かくとく)比丘(びく)の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時、勅(ちょく)宣(せん)並びに御(み)教(ぎょう)書(しょ)を申し下して、霊(りょう)山(ぜん)浄(じょう)土(ど)に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」(御書 1595頁)

と、広宣流布達成の時に建立される御遺命の戒壇の事相について示されたことに由来します。

この御文は、大聖人が御遺命の戒壇建立についてはじめて具体的に説示された箇所で、戒壇建立の条件としての王法と仏法の理想的な関係、そして、それによってなし得る本門事の戒壇建立の手続きを示されたものです。

王仏冥合とは

王仏冥合の王法とは、国王の施す法令や政治を意味しますが、主権在民(しゅけんざいみん)の現在では、民衆による政治・経済・教育・文化等を含む一切の社会の原理や活動をいい、仏法とは、大聖人の文底下種仏法の教え・精神をいいます。

そして王法と仏法が冥合するということは、この両者が深いところで合一する、知らず知らずに一つになるという意味です。

まず、王法が仏法に冥ずるとは、王法が仏法の教えと慈悲の精神に冥々(めいめい)のうちに基づいて融合していくということです。王法の理想は、民衆の安寧(あんねい)と福祉にあり、その理想を実現していくことが、そのまま仏法に冥ずることになります。具体的に言えば、妙法を持(たも)つ人が次第に数を増し、確実に正法を受持信仰するところ、個々の目的、次元は異なっていても、政治を含む世間法の一切が、次第に仏法の正しい教意に契合(けいごう)するようになるのです。この場合は、世間法を中心とする立場で、冥々暗々にその仏法の精神が国家社会に浸透することと理解されます。

次に、仏法が王法に合するというのは、仏法の教えと慈悲の精神が、仏法を持った人々のあらゆる社会での活動の場で現れ、仏法の精神が世間法に契合していく相をいうのです。

大聖人が、

「仏法やうやく顛倒(てんどう)しければ世間も又濁(じょく)乱(らん)せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり」(同 1469頁)

と示されるように、仏法と世法とは本来、一体であるが故に、正しい仏法を打ち立てることによってはじめて理想的な社会の姿が現れるのです。

このように、王法と仏法とが深く合一することを王仏冥合というのです。

深く合一するとは、生命の奥深いところで合一するということで、宗教としての仏法が直接政治に働きかける、いわゆる政教一致というものではありません。王仏冥合は、仏法が仏法の使命に生き、王法が、その理想実現に専心していくとき、結果として自然に冥合するということです。

つまり王仏冥合とは、御遺命の戒壇が建立される広宣流布の暁(あかつき)に、社会を形成する一人ひとりが大聖人の仏法を受持することによって人心が浄化され、国家社会も正しい仏法に裏打ちされた真の仏国土として顕現され、王法である世間法と、仏法たる大聖人の教えが自然のままに深く契合することを示されたものと拝するのです。

大聖人の御在世当時は、戒壇建立を独自に行うということは不可能であり、為(い)政(せい)者(しゃ)である王や国主等が三大秘法を持つことが王仏冥合の絶対条件でしたが今日の国家社会では、政治的権限は原則的に国民一人ひとりにあり、ただ政治面にかかわらず、あらゆる分野のあらゆる人々が三大秘法を持った時に、はじめて王仏冥合という理想の仏国士が顕現するのです。

故に、ただ単に為政者のみが三大秘法を持てばよいのではなく、政治家を含めたあらゆる職業に従事する人々が皆一様に大聖人の弟子・信徒となり、三大秘法を持った時に、自ずと王仏冥合が実現されてくるのです。

戒壇建立の御遺命とその御聖意

さて、先の『三大秘法抄』の「勅宣並びに御教書を申し下して云云」の御文には、戒壇建立のための手続きと場所が述べられていますが、大聖人は過去の戒壇建立の歴史や当時の鎌倉幕府の政治状況から「勅宣」「御教書」と仰せられたのであり、この手続きは時代により変化し得るものです。

したがって、これらの御文をもって(この表現にとらわれ)、現時において御遺命の戒壇が「国立」でなければならないなどと短絡(たんらく)的に解釈することは明らかな誤りです。

『三大秘法抄』や『一期弘法抄』に示された王仏冥合による戒壇建立の御遺命は、あくまで事相の問題であって、実際の相というものは、その時に至ってはじめて明確になるのですから、現在の私たちが軽々に未来を予測して論ずるべきものではなく、また現時点で限定できるものでもありません。ただ御仏意に任せ、時の御法主上人の御指南を拝していくことが肝要です。

『立正安国論』に、

「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何(なん)ぞ壊(やぶ)れんや。国に衰微無く土に破壊(はえ)無くんば身は是(これ)安全にして、心は是禅定ならん」(同 250頁)

と仰せのように、大聖人の御聖意は正法による民衆一人ひとりの救済と、国家の安穏(あんのん)にあります。

したがって、私たち僧俗が一致団結し、「一人が一人の折伏」を行じていく日々の実践の帰結として王仏冥合の社会が現実となり、広宣流布、御遺命の戒壇建立がなされることを確信し、「平成二十一年・『立正安国論』正義顕揚七百五十年」の御命題達成に向けていよいよ精進してまいりましょう。

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