大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす―矛盾のスパイラルにおちいった創価学会
nnnn 原田会長は、
「末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等しく『本門の本尊』であります」 (本書138頁参照)
と述べています。
つまり創価学会では、日蓮大聖人が図顕された大漫荼羅本尊とそれを書写した本尊は、すべて「等しく本門の本尊」であると定義しているのです。
それでは、創価学会は身延をはじめ他門の寺院に蔵される大聖人直筆の御本尊や、他宗の僧侶が書写した本尊も「等しく本門の本尊」として認定するのでしょうか。
日寛上人は、戒壇の大御本尊と他門流に伝えられる漫荼羅本尊との違いについて、
「『日興が身に宛て賜はる所の弘安二年の大本尊は、日目に之を授与す。本門寺に掛け奉るべし』云云。今四百余年に至る。他流は皆是れ似せ薬なるべし」(妙法曼陀羅供養抄記・文段七〇三頁・傍線筆者)
と仰せられ、大聖人直筆の御本尊であっても、本門戒壇の大御本尊につながる御本尊でなければすべて「似せ薬」であり、「本門の本尊」ではないと指南されています。
また『折伏教典』にも、
「富士大石寺にそむく謗法のやからがもつご真筆の御本尊には、大聖人の御魂は住まわれるわけがないのである」 (該書改訂二三版三一四頁)
とあり、さらに、
「日蓮正宗の本尊を除いては、ことごとく天魔外道の本尊である。姿は仏に似せようと、神を表わそうと、みな内証においては天魔外道である」 (同三二-頁)
と明確に説明しています。
これらのことからも、根本の御本尊である本門戒壇の大御本尊から離れた創価学会が、いかなる本尊を持ち出そうとも、それはすでに血脈の切れた、功徳のない本尊なのです。