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法華経について④

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法華経について(全34)
4大白法 平成25年10月1日刊(第870号)より転載

 法華経は日本有縁のお経典
 日蓮大聖人は、『曽谷入道殿許御書』に、
「肇公の翻経の記に云はく『大師須梨耶蘇摩、左の手に法華経を持ち、右の手に鳩摩羅什の頂を摩でて授与して云はく、仏日西に入って遺耀将に東に及ばんとす。此の経典、東北に縁有り。汝慎んで伝弘せよ』云云。予、此の記文を拝見して両眼滝の如く、一身悦びを遍くす(中略)天竺に於て東北に縁有りとは、豈日本国に非ずや」(御書 七八九頁)
と仰せられています。「肇公の翻経の記」とは、法華経を漢訳した鳩摩羅什の弟子である僧・肇による『法華翻経後記』と呼ばれる文章です。これによれば鳩摩羅什三蔵が、師の須梨耶蘇摩から法華経を授与されたとき、法華経が東北・丑寅の方角に縁がある経典であり、東北への流布を命じられたのです。
 大聖人様は、この後記の文を拝見し、正しく法華経こそ日本の一切衆生を救う経典であると、確信を深められたのです。
 

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大聖人様が御所持された法華経
 そして、大聖人様は、法華経を釈尊の本懐のお経典であると位置づけられました。
 特に、「一代五時図』では、お経典を五時にしたがって配列し、釈尊一代における法華経の位置を弟子へ教授されました。
 さらに御自身所持の法華経には、その行間や見返し(表表紙の裏側)、紙背(紙の裏)に、経典や註釈書の文を細かに書き込まれました。これが『註法華経』であり、御遺言により墓所の寺に保管して香華当番の際に拝見するように定め置かれたものです(現在は静岡県三島市の日蓮宗・妙法華寺に現存)。その御真蹟には、総数二千百七文の引用が記されており、法華経を重んじられて、多くの典籍から要文を集められたことが拝されます。
 この『註法華経』について、重要な御法門が第二祖日興上人へ口伝されており、『就註法華経口伝(御義口伝)』として御書に収録されています。こうした重要法門の伝授の姿からは、
「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(同 九二頁)
との仰せが、いかに大切であるかを拝することができます。

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        ◇
  さて、いよいよ法華経の品々の概略について、学んでいきましょう。ただし、経典に記された流れを学ぶことに重点をおきますので、熟脱の仏法に止まる部分も出てまいりますが、ご了承いただきたいと思います。
 

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 無量義経の内容
 まず開経の無量義経ですが、無量義経は、『徳行品第一』『説法品第二』、『十功徳品第三』から成っています。伝教大師の註釈によれば、『徳行品』が序分、『説法品』が正宗分、『十功徳品』が流通分に配されます。

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『徳行品第一』
 釈尊は、霊鷲山で一万二千人の大比丘ら、八万人の菩薩ら、その他多くの人たちにこの経を説きました。
 まず『徳行品』では、釈尊自身の説法はなく、菩薩たちによって仏の徳行を讃歎することが述べられています。
 その仏様の徳とは、
①煩悩の垢から離れて執着するところがなく、迷いの姿、迷いの心をことごとく断じていること
②仏の智慧は、凡夫の認識や価値刊断を超絶していること
③自分自身の慢心を徹底して打ち破り、たいへん勝れた相好をお持ちになっていること
④深く広く六波羅蜜の行を行じて、自在の力と法を得られていること
などであり、こうした釈尊の徳が讃歎されているのです。

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『説法品第二』
 続く『説法品』では、釈尊に対して菩薩が速やかに仏道を成じるための法門を問われます。この質問に対して、釈尊は、
「一の法門有り(中略)是の一の法門をば名づけて無量義と為す」(法華経 一七頁)
と答えられ、「無量義」という一の法門によって速やかに成道することを明かされました。
 そして、「無量義」を修学する心得として、
「まさに一切の諸法は、過去・現在・未来にわたって、大とか小などの相待観念や差別を滅して、平等な空であり、対立差別するものはないと観察しなさい(趣意)」(同 一八頁)
と説かれたのです。
 しかし、衆生は、「これ」と「あれ」、あるいは「これは得をする」「これは損をする」といったように、世間の事々物々を差別の相と見て、邪な考えを起こし、悪業を造って六道に輪廻しているのです。
 そのために仏は、衆生を救うために大慈悲心を起こし、性質や欲望などが様々である衆生のために、それぞれにあった法を説かれたことが明かされます。
 そして、説法が無量であれば、その顕わす義も無量となり、これを「無量義」と称するのです。この無量義とは、いわば法華経已前に説かれた華厳、阿含、方等、般若等を指すのです。しかし、続いて、
「無量義とは一法より生ず。其の一法とは、即ち無相なり」(同 一九頁)
と述べられ、こうした無量義も「無相」の一法より生じることが明かされたのです。この「無相」とは、まだ法華経に至っていないためにこういった表現に止まっており、その実義は法華経に至って明らかになるのです。
 さてこの『説法品』では、
「諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと、方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず。是の故に衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得ず」(同 二三頁)
と説かれており、ここに「四十余年未顕真実」という有名なお経文が拝されます。
 釈尊が菩提樹の下で悟りを開いてより、この無量義経に至るまでの四十余年、様々な衆生のために、それぞれに合った様々な法、すなわち法華経已前の多くのお経典を説いてこられたのです。しかし、未だ真実の教えを説き顕わしていないことを、明らかに告げられました。この真実の教えこそ、無量義経の後に説かれる法華経を指すのです。

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『十功徳品第三』
 最後の『十功徳品』では、法華経の開経として、十種の不思議な功徳を無量義経が有していることが明かされます。その一、二を挙げれば、
①発心していない者には菩提心を 起こさせるなど、衆生に、修行のための清浄な心を起こさせる功徳
②この経を聴聞した人は、たとえ一偈一句でも受持することにより、無量の義に通達することができる功徳
などが挙げられています。
 無量義経は、法華経の直前の説法に位置します。そして「四十余年未顕真実」の文によって、法華経已前の爾前経を方便、後に説く法華経を真実と断定しているお経なのです。
 しかし一方で、無量義を生じる一法については、「無相」(無相不相、不相無相)とあるものの、その実体実義は明らかではありません。そしていよいよ、法華経の会座へと入るのです。

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 大聖人様の御法門では、同じく法華経といっても、爾前経の権教に対する真実としての法華経、迹門と本門の異なり、そして文上脱益と文底下種という重々の相対があります。
 つまるところ、末法に生きる我々は、御本仏日蓮大聖人の出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊に深く帰依し奉り、血脈付法の御法主上人猊下の御指南のままに信心していくことが肝要であります。

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和歌山県田辺市の在住、日蓮正宗法華講員です。
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