法華経について(全34)
8大白法 平成26年5月1日刊(第884号)より転載
『信解品第四』
前回の『譬喩品第三』に続いて、『信解品第四』について学んでいきます。
初めに
『信解品第四』は、三周の説法(法説周、譬説周、因縁説周)中、譬説周の領解段に当たります。(本紙八八〇号六面の図を参照)
上中下根のうち中根に当たる四大声聞(迦葉・目連・須菩提・迦旃延)が、先の『譬喩品第三』後半の譬説周正説段で説かれた「三車火宅の譬え」を聞いて、開三顕一の法門を領解したことを「長者窮子の譬え」をもって釈尊に申し上げます。
この譬えは、親子の物語で、窮子(貧窮の子)が父の長者によって徐々に教化される姿を通し、四大声聞が釈尊一代の五時(華厳・阿含・方等・般若・法華)に分別して、一仏乗の教えを理解した旨を述べたものです。
それでは当品の内容に入りましょう。
まず初めに、四大声聞は、最高の儀礼をもって釈尊を拝し、次のように申し上げます。
「私たちは、釈尊の弟子の中でも最上位の立場でありますが、小乗声聞の悟りに安住し、仏の真の悟りを進んで求めようとしませんでした。それは、大乗の菩薩のように、自在に国土を清め、人々を教導することを喜ばなくなっていたからです。しかし、今、声聞の舎利弗に成仏の予証が与えられたのを見て、かつてない喜びにあふれています。そして、さらに『三車火宅の譬え』のような類いまれな法を聞くことができようとは思いもよらないことでした。いわば、求めずして、無上の宝珠を得たようなものです。そこで、今度は私たち四人が、ただ今の教えについて信解したところを、譬え話をもって申し上げたいと思います」
と言って、「長者窮子の譬え」を説かれました。
長者窮子の譬え
長者窮子の譬えとは、ある長者とその息子(貧窮の子=窮子)の話です。息子は幼い時に父からはぐれ、貧しい生活をしながら他国を数十年も放浪していました。一方、父親は大富豪の長者で、大邸宅を構え、倉には宝が満ち、大勢の使用人がおりました。しかし、この父親は、いつも我が子を忘れられず「もし我が子を探し出して財宝を相続できたならば、どれほど幸せか」と願っていました。
ある時、息子は衣食を求めて各地をさまよいながら、たまたま故郷の父の家の前に立ったのです。中を覗くと、多くの使用人に囲まれ、辺りを圧倒する威厳を具えた長者の姿が見えました。父親のことを忘れてしまっている息子は、「まずい、これは王様か、もしくは王様のような権力者に違いない。ぐずぐずしていると捕らえられて強制的に働かされるかもしれない」と、その場から逃げ去ろうとしました。
ところが、父の長者は、そのみすぼらしい男を見て、すぐに我が子と判ったので、側近の者に命じて連れ戻させようとしました。すると、窮子は驚いて叫び、恐怖のあまり、気を失って倒れてしまったのです。
その姿を見た長者は、我が子の心が非常に卑しくなり、高貴な身分の者を恐れるようになっていることを知り、方便をもって徐々に誘引しようと考えました。そして、使いの者に「許してやるから、好きな所へ行け」と伝えさせたのです。
すると、窮子は喜んで貧しい里へ、仕事を求めて出て行ってしまったのです。しばらくして、長者は、浮浪者のような貧相な男二人を窮子のもとに遣わし、長者の邸宅の汚物掃除の仕事を一緒にしないかと誘わせました。窮子は喜んで長者の邸宅で働くことになりました。
ある時、長者はわざと汚らしい服に着替え、汚物掃除の道具を持って、窮子に近づきました。そして、共に働いている人を励ましたりしてすっかり窮子を安心させ、親しくなっていきました。そうして、次のように述べました。「家にある物は何でも使いなさい。私はもう年だが、お前はまだ若い。これからお前には、特に目をかけよう。だから、お前はもうよそへ行ってはならない。ここで働くとよい」。そして長者は、窮子に名前を付けてやりました。窮子はこの処遇に喜びましたが、まだ自分はよそからやってきた身分の低い使用人だと思っていました。このような事情から長者は、二十年もの間、今までと同じように汚物を掃除させました。
その間、長者と窮子は、互いに信頼し合えるようになり、長者の所へも自由に出入りするようになりましたが、未だ粗末な小屋に住んで、元の環境を変えることはありませんでした。
そのうち、長者は病気となり、死期が近いことを知ったので、いよいよ窮子に財産を継がせようと思いました。そして「私とお前は、もう心が一つになっている。私の財産の管理を命ずるから、財産を失わないようにしなさい」と言って任せたのです。窮子は、非常に喜びましたが、少しの財産も自分で所有しようとしませんでした。自分は卑しい者だという意識を、捨てられなかったのです。
しかし、窮子は次第に大きな心構えを持つようになりました。
いよいよ長者も臨終の時となり、親族・国王・大臣等の一切を招集して、皆に向かい、出納係である窮子こそ実の我が子であることを告げ、自身の財宝の一切を息子へと相続するのです。
この長者窮子の譬えは、総じて過去釈尊による下種より華厳・阿含・方等・般若の前四時を経て最後法華における開会の様を譬えているのです。
つまり、初めに譬喩中の息子が父のもとを離れ落ちぶれていく様は、過去に仏より下種を受けた四大声聞が、それを信受せず退転し、三界六道に沈淪したことを譬えています。そして次に父子が再会し我が子に気づいた長者が使いの者に跡を追わせ、窮子がそれに恐怖し煩悶したことは、今番出世の釈尊が華厳経を説き、聴聞した声聞衆が聾のごとく唖のごとく全く理解できなかったことを譬え(擬宜)、次に汚物掃除によって長者のもとに誘い込むことは小乗・阿含経の化導を譬え(誘引)、そしていつまでも汚物掃除で満足していてはならないとするのが、維摩経や阿弥陀経・大日経などを説いた方等経の化導を譬えています(弾呵)。また財産管理をさせて今までの状況を卑しいと思わせ、大きな心へと淘汰させることは般若経の化導を譬え(淘汰)、最後に我が息子であることを示して、一切の財宝を相続することは、成仏の境界を開かせた法華経の化導(開会)を譬えているのです。
そして、続く『薬草喩品』での述成を経て、『授記品』において四大声聞は、釈尊より未来成仏の記別を授かるのです。
真の信解とは
日蓮大聖人様は『開目抄』において、
「いまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず」(御書 五三六頁)
と御教示のように、迹門において説かれた諸法実相の妙理たる一念三千も二乗作仏も、共に久遠実成を明かされていないので、すべて本無今有、有名無実の失を免れません。したがって、対境を迹門理上の一念三千とした信解では、真の成仏は許されません。
真の信解の意義を拝しますと、本門『寿量品』が説かれた後、『分別功徳品』現在の四信中、一念信解に至ってその意義が充実されるのです。
これを文底の御法門より拝しますと、釈尊在世の衆生の得脱(成仏)も久遠元初下種本仏の妙法による下種を信解したことによるのです。
末法においては、久遠元初下種の本仏たる日蓮大聖人御所持の妙法を事の当体として顕わされた本門戒壇の大御本尊に対し奉る無疑曰信の信心こそ、真の信解の意義となるのです。