教学ノート
慈悲とは一般的に、人々を慈しみ、あわれむ心をいいます。
涅槃経には、「衆生の無利益なるものを除くことを「大慈」、無量の利益を与えることを『大悲』」と説かれています。
この「慈悲」について、竜樹菩薩は「大智度論』に、人々に楽を答えるこ(与楽)を「大慈」、人々の苦しみを取り除く心(抜苦)を「大悲」と解釈しています。
また、伝教大師は慈悲について、
「悪事を己に向え、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり(嫌なことは自分が引き受け、良いことは他の人に与える)」(山家学生式)
と説いています。これは、相手を思いやることは、私たちが、人と接したり仏道修行を実践する上で、忘れてはならない心の在り方だということです。
日蓮大聖人様は、『開目抄』に、
「日蓮が法華経の智解は天台伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし」(御書540ページ)
と、難を忍ぶことと慈悲の深さにおいて、天台大師や伝教大師もおそれるほど、大聖人様が優れていらっしゃることを仰せです。この御文の前半で、御自身の智慧が天台大師や伝教大師に千万分の一も及ばないけれど、と御謙遜あそばされているのは、当時の仏教界も民衆も、仏法の正邪に迷い、大聖人様が御本仏であられることを知らないため、このような表現をされています。
大聖人様は、正法弘通のために上行菩薩の再誕として末法の世に出現され、経文の通りに数々の法難を受けられて、法華経の行者であることを示されました。
そして、竜の口法難を受けられ、久遠元初の御本仏としての御境界の上から、未法の一切衆生を幸せに導くため、
「観心本尊抄」に、
「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裏み、未代幼稚の頸に懸けさしめたまふ(一念三千の教えを知らない者には、仏が大慈悲を起こして、妙法五字のうちに一念三千の宝珠を包み、未法の衆生の首にかけてくださるのである)」(同662ページ)
と仰せのように、最も尊い大曼荼羅本尊を顕わされました。
今、未法において人々を導き幸せにしてくださる仏様は、日蓮大聖人様だけです。
私たちは、この信心を持てることに感謝し、しっかりと御本尊様を信じて勤行・唱題を真剣に行ってまいりましょう。そして、大聖人様の御振る舞いを鑑として、慈悲の心をもって破邪顕正の折伏行を実践し、みんなが幸せになれるよう、がんばりましょう。
71慈悲
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