法華経の修行には広・略・要の三種があり、三大秘法の御本尊に南無妙法蓮華経と唱え奉るのは要の修行である。法華経法師品等には五種法師の修行、すなわち受持・読・誦・解説・書写が説かれている。
「受」とは信力の故に無上難解の法を受け、「持」とは念力の故に持ちて忘れず、「読」とは経を読み、「誦」とは暗誦し、「解説」とは他のために法華経を説き、「書写」とは妙法五字乃至、二十八品を書き写すことである。二十八品についてこれを行うことは広の修行となり、述門の中心方便品、本門の中心寿量品についてこれを行うことは略の行となる。
しかるに『御義口伝』に、
「末法白法隠没の時、上行菩薩御出世有って五種の修行の中には四種を略して但受持の
一行にして成仏すべしと経文に親り(まのあたり)之在り。 夫とは神力品に云はく『於我滅度後、応受持斯経、是人於仏道、決定無有疑』云々。此の文明白なり」(御書一七九五ページ)
とあり、末法は受持の一行をもって成仏すべしと説かれている。この受持とは、結要付嘱の正体である御本尊に向かい、信をもって唱える南無妙法蓮華経の題目であり、これがまさしく要の修行である。
そして、この題目受持について『三人秘法抄』に、
「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(同一五九四ページ)
との厳誡を拝する。末法の題目受持とは、自行のみならず化他の修行をも含むのであり、化他とは、末法において一文不通の者でも、信の一宇をもって三大秘法の利益功徳を他に向かって説くべきことが明らかである。故に、自行化他の題目の意義を銘記すべきである。