法華経は一代仏教の中心で、題目は法華経の肝心である。故に、題目は一代仏教全体の肝心でもある。題目は、自らも唱え、他の人々にも勧めることが大きな功徳を積むのである。
人々の心は、様々な過去からの罪業と、現在持つ多大な煩悩で歪曲している。それは、あたかも曲がった木のようなものである。その曲がった木も、まっすぐな墨縄を打てば建築の材料として使えるように、曲がった心は題目の功徳によって、自然にまっすぐになる。それには、法華経に説かれてある不思議な功徳を信ずることであり、経の説くままに素直に信じて唱えることにより、曲がった心もまっすぐになっていくのである。題目は仏の心がそのまま顕れているから、無心に唱えるとき、その心がおのずから衆生の心に入るのである。題目の尊さを心奥に銘記することが肝要である。