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念仏から始まる不幸せー浄土宗
諸宗教破折
ある新聞の見出しに思わず目が止まった。「浄土宗カイシュウ800年ハイチュウ発売」。
三年後の浄土宗開宗八百五十年を盛り上げるため、浄土宗宗務庁が考案し、某製菓会社とコラボしたとのこと。 菓子の包装には、法然のシルエットと「お念仏からはじまる幸せ」との文字がある。
国民的人気の菓子を非難するつもりは毛頭ないが、菓子を利用してまで念仏を勧めるとは。
事実と真実
浄土宗の宗祖法然は、末法の衆生は法華経等の諸経では救われず、阿弥陀如来に念仏を称えることで、西方極楽浄土へ生まれ変わって成仏できると説いた釈尊が浄土三部経で、弥陀如来や極楽浄土への往生について説かれたのは、事実ではある。 しかし、それらが末法の衆生にふさわしいなどと、ひと言も説かれていないのもまた、事実だ。
釈尊が『無量義経』で、
「これまで説いてきた諸経は方便であって真実ではない (趣意)」(法華経23ページ)
と打ち消されたように、争土三部経等は、法華経を説くための方便の教えである。これが真実である。
また、法華経で、
「私の本懐は、真実究竟の法華経を説いて一切衆生を成仏させること(趣意)」(同 111ページ)
と断言され、末法での弘教を日蓮大聖人に任されている。 そして大聖人は、経文の通りに御生まれになられ、法華経を弘められた。
これこそ、末法の仏法の真実で、真実は法華経にある。 釈尊が浄土三部経を説いたのがいかに事実としても釈尊自身が否定した教えにすがってはならない。
偽りこそ浄土宗の真実
浄土宗の相承は、曇鸞・道綽・善導・法然となっている。 だが実は、曇賞と道緯、善導と法然は、全く面識がない。
なぜなら、曇鸞の死から約二十年後に道緯は生まれ、善導と法然はおよそ四百五十年もの時代差があるからだ。
法然自身も当初、浄土宗に相承はないと明言していた。 ところがその後、経巻による相承と、夢で善導から直接受けた相承があると言い出した。これでは相承詐欺である。
大聖人御在世当時に、祈雨で良観が負けた際、良忠が弟子の行敏を差し向け、大聖人を貶めようと画策したが失敗した。 思い通りにならない良忠(念阿弥陀仏)と念空 (道阿弥陀仏)は、大聖人の教えは邪義で、阿弥陀如来等の本尊に火を着けたり水に流していると、嘘をでっち上げて幕府に讒訴した。
ここから竜口の法難へと繋がっていくのだが、良忠も念空も法然の孫弟子で、小松原の法難にも関わっている。 これらについて大聖人は、
「頸を切れ、所領を追ひ出せ等と勧進するが故に日蓮の身に疵を被り、弟子等を殺害に及ぶこと数百人なり。此偏に良観・念阿・道阿等の上人の大妄語より出でたり」(御書475ページ)
と記されている。
念仏から幸せは始まらない
法然が言うように、末法の衆生が娑婆世界で救われないのなら、釈尊はなぜ、娑婆世界で成仏する教えを説かないのか?
なぜ、わざわざ生まれ変わって因縁のない他土を求めさせるのか?
生まれた時点から成仏に見放され、末法に出現したこともない阿弥陀如来や、架空の西方極楽浄土を夢見ながら生き続けるのか?
もしそうなら、頼みの阿弥陀如来も、「成仏したいなら、今世ではひたすら念仏を称え、死んだ後に生まれ変わっておいで」と遠くから見ているだけ。衆生は現世を悲観し、生きていく活力を失ってしまう。
こんな偽りと無慈悲の念仏から、幸せが始まるはずがない。
大聖人は、
「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ。これあに自受法楽にあらずや」(同991ページ)
と御示しである。
大聖人の教えこそ、己の人生と向き合い、この姿婆世界で力強く生きて成仏できる真実の教えである。
12月度広布唱題会の砌
日如上人猊下お言葉
本日は、本年度最後となる十二月度の広布唱題会に当たり、皆様には新型コロナウイルス感と染症の蔓延により何かと御不便のなか、信心強盛に出席され、まことに御苦労さまでこさいます。
さて、今年も既に十二月に入り、残りあと一月となりましたが、皆様には本年度の折伏誓願達成に向かって日夜、御奮闘のことと思います。
申すまでもなく、折伏誓願の達成は、私どもが御宝前に固くお誓い申し上げた約束であり、これを反故にすることなく、全力を傾注して何があっても誓願は達成しなければなりません。
大聖人様は『聖愚問答抄』に、
「抑仏法を弘通し群生を利益せんには、先づ教・機・時・国・教法流布の前後を弁ふべきものなり。故は時に正像末あり、法に大小乗あり、修行に摂 折あり。接受の時折伏を行ずるも非なり。折伏の時摂受を行ずるも失なり。然るに今世は摂受の時か折状の時か先づ是を知るべし。摂受の行は此の国に法華一純に弘まりて、邪法邪師一人もなしといはん、此の時は山林に交はりて観法を修し、五種六種乃至十種等を行ずべきなり。折伏の時はかくの如くならず、経教のおきて蘭菊に、諸宗のおぎろ誉れを擅にし、邪正肩を並べ大小先を争はん時は、万事を閣いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり。
此の旨を知らずして摂折途に違わば得道は思ひもよらず、悪道に堕つべしと云ふ事、法華・涅槃に定め置き、天台・妙楽の解釈にも分明なり。是仏法修行の大事なるべし」(御書402ページ)
と仰られています。
私どもはこの御金言を拝し、僧俗一致・異体同心し、断固たる決意と勇猛果敢なる実践によって、なんとしても、仏祖三宝尊の御宝前にお着い申し上げた折伏誓願を達成し、もって広大なる仏恩に報いていかなければなりません。
そのためには、各々一人ひとりが今一度、身軽法重・死身弘法の御聖訓を拝し、一意専心、誓願達成へ向けて決然として折伏に打って出ることが肝要であります。座して広布を語るのではなく、勇躍として立ち上がり、妙法広布に資していくことが、今こそ肝要であります。
されば、大聖人様は「一念三千法門」に、「百千合はせたる薬も口にのまされは病もえず。蔵に宝を持てども開く事を知らずしてかつへ、懐に薬を持ちても飲まん事を知らずして死するが如し」(同 110ページ)
と仰せであります。
どうぞ皆様方には、このご金言を拝し、信心強盛に講中一結して誓願達成へ向けて、いよいよ精進されますよう心から念じ、本日の挨拶と いたします。
《第六十世日開上人御指南》
創価学会の大御本尊放棄に対する破折の文証集
○三大秘法とは戒壇の大御本尊
吾が総本山に安置し奉る本門戒壇の大御本尊は、宗祖大聖一期の大事、本門三大秘法の随一にて在すなり。この御本尊に背き奉るところの他宗他門の仮令日蓮宗と称するものも、凡て謗法の徒にして、釈尊出世の本懐に背き、宗祖違背の大罪人にして、主師親の大道を忘れ、久遠元初の本因の大法、因果の道を忘れたる、これ仏法内の外道にほかならず、況んやその余をやであります(日開上人全集二五三頁)
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n《第五十九世日亨上人御指南》
創価学会の大御本尊放棄に対する破折の文証集
○三大秘法とは戒壇の大御本尊
一期の弘法即三大秘法、三秘の中心即本門戒壇の大御本尊である(大白蓮華・昭和二八年九月号二六頁)
《第五十六世日應上人御指南》
創価学会の大御本尊放棄に対する破折の文証集
○戒壇の大御本尊は大聖人の出世の御本懐
抑も戒壇本尊の造立は宗祖出世の本懐にして一期弘通の大事なり(弁惑観心抄一九三頁)
○御本尊書写の権能は御法主上人にある
此の金口の血脈こそ宗祖の法魂を写し本尊の極意を伝るものなり之を真の唯授一人と云ふ(弁惑観心抄二一九頁)
《第二十六世日寛上人御指南》
創価学会の大御本尊放棄に対する破折の文証集
○戒壇の大御本尊は大聖人の出世の御本懐
吾が大聖人は文永十年四月二十五日に当抄を終わり、弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕わして四年後の弘安五年、御年六十一歳十月の御入滅なり(中略)天台・蓮祖は同じく入滅四年已前に終窮究竟の極説を顕わす、寧ろ不思議に非ずや(観心本尊抄文段・文段一九六頁)
弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり、況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり(観心本尊抄文段・文段一九七頁)
宗祖の弘法も亦三十年なり。三十二歳より六十一歳に至る故なり。而して復宗旨建立已後第二十七年に当たって己心中の一大事、本門戒壇の本尊を顕わしたまえり(観心本尊抄文段・文段二一二頁)
○戒壇の大御本尊は一切衆生が帰依すべき御本尊
本門戒壇の本尊は応に是れ総体の本尊なるべし。是れ則ち一閻浮提の一切衆生の本尊なるが故なり。自余の本尊は応に是れ別体の本尊なるべし。是れ則ち面々各々の本尊なるが故なり(観心本尊抄文段・文段二四三頁)
○戒壇の大御本尊は広宣流布の根源
文底深秘の大法、其の体如何。答う、即ち是れ天台未弘の大法・三大秘法の随一・本門戒壇の御本尊の御事なり(中略)此の本尊は広布の根源なり(撰時抄愚記・文段二九〇頁)
富士山を以て本山と仰ぐべきこと文理明白なり。一には富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり(中略)既に是れ広布の根源の所住なり、蓋ぞ本山と仰がざらんや(文底秘沈抄・六巻抄六八頁)
○戒壇の大御本尊は根源の御本尊
広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。然りと雖も但是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり(法華取要抄文段・文段五四三頁)
戒壇の本尊を書写して之を掛け奉る処の山々寺々家々は皆是れ道理の戒壇なり(報恩抄文段・文段四六九頁)
○三大秘法とは戒壇の大御本尊
三大秘法を合すれば則ち但一大秘法の本門の本尊と成るなり。故に本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくるなり(依義判文抄・六巻抄八二頁)
一器の水を一器に瀉すが如く三大秘法を付属なされて大石寺にのみ止まれり。未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も、既に本門の戒壇の御本尊在す上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向い戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則んば本門の題目なり。志有らん人は登山して拝し給へ (中略)其の三大秘法の住する処こそ何の国にてもあれ霊山会場寂光の浄刹なるべし(寿量演説抄・歴全四―一四五頁)
されば諸天も石劫打やめて嫡々付法の三大秘法のたたせ給ふ大いしの寺を守らせ給へ(日寛上人伝九二頁)
○大石寺は本門戒壇の霊地
当山は本門戒壇の霊地なり(中略)正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり(法華取要抄文段・文段五四三頁)
本門戒壇の本尊は正応元年冬の比、彼の身延を去って此の富山に移る。蓋し是れ意有らんか。凡智の能く測る所に非ず。既に是れ富山は本尊所住の処なり。豈此の処に戒壇を起てざらんや(法華取要抄文段・文段五四三頁)
問う、霊山浄土に似たらん最勝の地とは何処を指すとせんや。答う、応に是れ富士山なるべし、故に富士山に於て本門の戒壇之れを建立すべきなり(文底秘沈抄・六巻抄六一頁)
教主釈尊の一大事の秘法とは結要付嘱の正体、蓮祖出世の本懐、三大秘法の随一、本門の本尊の御事なり。是れ則ち釈尊塵点劫より来心中深秘の大法なり、故に一大事の秘法と云うなり。然るに三大秘法随一の本門戒壇の本尊は今富士の山下に在り、故に富士山は即ち法身の四処なり、是れ則ち法妙なるが故に人尊く、人尊きが故に処貴しとは是れなり(文底秘沈抄・六巻抄六四頁)
百六箇に云わく「日興が嫡々相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべし乃至何の在処たりとも多宝富士山本門寺と号すべし」云云。嫡々相承の曼荼羅とは本門戒壇の本尊の御事なり。故に御遺状に云わく「日興が身に宛て賜わる所の弘安二年の大本尊は、日目に之れを授与す。本門寺に掛け奉るべし」云云。故に百六箇の文意は本門戒壇の本尊所在の処を本門寺と号すべし(文底秘沈抄・六巻抄六七頁)
今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此に移らがらんや、是の故に御心今は富山に住したもうなり(文底秘沈抄・六巻抄六六頁)
○大御本尊を離れれば似せ薬
「日興が身に宛て賜はる所の弘安二年の大本尊は、日目に之を授与す。本門寺に掛け奉るべし」云云。今四百余年に至る。他流は皆是れ似せ薬なるべし(妙法曼陀羅供養抄記・文段七〇三頁)
○日蓮正宗の三宝
南無仏・南無法・南無僧とは、若し当流の意は、南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思の境智冥合、久遠元初の自受用報身、無作三身、本因妙の教主、末法下種の主師親、大慈大悲、南無日蓮大聖人師。南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思の境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大本尊。南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山・付法・南無日興上人師。南無一閻浮提の座主、伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師。此くの如き三宝を一心に之れを念じて、唯当に南無妙法蓮華経と称え、乃ち一子を過ごすべし(当家三衣抄・六巻抄二二五頁)
《第十四世日主上人御指南》
創価学会の大御本尊放棄に対する破折の文証集
○戒壇の大御本尊は付嘱の御法体
大石寺は御本尊を以て遺状と成され候、是れ則ち別付嘱唯授一人の意なり。大聖より本門戒壇の御本尊、興師より正応の御本尊法体御付嘱なり(日興跡條々事示書・歴全一―四五九頁)