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創価学会に現れた現証(総集編)

創価学会

―総集編―
―とても考えられない事件・事故―
―仏罰を恐れるなら今すぐ脱会を!―

(『慧妙』H17.9.16ほか編集)

 日蓮大聖人は、
 「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よリも現証にはすぎず」(御書874、全集1468頁)
 「末法の法華経の行者を軽賎(きょうせん)する王臣・万民、始めは事なきやうにて終(つい)にほろびざるは候はず」(御書1397、全集1190頁)
と仰せられ、正法に背く者には、必ず厳しい仏罰があることをお示しくださっています。
 これを言い換(か)えるならば、仏罰が続出する団体は、表面上、いくら綺麗事(きれいごと)を並べようとも、その実態は大謗法団体である、ということになりましょう。
 さて、創価学会を眺(なが)めてみますと、その機関紙である『聖教新聞』の1面には、やれ池田大作がどこそこの国から栄誉称号をもらっただの、どこそこの大学から名誉博士号を送られただのという、”綺麗事”で埋め尽くされていますが、その中身を見ると、悪名高き紙上座談会に代表されるように、正法たる日蓮正宗への悪口誹謗が充満しています。そして、それらを真に受けた学会員は、日蓮正宗攻撃に余念がありません。
 となれば、多くの学会員が仏罰に苦しむことになるのは必然でありますが、学会員はその現実を、けっして直視しようとはいたしません。
 そこで、本紙は今回、そんな一般学会員の目を醒ますべく、学会員の身に降りかかった仏罰の大特集を組むことといたしました。
 学会員の皆さん、この現実を、どうぞ直視してください!

【池田の側近幹部達の死】
〈小多仁〉池田大作は日蓮正宗から信徒除名処分にされた逆恨みにより、日蓮大聖人の仏法に感動していた会員達を、地獄への道連れにすることを画策しました。慢心の無惨な姿であり、三宝破壊、ニセ本尊つくり、池田教への変質です。恩師戸田先生に対する裏切りです。
〈福本〉自分の罪業を創価の会員にまで押し付ける、罪の上塗りが進行しています。そのためか、創価学会員には、急死・変死・若死にが多いのです。私の議員在職中だけでも、横尾和伸(48)、久保哲司(56)、沢たまき(66)の3人の国会議員が、現職中に亡くなられました。昨日まで元気だった同僚議員が、翌日には亡くなっている、という現実に驚いたものです。水問題に共に取り組んだ横尾議員、北朝鮮にも同行した久保議員、遺骨問題に取り組んだ沢議員など、思い出深き同僚の突然の訃報(ふほう)でしたから、心痛も深いものがありました。自民党の議員からも「なぜ、信仰厚き人達がこんなにも若く」とお悔(く)やみをいただきました。
〈小多仁〉そうですか。じつは、創価学会の最高幹部たちにも変死・若死に・急死が多いのですよ。
 学会員の誰もが口に出せないでいるのが、後継者教育を受けていた池田の次男・城久氏が29歳の若さで急逝(きゅうせい)したことです。池田は、学会員の子どもが不幸にも若死にし、塗炭(とたん)の苦しみ、悲しさを報告しても「子が死んだのは罰だ。信心が足りないのだ」と冷たく言い放っていました。その事で、多くの学会員が辛(つら)い思いをしてきました。それが、仏法の因果律の厳しさとも言える「還著於本人(げんじゃくおほんにん)」の報(むく)いを自らが受けたのです。「最愛の息子の死」「後継者の死」という現証を見せつけられ、親としての池田は辛かったのではないでしょうか。
 これこそ「仏罰」と言わずして、何といえましょう。
〈福本〉また、側近の副会長では、西口浩広報室長(58)、野崎勲筆頭副会長(60)、つい最近、創価教学の筆頭とも言われた斎藤克司SGI教学部長(64)の急死。さらに政治担当の前田副会長(62)、長年の中国担当の野間副会長(60代)、沖縄総長を勤(つと)めた三盛副会長(50代)の若死になどがありました。
 さらに、婦人部最高幹部でも、三井婦人部長は就任数ヵ月ほどで今の婦人部長と代わりましたが、辞任直後に若くして亡くなられました。
 他にも長年、関西婦人部で権勢を誇(ほこ)った中尾関西婦人部長が急死、聖教新聞の記者から現会長・原田稔氏の夫人になった原田紀美枝さんは、植物人間となった後、原田氏が会長に就任する直前に亡くなられました。さらに、かって池田側近No.1だった、全国婦人部長や衆議院議員も経験された渡部通子さんや多田時子さんも亡くなられました。
 公明党の元委員長の石田幸四郎氏も公職におりながら、葬儀は身内のみです。そんな例はたくさんありますね。
〈小多仁〉本当に多くの人材が、創価での活動を真面目に取り組んでいく中で、亡くなっておられますね。
 池田大作の魔性に取り憑(つ)かれた、感応による犠牲者、ともいえるのではないでしょうか。
〈福本〉しかも、その中枢幹部だった人達のお葬式は、ほとんどの場合、家族葬ということで、創価特有の友人葬さえしてもらえていません。元国会議員の場合は、一般紙に載(の)りますが、そうでない池田側近幹部の場合は、1ヵ月遅れで1行記事くらいで『聖教新聞』などに載るのが通例になってきているようです。(記事参照)

【あまりにも違い過ぎた臨終の相】
 生まれて初めての一番身近な肉親の死は、母によって迎えました。母は、家族と共にお題目を唱えながら息を引き取ったのですが、母の相は、臨終(りんじゅう)の瞬間に口元と頬(ほお)に赤身が差して血色が良くなり、それを目(ま)の当たりにした私たちは、三世の生命を確信しました。
 さらに不思議なことに、母の生え際(ぎわ)の白髪はいつの間にか黒髪になり、時間が経(た)つほどに色白く柔和(にゅうわ)な相になって、私の主人が「お棺の中のお義母さんが、すごく笑っているよ」と皆を呼びに来たほどでした。
 その後、父も、70歳を目前にして病気で亡くなったのですが、父の臨終の相は、まだ生きているのではないか、と見まがうほどで、主治医の先生やご近所の方々からも、「いろいろな人の最期を見ましたが、こんなにきれいな顔は見たことがない。本当に生きているみたいですね」と感心されました。
 一方、母が亡くなる少し前のこと、知り合いの学会員の息子さんがとても若くして亡くなりました。葬儀は学会葬でした。地域の学会幹部が導師を務めるなか、棺の中の息子さんは、肌が濃茶色に変色して頬が突き出し、前歯も飛び出て苦しそうに目をギュッと閉じていました。この形相を見て、この学会員は、いったい息子さんをどこに導いたのだろうか、と恐ろしくなりました。ところが驚いたことに、親族の学会員らは「成仏の相だ」と言っているのです。(記事参照)

【弟の自殺と非情な学会】
 ところが、平成3年頃、夫が創価学会の異変に気づき、池田大作を批判したり、私の活動にも文句を言うようになってきました。
 私は、聞く耳をもたず、「先生に弓を引くようなことをしてはならない!」と夫に言っては、ケンカになることも度々でした。
 しかし、やがて組織からは「お寺に行くな!登山はしなくていい!」という指導が頻繁に出るようになり、これには私もさすがに疑問を持ちはじめました。
 そんな矢先の平成3年8月13日、とんでもないことが起きてしまいました。公明党の国会議員秘書をしていた弟が自殺してしまったのです。
 私には、とても信じられませんでした。
 優秀な弟でした。国会答弁の原稿を作ったり、マスコミ関係者との交流もあり、公明党の中国訪問団の一員として、先陣を切って中国へも行った弟でした。
 弟の謎めいた日記のようなものも見つかり、「なぜ?どうして?」と、嘆き悲しむばかりでした。
 さらに不審だったのは、公明党の職員が来て、その人と、創価学会の圏幹部をしていた3番目の妹と母とで話をした結果、”このことが外部に漏れては池田先生に申し訳ないので、弟の葬儀は行なわない”ということになった、というのです。
 弟と同居していた母も、その後しばらくは、近所の人々の目を避け、隠れるように妹の家に身を寄せました。
 長姉の私には何の相談もないまま、事が進められたのです。
 それにしても、いったい、どうしてこんなことになったのか。弟は、一生懸命に学会活動をして、組織のために頑張ってきたのに、自ら命を絶つという、仏法上、考えられない末路となってしまいました。そして、その弟の死について、創価学会や公明党は、なかったことのように扱い、一切は闇に葬られてしまったのです。そのあまりに非情な対応に、私は悔しくてなりませんでした。
 そして、そのことがキッカケとなって、うすうす懐いていた池田大作と創価学会に対する不信が確たるものとなり、夫とも話し合えるようになっていったのです。(記事参照)

【難病、失業……一家を襲った不幸】
 学会活動に励めば励むほど、今度は私たち家族の身に次々と不幸が訪れ始めたのです。
 まず、5年後に、妻の父が心筋梗塞(しんきんこうそく)で倒れ、さいわい発見が早かったために大事には至らなかったものの、いつ何があるかわからない、という不安を抱(かか)えるようになりました。
 さらに、その4年後、33歳になった妻が、特定疾患に指定されている難病のモヤモヤ病に罹(かか)り、脳内出血を起こしたのです。いちおう脳内出血の手術は成功しましたが、後遺症でテンカンの発作が起こるようになり、あげく若年性糖尿病まで発症してしまいました。
 また、当時の私は内装業の会社に勤務していたのですが、妻の脳内出血から2、3ヵ月後、親会社の未払いによって会社が倒産し、突然、失業してしまったのです。
 妻の病気と失業―すっかりやる気が失(う)せてしまった私は、半ば引きこもりのような状態になっていきました。当然、経済的にも行き詰まりました。
 次々と襲いかかる不幸に太刀打ちできなかった私たち夫婦は、ついに離婚ということになり、平成21年、私は、逃げるように三重県の実家に戻りました。(記事参照)

【多くの学会員の悲惨な姿に疑問】
 そこまで気づきながら、なおも自分の立場や、長年にわたって学会で生きてきたことなどへの執着を捨てきれなかった私は、学会から抜ける決断がつかず、新たな苦しい葛藤が始まりました。そうした中の平成17年、私は秘かに遺書を書いております。それは、謗法厳誡を守れなかった自分に嫌気がさしての行動ですが、そこには「友人葬(学会葬)はお断わりする」との一文も認(したた)めました。
 じつは、私は立場上、地元学会幹部の葬儀において幾度も葬儀委員長を務めてきました。
 その中で、黒いスーツ姿の学会幹部が葬儀の導師をする異様さや、遺体の相についても、詳述は控えますが、かつて正宗寺院で葬儀をしていただいた母のような”成仏の相”には、ついぞお目にかかれなかったことにも違和感を感じました。
 そして、何よりも違和感を懐(いだ)いたのは、その人達の亡くなり方です。50代・60代のまだ若い学会員がガンであっけなく死に至ったり、「なぜ、こんな軽い事故で命を落とすのか」というような事故で亡くなったり、自殺したりしているのです。あまりにもそういうことが続くものですから、その現実を見ただけでも、私は「やはり学会は間違っている」との感を深めました。(記事参照)

【同じ御本尊なのに、この違い!】
 さて、勧誡を受けたその日、寧楽寺御住職・渡邉雄布御尊師がわざわざ我が家に来てくださり、勤行をしてくださいました。その勤行の時です、気持ちがフワッと明るくなり、これまではいくら唱題しても全く感じられなくなっていた歓喜が、胸の底から込み上げてきたのです。本当に不思議な感覚でした。
 うまく表現できませんが、同じ御本尊様なのに、破門後の創価学会に籍を置いている時はまったく功徳がなかった、それなのに今、御本尊様の御力が蘇(よみがえ)った―それを実感するような思いでした。血脈がつながっているか否かの違いが、これほど大きな変化をもたらすとは……。その時、日蓮正宗に戻って本当に良かった、と心の底から思ったのです。(中略)
 なお、法華講員になってから判ったことですが、今の学会員は罰だらけです。私の見聞きするだけでも、家族が病人だらけだったり、重機に挟まれて大ケガをするという事故を繰り返している人、あるいは、手術が成功したと言っていた直後に、なぜか急死してしまった人―そういう話があとを絶ちません。
 ところが、学会ではそういう話をひた隠しにし、隠しきれないとなると、「本当はもっとひどくなるところを、この程度のケガで済んだ」などと、あたかも功徳であるかのような話にすり替えているのです。(記事参照)

【学会葬で弔(ともら)った息子の相に衝撃】
 そうした中の平成14年元旦、大学院を卒業して就職したばかりの次男が、突然、直腸ガンで亡くなりました。息子がガンと診断された時、私は、息子を救うために無我夢中で題目を唱えましたが、救うことはできませんでした。そして、熱心な学会員である兄夫婦に相談し、札幌の創価学会の儀典部に導師を頼んで、”学会葬”で息子の通夜と葬儀を出してしまったのです。
 元旦に亡くなったため、息子の通夜は1月3日になったのですが、その通夜の後、私は息子の遺体の相に重大な違和感を覚(おぼ)えました。息子は、顔の下半分がひどく崩れてしまっていたのです。
 とても人様に見せられる姿ではありませんでしたので、葬儀の時は棺(ひつぎ)の小窓を小さくして、最後のお別れではなるべく顔が見えないようにしよう、ということになりました。
 じつは、その20年ほど前、創価学会がまだ日蓮正宗の信徒団体だった頃の昭和59年、妻が40歳で病死したのですが、葬儀は富良野の正宗寺院、妙峰寺様にお願いしました。そうしたところ、妻は、御書に示されているような、きれいな成仏の相を現ずることができたのです。
 ところが、学会葬で葬儀を出した息子の姿は、あの時に妻が現じた姿とあまりに違いすぎます。
 私は、「昔から創価学会では、学会(日蓮正宗)で葬儀を出せば遺体の相がきれいになる、と言っていたのに、なせ息子はこんなことになったのだろう」と、違和感を持ちましたが、兄夫婦も学会の幹部も、息子の姿について何も言及しませんでしたので、誰にも言えぬまま、ずっと胸の中で疑問に思っておりました。
 今、正信に帰って振り返ると、まことに残念ながら、「息子は成仏の相ではなかった」と認めざるをえません。学会の謗法に与(くみ)してしまった自らを深く反省している毎日です。(記事参照)

【今まで誰にも相談できなかった怪奇現象】
 じつは、それまでの私達夫婦は、ある怪奇(かいき)な現象に悩まされ続けておりました。一昨年、学会員だった義兄が自殺したのですが、亡くなったその日から毎晩のように、その義兄の幽霊を感ずるようになっていたのです(親戚中が学会員ですから、義兄の葬儀はもちろん学会葬でした)。
 いるはずもない義兄が、玄関のドアをガチャツと開け、バタンと閉めて我が家に入ってきて、家の中を好き勝手に動きまわる気配と生臭い匂(にお)いが、はっきりと感じられました。
 ソファーで寝ていると、後ろから強い力で押されて落とされそうになったり、シーツが真っ赤に染まっていたり、布団に入った妻が羽交(はが)い締めにされたり―そうした感触をリアルに感じるのに、現実には誰もいない。あまりの不気味さに、本来、安穏であるはずの家庭は、住み心地の悪い状態になっていました。とくに妻は、1人でトイレに行くこともできず、恐怖と睡眠不足から半ばノイローゼ気味になり、仕事にも支障をきたすようになっていました。
 しかも、そうした怪奇現象は、私の家だけでなく、私の姉や義兄の娘(共に学会員)の家でも起こっていたのです。
 そのことを御住職に相談すると、御住職は塔婆供養をしてくださり、義兄の戒名を付けて過去帳も作ってくださって、御祈念してくださいました。
 すると、その後、我が家では怪奇現象がピッタリと起きなくなったのです。まさしく「正法」の威力であります。
 この一例をとっても、創価学会の”友人葬”では絶対に成仏できない、ということが明白です。なお、自殺ということについて言えば、私が住む赤平市においても、創価学会員の自殺が後を絶ちません。
 私達夫婦は、御住職の御指導のもと、まずは身近な学会員から折伏していくことを決意し、帰伏してから1週間後には、長女と孫を折伏し、勧誡・御授戒を受けさせることができました。さらに、本年1月2日には、札幌に住む次女も、孫と共に帰伏できました。
 また、御住職夫妻と共に学会員のお宅へ何度も折伏に行きましたが、私達が志願寺に付いたことから、創価学会の中では「太田が住職を連れて来ても、取り合わないように」との通達が流れ、今まで懇意にしていた多くの学会員が聞く耳を持たなくなり、以前に面倒を見た学会員でさえ、挨拶もしなくなりました。
 しかし、御住職夫妻が私達夫婦の折伏をあきらめなかったように、私もあきらめることなく創価学会への折伏を続けていこう、と決意しました。(記事参照)

【工場敷地内を暴走して、12人死傷】
 平成22年6月22日、日本中を震撼(しんかん)させる事件が広島で起こった。
 この日の朝7時半頃、大手自動車メーカー・マツダの宇品工場に侵入した車が、同工場と、同工場から約8百メートル離れた本社工場の敷地内を暴走。次々と11人をはね、そのうちの1人を死亡させた。
 車を運転していたのは、4月に2週間ほどマツダの期間社員として働いていた引寺利明(42)。引寺は警察の取り調べに対し、「4月に解雇(かいこ)された。会社に恨(うら)みがあった」「精神的にむしゃくしゃして人をはねた」「工場で車を止めて包丁を振り回してやろうと思った」などと供述しているといい、実際、車の中には刃渡り18センチの包丁があったという。
 広島市内で育った引寺は幼い頃は線が細く、比較的地味な少年だった。創価学会信者の家庭で、両親がよく題目を唱えていたという。(中略)
 親族の1人は言葉少なにこう語った。
 「本人の両親に連絡を取ろうとしても電話に出ない。亡くなった方にはただただ申し訳ない気持ちです。本当に辛いよ……」(記事参照)

【「ネット解約され」家族5人刺す】
 平成22年4月17日、愛知県で、引きこもり状態の30歳の男が、インターネットの接続契約等に関する家族との諍(いさか)いから、父親・母親・弟・弟の内縁の妻・弟と内縁の妻との子の5人をメッタ刺しにし、事件現場となった自宅に放火して家を半焼させる、という凄惨(せいさん)な事件が起きた。負傷した5人のうち2人が死亡したため殺人事件となった。
 現代の荒(すさ)んだ世相・歪(ゆが)んだ価値観を色濃く反映したような事件だが、近所の住民によれば、この家は祖母の時に学会に入ったという。(記事参照)

【聖教新聞配達員が殺害される】
 平成21年5月2日正午前、愛知県蟹江町蟹江本町、ケーキ店店員MY(※記事は実名=以下同)さん(26)が、店に出てこないと、上司の男性が蟹江署の交番に届けた。県警と上司がMさん宅を訪れたところ、Mさんは背中を刃物で切られたような切り傷があり、死亡していた。
 蟹江署によると、Mさん宅には弟のIさん(25)もおり、首のあたりに切り傷を負っていた。Iさんによると、2日午前2時ごろ、家に帰ると、男が家の中にいて、縛られたという。
 さらに県警捜査本部は3日、所在がわからなくなっていた母親のKさんの遺体を自宅押し入れで見つけたと発表した。背中には刺されたような傷があった。
 Kさんは、熱心な創価学会の信者だった。
 「彼女は亡くなった旦那さんのお母さんの介護を続けていたんですが、3年ほど前にお姑さんが亡くなる前後から、創価学会に入信したようですね。うちの店でも入信を勧める活動をしていました。朝早くから聖教新聞の配達をしているのを見たことがあります。ただ、息子さんたちはみな学会活動には反対していたようです。お客さんに聞いたのですが、Kさんがひどく顔を腫らしていたことが何回かあったそうで、『なにがあったんだろう』と気になっていたんですけど」(近所の喫茶店店主)(記事参照)

【中3女子がひき逃げ】
 大阪市淀川区で(平成20年10月)18日未明、自転車の男性が軽乗用車に約180メートル引きずられて重傷を負った事件で、ひき逃げなどの疑いで逮捕された大阪府豊中市の中学3年の女子生徒(14)が「車を運転したのは初めてだった。ゲームでうまく運転できたので、本物でもできると思った」と供述していることが府警への取材でわかった。
 彼女が住むのは、大阪市に隣接する街の市営住宅だった。近所の住民によれば、  「家族は40代後半の両親と姉が2人。(中略)事件を起こした娘は三女で、札付きのワルよね。中学校に入学してから、かれこれ2年、昼間、学校にも行かず、毎晩のように夜遊びして、周囲に迷惑を掛けていました」
 「市営住宅のエレベーターに4人組で乗り込んで、体をぶつけて揺らし、地震察知機能を利用して、動かなくしてしまう。何度も住民が注意しましたが、まるで、効果なしです。起きるべくして起きた事件だと思いますよ」(同)
 別の住民も嘆息する。
 「あの家庭は、両親とも熱心な創価学会員でね、地区の指導的な立場の方なのです。自宅で集会を開いたり、忙しく活動していましたけど、娘を注意してくれと頼んでも聞きいれなかった。もう少し三女に関心を向けていたら、こんなことは起きなかったはず」(記事参照)

【母が男児を殺害】
 福岡市西区の小学1年、富石弘輝君(6)が平成20年9月18日に殺害された事件で、福岡県警捜査本部は22日、殺人と死体遺棄の疑いで弘輝君の母親の薫容疑者(35)を逮捕した。調べに対し、薫容疑者は弘輝君の首を絞めて殺害したことを認めた上で、「育児に悩んでいた。自分の病気のこともあり将来を悲観し、子供を殺して自分も死のうと思った。衝動的にやった」などと供述。捜査本部は犯行前後の行動など全容解明を急ぐ。
 実家近所の別の主帰によれば、
 「あの家は、薫さんの祖母、薫さんの母親、そして本人と3代続く熱心な創価学会員一家。特に薫さんの祖母が熱心で、何年か前まではよく家で学会員の会合を開いていたようで、家の前にズラーッと車が並んでいましたよ。選挙の時期には、公明党候補者の応援を頼まれたこともあります。弘輝君の葬儀も学会の形式に則ったものでした」
 創価学会の教えとは、
 「信心すれば病気や悩み、孤独が解消するというもの」(ジャーナリストの乙骨正生氏)
 弘輝君殺害という”結果”だけを見ると、懊悩する薫の孤独は、信仰によって救われ、解決できる類のものではなかったということなのだろうか……。(記事参照)

【狂信の結果、会社をカルトまがいに】
 「創価学会に入信しなければ昇給で差別」「サービス残業で『聖教新聞』をつかって『座談会』」。そんな経営をすすめた会社が、平成19年6月に不渡りを出し倒産しました。社員約40人を何の前触れもなく解雇したこの会社は、現在、労働組合が求めている6月分の給与支払いなどを拒否し続けています。
 問題の会社は「太洋開発」(東京都中央区、足立一英社長)。オフィスや店舗の内装工事、施工管理などを行っていました。
 同社は、社長をはじめ、幹部が社員に創価学会への入信や公明党の支持を押しつけています。
 元社員らによると、毎朝行われる従業員の朝礼は、『聖教新聞』の読みあわせからはじまります。
 月に1回の割合で、全員参加による「座談会」が開かれます。社長の音頭で、その日社にいる人間は「全員集合」がかけられ、「人間主義」などのテーマで、議論させられるといいます。
 新入社員研修は4回。しかしそこで行われるのは技術や経理の研修などではありません。社長自らが『聖教新聞』の切り抜きなどをテキストに「人間主義経済革命5大要素」「妙法の山分け」などという世界観を中心に講義。「資本主義に変わる新しい秩序」のために、「公明党支持の組織の構築」「創価学会支援組織の構築」が必要などとしています。
 入社2年目の柴崎弘さん=仮名=はいいます。「社長は、学会への入会や公明党の支持をしない者は仲間ではないと、半ば強制的です。ふつうは断れません」
 4回の講習を終えると、幹部が『聖教新聞』の定期購読の申込用紙を出して購読をせまり、経理担当者が毎月集金するといいます。(記事参照)
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 元社員などの証言が事実であれば、憲法と労働基準法違反の疑いが非常に強い。
 内装業は思想や信仰に関係の無い業種です。その従業員に特定の信仰を事実上強制することは、憲法19条(思想良心の自由)、20条(信教の自由)に反する。また労基法3条は、労働者の信条を理由に賃金などについて差別的な取り扱いをすることを禁じており、これにも違反している。(自由法曹団団長の松井繁明弁護士の話)

【杜撰な安全管理で度々衝突事故】
 3月2日、国土交通省九州運輸局は、鹿児島県・奄美大島に本社を置くマルエーフェリー(株)に対し、常時複数の者が航海当直に就(つ)くこと、船員に対し安全管理規定の徹底を図(はか)ること、経営トップから現場まで一体となった安全管理体制を作ることなどを求めた安全確保命令を出した。
 これは、2月9日、同社のフェリー「たかちほ」が九州・都井崎の沖合で、マグロはえ縄漁船に衝突して沈没させ、そのまま現場から走り去ってしまった、という事故を起こしたことに対してのもの。
 『聖教新聞』はなぜ、「たかちほ」や「マルエーフェリー」について報じたがらなかったのか、それは、マルエーフェリーの会長が、『潮』誌上で池田大作への思いを語る程のバリバリの学会員(もしくは学会の超シンパ)であることと、関係はないのか―。
 ちなみに『潮』(平成18年10月号)の「平和と文化の大城 池田大作の軌跡」なる企画記事に、次のような件(くだり)がある。
 「鹿児島市のマルエーフェリー(元・大島運輸)本部・会長室に入ると、デスクの背に飾られた揮毫(きごう)が目に飛び込んできた。
 「安穏」
 文字は太く、どっしりと座っている。それでいながら筆の勢いは力感に満ち、動的にも見える。
 「池田先生に書いていただきました。うちの宝です」
 会長の■■■(※原文では実名)。1963年6月21日、池田会長が初めて奄美大島に船で渡った時に同行した。
 「エジプトから取り寄せた特別な紙と伺(うかが)いました。パピルスの復元でしょうか。学会本部で贈呈式がありましてね。千年は持ちますよ、と言われました」
 同社が、大型客船で学会員の研修輸送を担(にな)っていた時に、安全・無事故を祈って書かれた揮毫である。
 「池田先生には、とにかく安全運転でお願いします、と常に言われました。私たちも必死でした。
 先生は、全会員の一生、人生を預かっていらっしゃる。トップの辛労、重圧、責任はとても推(お)し量(はか)れません」
 これを読むと、マルエーフェリーの会長が、今も池田大作に深く傾倒していることは疑う余地がない。
 また、報道によれば、マルエーフェリーの船はこれまでにも何度か、衝突事故を起こしているという。
 今回、国土交通省九州運輸局から「経営トップから現場まで一体となった安全管理体制を作ること」という安全確保命令が出たということは、「マルエーフェリー」の会社全体に、やはり安全運行に対する意識・配慮に欠ける部分があった、といわざるをえない。(記事参照)

【「”原点”を忘れない人は強い」はずが…】
 平成17年12月9日付の『聖教新聞』(地方版)に、「友が語る私の原点」と題する記事が掲載されている。
 同記事は、
 「困難にも打ち勝つ不屈の人には信頼と共感が集まる。池田名誉会長は『”原点”を忘れない人は強い』と語っている。広布の道を力強く歩み続ける友に”わが原点”を語ってもらった」
として、2名の熱心な活動家のコメントを紹介しているのだが、そのうちの1人Aさんが首つり自殺をしていたことが、このほど判明した。(記事参照)

【池田信者の無残な死】
平成19年2月4日、東京都の三宅島で、公明党・三宅村議の浅沼功一郎氏が、石碑の下敷きになり、死亡した。浅沼氏は、村議8期目の超ベテランだった。(記事参照)

【宗門誹謗の報い!?妻が焼死】
 平成18年1月28日の午後6時30分頃、静岡県富士宮市のTさん(89)宅から出火、火は1時間半後に消し止められたものの、木造2階建てのTさん宅は全焼し、焼け跡からTさんの妻・K子さん(81)の遺体が発見された。TさんとK子さんは2人暮らしで、K子さんは足が不自由だった。
 そう、Tさん夫妻は熱心な学会員で、しかもTさんは、今回の学会問題が勃発した当初、『創価新報』に顔写真入りで登場し、さんざんに宗門誹謗(ひぼう)をしていた有名人だったのだ。(記事参照)

【これも自業自得】
 新潟県に、Tさんという老学会員(女性)がいました。
 平成14年秋から翌年の春先にかけて、Tさんは、近所の法華講員(女性)に対し、幹部なども交えてしきりに脱講運動を仕掛けてきました。
 そのTさん、平成16年末に交通事故に遭(あ)い、両足切断という大怪我を負ってしまい、その後の治療の甲斐もなく、平成17年8月中旬に亡くなってしまいました。近所の法華講員に脱講運動を仕掛け始めてから3年目のことでした。

【息子を地獄に引き戻したのは…】
横浜市のSさん。平成17年6月、1度は法華講に入講したものの、池田狂の母親と同居していたため、母親によって池田狂に再洗脳されてしまい、ついには宗門の批判を口にするようになってしまいました。それから間もなく、38歳の若さで自殺してしまいました。

【「学会は正しい」はずなのに…】
 平成17年4月、福島県いわき市内の磐越東線の踏切で、いわき発郡山行きの普通列車と乗用車が衝突する事故が起き、乗用車を運転していたOさん(55)が死亡、助手席に乗っていたOさんの妻も意識不明の重体となりました。
 Oさん夫妻は熱心な学会員で、事故のわずか2日前にも、折伏のために訪ねていった法華講員に対し、「池田先生と学会は正しい。悪いのは宗門だ!」と言い張り、日顕上人や僧侶の悪口をさかんに言っていました。

【脱講運動の帰りに悲惨な事故死】
 平成17年2月、土浦市に住む学会員Sさん(79)が、自転車で道路を横断中、車にはねられて死亡しました。
 Sさんは、自宅近くの県道を自転車で横断しようとしたところを、右から来た乗用車に反対車線まではね飛ばされ、さらに左から来た乗用車にもはねられて、約1時間50分後に死亡したのです。
 Sさんはこの日、法華講員宅を訪ねて日顕上人をさんざんに謗(そし)って、その家を出た直後にこの悲惨な事故に遭(あ)った、といいます。

【いちばんの”お客様”】
 千葉県に住むKさんは、平成17年に学会に入会。ニセ本尊を拝んだところ、だんだんと言動がおかしくなり、ついには精神病に。
 法華講員となった妹さんがKさんの入院先にお見舞いに行ったところ、関係者の話から、その病院の患者のほとんどが学会員であることが判(わか)った、といいます。

【「辞めたら死ぬ」と言っていた、その本人が…】
 脱会し、法華講員となった人に対し、「早く学会に戻ってきなさいよ。学会を辞めたら死んじゃうよ」と言っていた埼玉県在住のS指導長さん(女性)。
 ところがそのSさんが胃がんになり、平成16年に手術をしたものの、すぐに再発し、死亡してしまいました。しかもその死相は、見た人が思わず顔を覆(おお)ってしまうほどだった、といいます。

【最後は自滅した脱落僧】
 平成16年10月、脱落僧・立原貞道(82)が、自ら運転する軽自動車で電柱に激突し、腹などを強く打って死亡しました。
 事故現場の佐賀県佐賀郡富士町内の国道323号線は、片側1車線、道幅は約6メートルで、見通しのよい直線道路。現場にスリップ痕(こん)などはなかったといいいます。
 立原は、平成4年4月30日に日蓮正宗から脱落し、池田創価学会の走狗(そうく)となり、その後、自らが住職を勤めていた佐賀県・大恩寺を創価学会に明け渡してしまい、創価学会はこれを多久婦人会館として使用するなどしていました。
 ちなみに立原は、平成13年12月に、やはり自ら軽自動車を運転して人身事故を起こし、小学1年生(6歳)の男の子を死亡させています。

【わずか2歳の幼子まで道連れにして】
 平成16年8月、長野県で、親子3人が焼死する痛ましい事件が発生しました。
 外部から侵入した形跡はなく、火災現場からガソリンの入った容器が複数発見されており、ダイニングにはガソリンが撒(ま)かれたような跡があるところから、警察では無理心中したものとみていますが、じつは、この一家は学会員で、妻は学会の地元幹部でした。それが、まだ2才の子供まで道連れにして無理心中とは―福運が完全に尽きたのでしょう。

【子供の育て方を間違えた!?】
 平成16年6月、千葉県館山市で、足の不自由な老女(85)が、海岸沿いに停めた車の中に1時間も放置され、熱中症で死亡する、という痛ましい事件が発生しました。
 これは、住所不定・無職の息子(55)が、母親である老女を車内に残したまま釣りに興じている間に、老女を熱中症で死亡させてしまったものですが、この老女は熱心な学会員でした。
 息子は、「1時間ぐらいで死ぬとは思わなかった」などと供述したといいますが、自分の息子に”見殺し”にされたも同様なこの事件、創価学会の狂った信仰にのめり込んできたことによる果報、といえましょう。

【県のエリート幹部が自殺】
 長野県で建設業を営んでいたA氏(副圏長)はバリバリの学会員で、もちろん、家族もバリバリの活動家。
 そのA氏、脱落僧が説くように、宗門打倒の鬼の題目に功徳があるなら、全てが順風満帆にいくはずのところ、平成16年5月4日に自殺してしまったのである。(『慧妙』H16.16)

【身内の死よりも「池田センセー」】
平成16年2月、埼玉県の独身の46歳の男性Tさんが、肺気腫で亡くなりましたが、熱心な学会員である身内は、「池田先生からお香典をいただいた。すごい、すごい」と、それが、何かおめでたいことででもあるかのように喜んでいた、といいます。

【謀略の最高責任者と脱落僧が「悪因悪果」を証明】
 偽造写真を使っての日顕上人誹謗―この「偽造写真事件」の発端を作ったのは、脱落僧・椎名法昭でした。
 すなわち、椎名法昭は、自らの撮影した宴席写真を利用し、学会と共謀して偽造写真を作成、これを使って日顕上人を誹謗中傷したのです。
 そして、こうしたどす黒い、対宗門謀略の最高責任者が野崎勲だったのですが、これだけの悪業を行なった椎名や野崎が、ただで済むはずがありません。
 まず、東京高裁が偽造写真事件に不当判決を下して(本紙平成13年1月16日号参照)から3年後の平成15年12月、椎名が肺がんで急死。まだ51歳という若さでした。
 そして、最高裁が、東京高裁の不当判決を支持する決定を下した直後の平成16年3月14日、今度は野崎が、61歳の若さで急死してしまったのです。この相次ぐ急死は、とても尋常(じんじょう)ではありません。

[画像]:椎名法昭・野崎勲

【学会員同士の痛ましい交通事故】
平成15年9月、岩手県北上市の創価学会北上会館近くの市道で、横断歩道を渡っていた市内に住むKさん(75歳・女性)が、同じく市内に住むO(63歳・女性)の車にはねられ、意識不明の重体となりましたが、被害者のKさんも、事故を起こしたOも、日蓮正宗攻撃に余念のない、バリバリの学会婦人部でした。

【哀れ、創価学会・公明党の”広告塔”も】
 平成15年8月9日、公明党参院議員で、女優の沢たまき氏(66)が、虚血性心不全のため、参院議員宿舎2階の女性共用浴場の中で死亡しているのを、階下への水漏(も)れに気付いた宿直職員によって発見されました。発見時には、すでに死後硬直が始まっていたとのことです。
 沢氏は、創価学会芸術部の副部長などを務め、創価学会の広告塔の1人として、選挙支援や日蓮正宗攻撃などに従事していました。
 特に宗門攻撃に関しては、平成5年6月3日、沢たまき氏をはじめとする関東在住の学会員20名が、大石寺を相手取り、「大石寺墓地は無許可営業の違法墓地である」として、損害賠償を求める裁判を起こしました(この裁判は、平成13年10月、最高裁が沢氏らの上告を斥け、大石寺の全面勝訴が確定しています)。
 また沢氏は、平成8年の衆院選で落選後、平成10年に参院選比例代表に鞍(くら)替えして当選。以後、今度は公明党の”広告塔”として活躍してきました。
 ある意味、創価学会や公明党に、いいように使われてきた沢氏が、同じく、いいように使われた北條会長と同様に入浴中に急死したのは、やはり厳しい現証といえましょう。

[画像]:沢たまき

【脱落僧の「頭目」も】
「C作戦」だの、「相承疑惑」だのと、学会の日顕上人誹謗に信憑(しんぴょう)性を持たせるのに最大限貢献しているのが、日蓮正宗から脱落していった脱落僧たちですが、その中心的存在であり、『聖教新聞』の誹謗(ひぼう)中傷座談会や、脱落僧グループが作る『改革時報』などに積極的に登場して、徹頭徹尾、宗門を誹謗していた大橋正淳は、平成15年3月2日、肺こうそくのため65歳で死亡してしまいました。

[画像]:大橋正淳

【得意の絶頂で】
 富山県のYさん一家は、家族全員が熱心な学会員。Yさんの家は大きく、学会の会合にもよく使用されていました。
 平成14年9月、Yさんのことが『聖教新聞』に大々的に載(の)りました。それは、創価学会の中で大功徳を受けた、という体験談記事でした。
 その記事が載った『聖教新聞』は、法華講員の家の郵便受けなどに投げ入れられ、中でも正宗寺院の郵便受けには、発行日当日と翌日の2度にわたって投げ入れられていました。
 ところがYさんは、『聖教新聞』に取り上げられた翌日、仕事先でハシゴから落ちてしまい、数日間の治療の甲斐もなく、亡くなってしまったのです。

【「ジコチュー」が招いた悲劇!?】
栃木県で、朝夕大声で勤行して、近所から顰蹙(ひんしゅく)を買っていたのは、0代の学会員・Nさんのお宅。法華講員が折伏に行くと、いつも怒鳴り散らしていましたが、平成14年1月、まだ20代の息子さんに自殺されてしまいました。

【危険な恋愛の悲惨な結末】
茨城県で食堂を経営していた学会員Aさんの奥さんと、製麺所の主人の学会員が不倫関係となり、結局、Aさんの奥さんは平成14年に自殺してしまいました。奥さんの妹さんは、その後脱会し、法華講に入講することができました。

【如是相】
 大阪在住の学会婦人部・Kさんは、平成7年にニセ本尊を拝み始めて間もなく、顔面に大きな青アザが出現し、それと共に人前に出なくなりました。
 平成14年、Kさんと久々に会った法華講員が近況を訪ねると、Kさんは、「いろいろなところで診てもらったけれど、原因不明。でも今は、いい医者に会えて、随分とアザも目立たなくなった」と。
 しかし、折伏が進み、Kさんの反発が強まるにつれ、最初はほとんど目立たなかったアザが見る見るうちに浮かび上がり、帰る時には、顔面の右半分に青アザがくっきりと現われてしまったのです。
 その後、街でKさんの姿を見かけることはなくなりました。

【あの9.11テロでも】
 平成13年9月11日にアメリカで起きた、あの忌まわしい同時多発テロでも、多くの学会員が犠牲になったようです。
 中でも、世界貿易センタービルに突入したアメリカン航空のボストン発ロサンゼルス行き11便には、ロサンゼルス在住の「アメリカSGI(創価学会インターナショナル)」職員Aさん(48)が搭乗していました。
 Aさんは、アメリカSGIの本部経理部長をしており、この日は出張を終え、妻子3人が待つ自宅への帰路でした。
 何とも不運でお気の毒な出来事ですが、因果を説く仏法の視点から捉(とら)えるならば、あらゆる事象は全て、因縁によって生ずるわけですから、やはりこれも、起こるべくして起きたこと、と言うしかありません。

【親子喧嘩の末に】
 平成13年9月、福岡県京都郡苅田町で建築業を営む上田文昌さん(56)が、自宅で息子の上田将容疑者(28)に殴り殺されました。
 行橋署の調べでは、上田将容疑者は、口論の末、父・文昌さんの顔を殴り、倒れたところを、さらに胸ぐらを掴(つか)んで、後頭部を数回、床板に打ち付けた、といいます。
 文昌さんは意識不明のまま北九州市内の病院に運ばれましたが、翌日、帰らぬ人となってしまいました。
 上田さん一家は、『聖教新聞』を2部購読するほど熱心な学会員でした。

【手錠をはめられ高遠道路で死亡】
 平成13年7月、中国自動車道で、女子中学生Kさんが手錠をはめられたまま死亡、というショッキングな事件が発生しました。
 死因は、頭部と足にできた大きな傷による失血死で、Kさんは走行中の自動車から高速道路上に出た後、別の車両に轢(ひ)かれたのが目撃されています。
 Kさんの家は創価学会員で、Kさん自身も学会員でした。

【「口」を武器にしてきた男の最期】
 創価学会の副会長にして、広報室長だった西口浩氏(53)が亡くなったのは、平成13年5月21日のことでした。原因は、口内にできたがんでした。
 西口氏は「池田名誉会長の懐刀(ふところがたな)」とまで言われた大物幹部であり、学会批判者を猛然と人格攻撃したり、近寄るマスコミに札束攻勢をかけるといった辣腕(らつわん)ぶりは、マスコ関係者のよく知るところでした。
 西口氏はテレビ番組にもよく登場し、学会への批判に雄弁に反撃する論客ぶりを見せていましたが、その西口氏が「口」のがんで亡くなるというのは、謗法の果報でなくして、いったい何でありましょうか。しかも、西口氏は、手術によって顎(あご)の下部を切除し、まったく別人のような風貌と成り果てていた、とのことです。
 ちなみに、この大物副会長の訃報が『聖教新聞』に掲載されることはありませんでした。しかもその葬儀は、家族だけで葬儀を済ます「家族葬」という”密葬”でした。
 むろん、西口氏の死を、会員に知られないようにするための措置でありましょう。

[画像]:西口浩

【親子の絆さえ忘れて】
 平成12年12月10日、愛知県武豊町に住むT.C(※記事は実名)容疑者(21)と妻のM(※記事は実名)容疑者(21)が、保護責任者遺棄致死容疑で逮捕されました。
 2人は、自分たちの長女である依織ちゃん(3)を段ボール箱に入れて放置し、食事を十分に与えず餓死させたもの。食事は1日にパン1口という日もあり、おむつもほとんど交換されていなかった、といいます。
 依織ちゃんは発見時、身長は89センチあったものの体重はたった5キロしかありませんでした。
 付近の住人の証言によると、2人とも熱心な学会員で、よく会合に出かけたり、”勧誘”に歩いていた、とのことです。

【池田大作の”噂の人”も】
 かつて池田大作との関係が噂された、元衆議院議員で、総合婦人部長などを歴任した多田時子は、膵臓(すいぞう)がんのために、平成12年12月2日、苦悶の相で亡くなりました。
 この衝撃的な出来事に、すぐには死亡を発表できなかったのか、死が公表されたのは数日後のことでした。

[画像]:多田時子

【これでは死んでも浮かばれぬ】
 埼玉県のYさんは、法華講員に何度も何度も折伏されながら、聞く耳を持たず、頑固に反対してきました。
 すると、平成12年、昼時に火事を出して、家は丸焼け。ご主人は焼死し、奥さんは、大やけどで入院してしまいました。
 その奥さんは、退院後、折伏のため訪ねた法華講員に対し、「主人は何も家のことができない人だから、私が死ぬより主人が死んでよかったわ」と、平然と言い切りました。

【盲腸で入院したはずが「帰らぬ人」に】
 大阪府に住む、を地区幹部していた婦人部のKさん(59)は、法華講員から折伏されるたび、笑いながら、日顕上人や宗門を誹謗していました。ニセ本尊の”販売”が開始された際には、いち早く交換し、家族全員が池用センセイを尊敬する学会家族でした。
 一見、健廉そうなKさんでしたが、平成11年、盲腸で入院。手術を受けた後に、入院中の病院で脳こうそくに。さらに、どういう加減か、医師が気付くのが遅れ、緊急処置も間に合わずに死亡してしまいました。
 近所の方も、「盲腸で入院したのに、死んで帰るとは思いませんでした」と驚いていました。

【ショック!「平和会館」で職員同士の殺人未遂事件】
 平成11年5月14日の白昼、東京都立川市の立川平和会館で、とんでもない事件が発生しました。
 学会女子職員の田代美恵子(女子部副本部長・当時)容疑者が、聖教新聞社職員のK(支部長・当時。前年までは男子部全国副書記長)を包丁で刺し、田代容疑者は現行犯逮捕される、という事件でした。
 田代容疑者とKは、3年ほどつき合っていたそうですが、別れ話をKから持ちかけられた田代容疑者が、「殺すしかない」と、包丁を用意し、会館内の応接室でKの左わき腹を刺した、とのこと。
 なんでも、2人が交際を始めたときには、すでにKには奥さんも(子供も)いたというのですから、本当に驚き、呆(あき)れてしまいます。
 いったい、学会員の倫理観はどうなっているのでしょうか。
 これも、日蓮大聖人の後継者である御法主上人猊下をゆえなく邪淫(じゃいん)呼ばわりしたがための、「還著於本人(げんじゃくおほんにん)」の現証でありましょう。

【強引な”勧誘”の果てに】
 東京・目黒区の支部副婦人部長のHさん(52)とその娘T子さん(21)は、共に熱心な学会員で、2人はT子さんの夫であるAを創価学会に入れようとしていました。しかし、Aが拒(こば)み続けたため、別れ話となり、T子さんは実家であるHさんのマンションに戻ってしまいました。
 その数日後の平成10年11月のある日、Hさん宅に乗り込んだAは、口論の末に、包丁でHさんとT子さんを刺してから自殺を図り、死亡。Hさんは逃げようとしてベランダから転落し、死亡。T子さんは意識不明の重体になってしまいました。

【ノイローゼから焼身自殺した壮年部幹部】
 新潟県三条市で学会の壮年部幹部を務めていたKさんは、熱心に学会活動をしており、学会葬の導師もしていました。
 法華講員に対しても脱講運動をしたりと、そうとうの学会狂信者でしたが、平成10年4月に直腸がんの手術を受け、その後、しばらくしてからノイローセ気味になってしまいました。
 そして、同年11月、Kさんは眠っていた妻の首を包丁で斬(き)りつけて、妻を殺害しようとしたのです。
 妻は、血を流しながらも助けを求めて外へ出ていったのですが、その間にKさんは、家に灯油を撒(ま)いて焼身自殺を図り、自宅は全焼。その焼け跡から発見されたKさんの遺体は、炭化していました。

【合葬納骨事件の端緒を作った脱落僧の死】
いわゆる「大石寺合葬納骨事件」の端緒(たんしょ)となった、創価学会が、平成5年から6年にかけて『創価新報』等に掲載した”米袋に詰められた合葬骨”なる写真。その写真を創価学会側に提供したのが脱落僧の岡崎雄直ですが、創価学会が、問題の写真をセンセーショナルに扱って誹謗(ひぼう)報道を開始した3年後の平成9年3月4日、岡崎は、心不全のため37歳という若さで急死してしまいました。

[画像]:岡崎雄直

【「戦い」が済んで…】
 平成9年3月、群馬県前橋市の公明党市議・T氏(53)が急死しました。
 T氏は、そのわずか3週間前に行なわれた市議選で当選したばかり。
 ところが、当選の翌日、T氏は、選挙中の無理がたたり、体調を崩して入院。風邪をこじらせて肺炎を併発したもので、最後は肺水症になり、命を落としてしまったのでした。
 この話には後日談があります。じつは、この時の市議選には法華講員も立候補しており、惜しくも次点となっていたのですが、学会員らは選挙期間中、この候補を当選させまいと様々に画策し、法華講員候補の落選が決まった時にはバンザイまでした、といいます。
 ところが、T氏の死去によって、次点であった法華講員候補が繰り上げ当選となったのです。
 T氏にとっても創価学会にとっても、何とも皮肉な結果となったのでした。

【ブラジル飛行機墜落で犠牲になったSGI会員】
 平成8年10月、サンパウロのコンゴニアス空港を飛び立った飛行機が、離陸(りりく)直後、住宅地に墜落(ついらく)・炎上するという事故が起きました。
 この事故で、乗客・乗員、そして住民の、併(あわ)せて98名が犠牲になったのですが、亡くなった乗客の中に、毎年、巨額の財務をしていたことで有名だった、ブラジル創価学会のメンバーがいました。
 また、墜落現場で左官の仕事をしていたF氏は、墜落した飛行機の燃料を浴びて、全身火だるまになり、助けを求めながら死亡。F氏も熱心な学会員で、地元新聞は、F氏が拝んでいたニセ本尊と共に写真入りで紹介していましたが、何ともお気の毒なかぎりです。
 これとは対照的に、ブラジルの法華講員KさんとAさんは、不思議な形で、この大事故を免れることができました。

【選挙大好き学会員の息子が不盧の死】
 平成8年10月のある夜、新潟県柏崎市安田のJR信越本線安田駅付近で、貨物列車が脱線事故を起こし、信越本線は翌日の夕方まで不通に。これにより、本来、信越本線を走るべき青森発・大阪行きの寝台特急「日本海2号」が、信越本線と並行して走る越後線を使って迂回運転したところ、翌日未明、この特急列車が酒に酔って線路に寝ていたAさん(35)をはね、はねられたAさんは即死してしまいました。
 信越本線の脱線事故がなければ、あるいはAさんが事故に遭(あ)うことはなかったかもしれません。
 何とも不幸な巡り合わせですが、じつは、Aさんのお宅は学会員で、母親は「選挙のF取りをすると最高に歓喜する」と公言するほどの活動家。皮肉なことに、Aさんが亡くなった日は、衆議院選公示の当日でした。

【火事の犠牲者は】
 平成8年9月、東京・墨田区の学会員の家が夜中に火事になり、5人家族のうち、祖父と妻、中学生の長女が焼死してしまいました。
 焼死した3人のうち、とくに妻は、バリバリの活動家で地区担当員。よく学会の文化会館に行き、脱講運動も活発に行なっていました。
 ちなみに、この地域の文化会館では、以前、日顕上人を模(も)した人形と、それを殴るための「トンカチ」が置いてあり、来館者に日顕上人の人形をボコボコ叩かせていた、といいます。

【当然の帰結】
 大阪府のAさん一家は熱心に学会活動をしており、今回の学会問題が起きた直後、部屋に掛けてあった日顕上人の写真を焼却し、再三にわたる折伏にも全く耳を貸しませんでした。
 そのAさん、平成8年7月に、白血病に侵され入院。そのわずか10日後に死んでしまいました。45歳の若さでした。
 また、Aさんの娘は、子供を残し、夫以外の男性と蒸発してしまいました。

【離陸失敗の飛行機の中で…】
 平成8年6月13日、福岡空港で、ガルーダ・インドネシア航空機が離陸に失敗し、爆発炎上する、という事故が起きました。
 大惨事にも拘(かか)わらず、乗客・乗員のほとんどが、非常出口や機体に生じた亀裂などから脱出して無事でしたが、不幸にも3名の乗客が亡くなってしまいました。
 そのうち、Iさんは、家族と共に熱心な学会員で、とくに父親は「センセーが地獄に行くなら、自分も行く」と公言していたほどでした。また、Oさんは、娘さんが非常に熱心な学会員でした。

【無理心中した活動家夫婦】
 平成8年6月、東京・板橋区で、学会員である主人が、これまた学会活動に熱心な奥さんを出刃包丁で刺し殺し、自らも後追い自殺をする、という傷ましい事件が起きました。
 このT夫妻は、店の看板に三色旗のデザインを入れたり、新聞啓蒙(けいもう)にも熱心で、亡くなる数日前にも「主人と一緒に”お山(牧口記念館)”に行ったの」と近所の人々に言い廻わるほどの活動家であったといいいます。

【ヒロエ・クロウの死】
 いわゆる「シアトル事件」の”証言”者、シアトル在住の学会婦人部幹部ヒロエ・クロウは、平成8年3月24日(現地時間3月23日)、64歳という、まだまだこれからの年齢で急死してしまいました。
 死因は肺がんだ、といいますが、死のわずか2ヵ月足らず前に、日本の法廷で元気そうに”証言”していたことを思えば、つくづく果報の厳しさを痛感させられます。

[画像]:ヒロエ・クロウ

【一家4人が焼死】
 平成9年2月、宮城県で一家4人が焼死する火災事故がありました。犠牲になったのは、Uさん夫妻と、身体の不自由な姉と母親です。
 出火当時、地元消防団員数人が、Uさん宅から数十メートル離れた集会所におり、駆けつけたのですが、その時はすでに手遅れの状態でした。その火災事故を報道したニュースでは、学会のニセ本尊が大きく映し出されていました。

【悲惨としか…】
福岡県に住む熱心な学会員・Kさん一家の中学3年になる娘さんは、平成7年12月、17歳の少年に出刃包丁で顔や胸を刺され、即死してしまいました。

【何の因果か、立宗宣言の日に】
福岡県のSさんは、平成7年4月28日、日蓮大聖人立宗宣言の日に、『聖教新聞』配達中に大型トラックにはねられて即死してしまいました。葬儀の時、祭壇にかけられていたのは、やはりニセ本尊でした。

【あの阪神大震災も、ニセ本尊流布の現証】
 平成7年1月17日未明、阪神・淡路地区を突如襲(おそ)った大地震―。震度7の激震と大規模な火災の発生によって、死者6千436名、負傷者4万名以上、破損した家屋は11万棟にも及ぶという、戦後最大の被害となりました。
 もともと神戸近辺は、昔から”まず、地震は起きない”といわれてきた地域です。そのような場所で、突如、あのような大規模な地震が起きたのには、やはり大きな原因があるはずです。
 創価学会では、平成7年を「関西勝利の年」「兵庫の時代」と銘打っていました。そのせいもあってか、ニセ本尊への交換が急ピッチで進められ、震災直前の15日と16日には、兵庫の各会館でニセ本尊が大量に配布されました。
 このことは、同時に、それまで各会員に下附されていた日蓮正宗の御本尊が大量御不敬された(学会は正宗の御本尊を回収した後、一体も返却していません)ということでもあります。
 日蓮大聖人は、
 「謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星(すいせい)は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ」(御書764、全集906頁)
と仰せられていますが、まさに、大謗法であるニセ本尊が一気に充満したために、大地が大波のごとく踊った、という現証にほかなりません。
 また、この地域に住んでいた会員は、といえば、
 「『4支部とも焼けてもうたんですわ』。本部長の宮本満さんは語った。(中略)文字通り壊滅(かいめつ)状態」(『聖教新聞』平成7年2月15日付)
等の報道のとおり、家がつぶれて跡形もなくなったり、圧死や焼死で亡くなった方も非常に多かったのです。
 とくに、1番被害のひどかった長田区一帯は、学会員が1番密集していた地域でした。

【仏罰の法統相続】
 東京・江東区に住んでいた婦人部長のTさん一家は、家を拠点に提供するほど熱心な学会家族です。
 Tさんは、学会が御宗門から訣別した直後、会合の折りに、日顕上人に扮して会場内を歩き、罵声(ばせい)を浴びせられる役を引き受けていたそうです。
 ところがその後、Tさんはだんだん物忘れがひどくなって人との会話もできなくなり、やがて家族のことや自分のことさえわからなくなりました。
 そしてついには、自分の家に放火しようとするなど、常に監視が必要な状況になり、夫も仕事を辞め、付き添うことに。
 その後、Tさんの脳に腫瘍(しゅよう)が見つかりました。Tさんの家族は「皆で必死に唱題した結果、困難な手術が成功して一命を取り留め、症状も改善に向かった」と話すのですが―しかし、その後に生まれたTさんの孫は、いくつになっても言葉をしゃべらず、自閉症と診断されてしまいました。

【会社が倒産、行方不明となった副県長】
 平成5年当時、福岡の副県長だったTさんは、会合等でも中心になって日顕上人誹謗(ひぼう)を行ない、また、会館に訪ねてきた会員達にも、テーブルを叩いて宗門誹謗をしていました。
 Tさんは、会社の役員をしていましたが、その後、何億という多額の架空取り引きをデッチ上げていることが発覚、会社も倒産してしまいました。
 その支払いのために、Tさんは自らの家屋敷を抵当に取られ、全ての財産も没収され、それでも、まだかなりの借財が残って、その後、行方不明になってしまいました。

【日顕上人呪誼の会合への道中で】
 平成5年4月、法華講員から再折伏された、函館に住む副婦人部長は、日顕上人を悪口誹謗(ひぼう)。法華講員から「尊い猊下様の悪口を言ったら、罰を受けることになるから、気をつけた方がいい」と言われても、全く聞く耳を持ちませんでした。
 その2ヵ月後、池田平和会館に行く途中、車同士が衝突して、副婦人部長の夫婦は脳挫傷で死亡。運転していた息子も重傷を負ってしまいました。
 事故を目撃した人の話によれば、事故は、車同士が立ち上がるほどの激しいものだった、とのこと。
 その日、副婦人部長の一家は、会館で行なわれた日顕上人の「絵踏み」に参加する予定だった、といいます。

【学会葬の帰り道で】
平成4年4月、福井県の圏書記長を務めていたTさんは、池田文化会館で行なわれた学会葬からの帰り道、赤の点滅信号を無視して交差点に侵入し、大型トラックと衝突。事故に巻き込まれた他の人々は軽傷で済んだのに、ひとりTさんだけが、頭の骨を折って即死してしまいました。

【あのダーツ男の店が全焼】
平成4年3月、日顕上人の似顔絵をダーツの的(まと)にしていた、京都府在住の学会指導長・Sさんの経営する工場が全焼しました。

【会合中に死亡した支部指導員/その棺を乗せたリフトが落下】
 長崎県で支部指導員をしていたBさんは、古くからの活動家で、「脱会する者は地獄に堕(お)ちる」等と言っては、脱会者の引き止めに躍起(やっき)になっていましたが、平成4年2月、会館での会合の途中、トイレの中で倒れて非業(ひごう)の死。
 葬儀は学会葬でしたが、その出棺(しゅっかん)の際、なんと、棺(ひつぎ)を降ろすリフトのワイヤーが切れてしまったのです。自動停止装置はあったのですが、なぜか作動せず、リフトに乗っていた親族ら6名が、棺と共に3階から落下、重軽傷を負う恐ろしい惨事となりました。

【圏男子部長の長女が誘拐・殺害さる】
 平成4年2月、福岡県の小学校に通う女児2人(AちゃんとYちゃん)が誘拐(ゆうかい)され、翌日、殺害されて遺体となって見つかる、という痛ましい事件が発生しました。2人のうち、Aちゃんは、なんと、創価学会の圏男子部長Nさんの長女だったのです。そして、もう1人のYちゃんの家は、創価学会と同じく血脈を否定して破門になった、正信会の信徒でした。
 地元新聞には、学会葬で行なわれたAちゃんの葬儀の写真と、正信会僧侶の導師で行なわれたYちゃんの葬儀の写真とが、2枚並べて掲載されていましたが、血脈否定の因果の厳しさを思い知らされる事件でした。

【婦人部長が大事故で即死】
 北九州市で婦人部長をしていたTさんは、娘さんも地区リーダーというバリバリの池田教で、脱会した人とは会っても挨拶もせず、宗門をひどく誹謗(ひぼう)していました。
 ところが平成3年12月、Tさんは、不倫相手である男性の運転で走行中、大型トラックと正面衝突し、車は大型トラックの前輪に食い込んで大破。2人とも即死でした。
 解体作業は何十時間もかかり、遺体の損傷はかなり激しくて、Tさんは上半身、そして相手の男性は下半身しか見つからず、しばらくは身元もわからなかったほどの大事故でした。

【暴力事件の後始末をしていた市議の死】
 平成3年8月15日、京都府亀岡市の正宗寺院・本感寺で、学会員が暴力事件を起こしました。
 公明党市議のNさんは、その裁判に先頭をきって関与していましたが、事件からちょうど1年後に、心不全で急死してしまいました。

【支部長が電車にはねられ即死】
 神奈川県在住の支部長Hさんは、脱会者宅に押しかけては、強引に脱会届を撤回(てっかい)させて廻わっていました。
 そのような平成3年7月、Hさんは新橋駅ホームで、乗車しようと荷物を持ち上げた時に足元がふらつき、線路に転落。ちょうど入ってきた東海道線の通勤快速にはねられて、轢死(れきし)してしまいました。葬儀は学会葬でした。

【池田の次男・城久氏の不可解な死】
 昭和59年10月3日、東京都内の病院で、池田大作の次男・城久氏が29才という若さで亡くなりました。死因は胃せん孔(胃に穴があく病気)でした。
 城久氏は、創価大学を卒業後、同大学の職員として勤務し、将来は、池田大作の後継者となる人物と目されていました。池田自身、自分に体型もよく似た城久氏を大変かわいがっていた、といいます。
 その城久氏が、なぜ、手遅れにならないかぎり死に至ることのない、胃せん孔などという病気で急死したのか-。
 じつは、それを予言したかのような記述が池田大作著『人間革命』第10巻「嶮路の章」に出ているのです。
 「(ニセ本尊を自ら作った)岡田一哲の父は胃せん孔で悶死(もんし)した。」
 池田も、ニセ板本尊を作るという大謗法を犯して、時の御法主日達上人の宸襟(しんきん)を悩まし奉った昭和52年から数えて、まさに7年後に、最愛の後継者を胃せん孔で悶死させてしまったのでした。

【4代会長・北條浩氏、風呂場で急死】
 昭和56年7月、創価学会第4代会長・北條浩氏が、自宅浴室で入浴中、心筋梗塞(しんきんこうそく)を起こし、そのまま急死しました。58才でした。
 北條氏は、池田が3代会長であった時代に、副会長として池田の手足となって働き、「自分の入信前の宗教・日蓮正宗」と言い放ったり、宗門との決裂を謳(うた)った、悪名高き「北條報告書」を書くなど、様々な謗法をを犯した人物です。
 昭和54年に池田が会長を引責辞任した後、北條氏は、第4代の会長となって、池田及び創価学会が起こした数々のスキャンダルの始末を1人で背負い、尻拭(ぬぐ)いに奔走(ほんそう)しました。
 池田の腹心として、常に池田の側で仕え、「池田に1番尽くした」と評されていた北條氏―。その北條氏が58才の若さで急死してしまったのは、やはり、池田の謗法行為を支え、これを積極的に進めたが故の仏罰であるとしか、いいようがありません。
 ちなみに、当時の本部職員からは、「何故か、北條さんの棺(ひつぎ)は閉じたままで、遺体とお別れをさせてもらえなかった」との話が漏(も)れています。

不幸の原因指摘するは、慈悲の行為(仮題)

―宗門指し「カルト」は的外れ―
―学会こそどう見てもカルト―
―自己矛盾さらけ出す『新報』―

(『慧妙』H17.6.16編集)

【『立正安国論』に基づき災難(不幸)の原因指摘する宗門】
 6月1日付『創価新報』の「倒れゆく日顕(上人)」なる連載記事では、日顕上人及び宗門を執拗(しつよう)に誹謗(ひぼう)している。まさに平成3年以来、こうした日顕上人や宗門僧侶に対する悪口・中傷・誹謗のキャンペーンが行なわれ、今日に至るまで大謗法が続いている。
 この15年間には、バブルの崩壊や天災、前代未聞の事故など、前代を超える災難が頻繁(ひんぱん)に起こった。
 このような不幸な災難の頻発する原因こそ、大謗法の創価学会に存するのであり、それこそが『立正安国論』の意であるといえよう。
 事実、今日において日蓮正宗を積極的に誹謗している大謗法教団は、創価学会だけである。ゆえに、日顕上人は、『立正安国論』で日蓮大聖人が示される、禁ずべき「一凶」とは、現時においては創価学会である、と仰せられたのである。
 このことが、よほど痛撃であったのか、学会は日蓮正宗を「カルト教団」だの「カルト教義」だのと誹謗する。

【「裏切った者」を「攻撃」し「鉄槌を下」す創価学会】
例えば、同日付『創価新報』の1面には、特攻隊でもあるまいに、「『攻撃精神』で時代を開け」とか、「牧口先生を裏切った者は、戸田先生によって、その正体を明らかにされた。戸田先生の精神に違背した連中には、弟子の私たちがすべて鉄槌を下した。また、下している。これこそが仏法の根幹の魂であるからだ。真の師弟の道であるからだ」と、自分の考え方にそぐわない者に鉄槌を下し、徹底的に叩きつぶすことを宣言しており、慈悲のかけらも感じられない。

【機情に沿う慈悲と仏法上の慈悲】
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そもそも、宗教者であるならば、こうした災害にあたって、まずは亡くなった犠牲者を哀悼(あいとう)し、被災者とその家族を励ますことに全力を注ぐのが務めであるはずだ。(中略)ところが、日顕の振る舞いには慈悲のかけらもない。自分を誹謗した罰だと放言し、自宗の信徒が死んでいないと喜ぶ。まして何の罪もない何千何万という人々が亡くなった大惨事を、自分の権威を正当化するため、揚げ句の果てには破廉恥事件の言い訳に利用しているのが日顕でなのである(『創価新報』H17.6.1)
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 阪神淡路大震災の時には、総本山において殉難者の満山供養を行ない、相当額の義捐金(ぎえんきん)を届けた。また、スマトラ沖の大震災の時は、インドネシアまで御法主上人がお出ましになり、追悼法要を行なわれた。また、『大日蓮』や『大白法』において、「お見舞い」の言葉を掲載し、被災者への激励を行なった。このような歴とした事実を隠すなど、卑劣極まりない。
 なお、『新報』のいう「慈悲」ということについては、機情と仏法の筋道の両用が存する。
 機情に沿う慈悲とは、お悔やみ・お見舞い・激励等の言葉をかけ、悲しんでいる人や苦しんでいる人の心を癒(いや)す、という表面的で儀礼的なものといえる。
 一方、仏法の教理の上からの慈悲とは、どうしてそのような不幸が起こったのか、どのようにすればその苦しみや悲しみから解放されるか、などを教えの上から説くことであり、これこそが仏法の慈悲の本義である。
 ゆえに日蓮大聖人は
 「衆生を教化する慈悲の極理は唯法華経にのみとゞまれりとおぼしめせ」(『唱法華題目抄』御書226、全集9頁)
 「命を釈尊と法華経に奉り、慈悲を一切衆生に与へて謗法を責むるを心えぬ人は口をすくめ眼を瞋(いか)らす。汝実に後世を恐れば身を軽しめ法を重んぜよ。是を以て章安大師云はく『寧(むし)ろ身命を喪(うしな)ふとも教を匿(かく)さゞれとは、身は軽く法は重し身を死(ころ)して法を弘めよ』と。此の文の意は身命をばほろぼすとも正法をかくさゞれ」(『聖愚問答抄』御書404、全集496頁)
と仰せられ、仏法における慈悲とは、謗法を責めて法華経に帰依させることである、と示されているのである。
 したがって、災難の原因を指摘し、正法の功徳を明らかにされた日顕上人のお言葉は、真の慈悲に満ちている、といえよう。
 これに対し、創価学会を批判する者には、鉄槌を下して徹底的に攻撃するなど、慈悲のかけらもないのが創価学会である。
 しかも創価学会においては、機情の部分と仏法の筋道という両様の慈悲を、故意に都合よく使い分け、会員を巧みに洗脳している。
 このような卑劣極まりない創価学会に、大聖人の仏法の微塵(みじん)も存しないことは、言うまでもなかろう。

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●此の疫病は念仏者・真言師・禅宗・律僧等よりも日蓮が方にこそ多くやみ死ぬべきにて候か、いかにとして候やらん彼等よりもすくなくやみ・すくなく死に候は不思議にをぼへ候、人のすくなき故か又御信心の強盛なるか。(『治病大小権実違目』全集997頁)

創価学会・公明党に現罰下る

(『大白法』H21.10.16)

【血脈に背く、魔性・魔心の「ニセ本尊」】
 創価学会の「ニセ本尊」は池田大作と創価学会が、日蓮正宗を破門された後に、組織維持のために日寛上人の御本尊を偽造したものであって、その姿は御本尊のようであっても全く日蓮大聖人の魂魄の入っていない魔仏である。そのためにこれを拝めば罰として、あらゆる不幸と不祥の災難を招き、ついには地獄に堕ちることになる。
 これは『御義口伝』に、
 「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(御書1773頁)
と示されるように、正統の御本尊は法華経の行者である日蓮大聖人の命そのものであり、「ニセ本尊」作製は本仏大聖人を軽賎(きょうせん)し、真っ向から敵対する大謗法だからだ。
 御隠尊日顕上人猊下は『創価学会の偽造本尊義を破す』の中で、「ニセ本尊」の謗法である所以を8箇条に括(くく)って結論づけておられるが、その第2番目に、
 「歴代各上人の御本尊のすべては、もぬけられて本尊の法魂は現法主の承るところにあり、その大義に背いて血脈上の本尊を勝手に作るのは、池田と創価学会の魔性が入っている故に、魔性・魔心の『ニセ本尊』である」(170頁)
と、御法主上人の甚深の御境界を示され、この大義に背く故に魔性・魔心の「ニセ本尊」と御指南されている。
 総本山第31世日因上人は、加州の強信者・加藤了哲に対して、
 「御代々の魂魄即一念三千の本尊なるが故に此の本尊に向かい奉り南無妙法蓮華経と唱え奉るべし」(当家聞書)
と御法主上人の甚深の御境界を御指南されている。
 このように御法主上人は御本尊の法魂を所持あそばされるのであり、血脈背反の「ニセ本尊」は大謗法なのだ。

日蓮正宗宝相寺支部
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