御書1
秋元殿御返事 (五節供事)
文永二年 一月 十一日 四四歳
御文委しく承り候ひ畢んぬ。御文に云はく、末法の始め五百年にはいかなる法を弘むべしと、思ひまいらせ候ひしに、聖人の仰せを承り候に、法華経の題目に限りて弘むべき由聴聞申して御弟子の一分に定まり候。殊に五節供はいかなる由来、何なる所表、何を以て正意としてまつり候べく候や云云。
夫此の事は日蓮委しく知る事なし。然りと雖も粗意得て候。根本大師の御相承ありげに候。総じて真言天台両宗の習ひなり。委しくは曽谷殿へ申して候。次いでの御時は御談合あるべきか。
先づ五節供の次第を案ずるに、妙法蓮華経の五字の次第の祭りなり。正月は妙の一字のまつり、天照太神を歳の神とす。三月三日は法の一字のまつりなり、辰を以て神とす。五月五日は蓮の一字のまつりなり、午を以て神とす。七月七日は華の一字の祭りなり、申を以て神とす。九月九日は経の一字のまつり、戌を以て神とす。
此くの如く心得て、南無妙法蓮華経と唱へさせ給へ。「現世安穏後生善処」疑ひなかるべし。法華経の行者をば一切の諸天、不退に守護すべき経文分明なり。経の第五に云はく「諸天昼夜に常に法の為の故に之を衛護す」云云。
又云はく「天の諸の童子以て給使を為し、刀杖も加へず、毒も害すること能はず」云云。諸天とは梵天・帝釈・日月・四大天王等なり。法とは法華経なり。童子とは七曜・二十八宿・摩利支天等なり。「臨兵闘者皆陣列在前」是又「刀杖不加」の四字なり。此等は随分の相伝なり。能く能く案じ給ふべし。第六に云はく「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」云云。五節供の時も唯南無妙法蓮華経と唱へて悉地成就せしめ給へ。委細は又々申すべく候。
次に法華経は末法の始め五百年に弘まり給ふべきと聴聞仕り、御弟子となると仰せ候事。師壇となる事は三世の契り種熟脱の三益、別に人に求めんや。「在々諸仏の土に常に師と倶に生まれん」「若し法師に親近せば、速やかに菩提の道を得ん。是の師に随順して学ばゞ恒沙の仏を見たてまつることを得ん」との金言違ふべきや。提婆品に云ふ「所生の処には常に此の経を聞かん」の人はあに貴辺にあらずや。其の故は次上に「未来世の中に若し善男子善女人有って」と見えたり。善男子とは法華経を持つ俗の事なり。弥信心をいたし給ふべし、信心をいたし給ふべし。恐恐謹言。
正月十一日 日 蓮 花押
秋元殿御返事
安房国ほだより出だす