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爾前得道有無御書

御書4

爾前得道有無御書  正元元年  三八歳

 爾前当分跨節の両得道有無の事
 仏滅後月氏には一千年の間、論師は心に存して之を弘めず。仏法漢土に渡りて五百余年、二百六十余の訳者人師も此の義無し。陳隋の初めに天台智者大師一人始めて此の義を立てたまふ。日本国には欽明より桓武に至るまで二百余年、又此の義を知らず。伝教大師始めて之を覚り粗之を弘通したまへり。其の後今に至るまで四百余年、漸々に習ひ失ひて当世は知れる人之無し。纔かに之を知れども夢の如く囈語の如し。

 今日蓮宿習有りて粗之を覚知す。此の国の道俗の習ひ高慢無知にして日蓮を蔑如して之を習はず。而るに国主は狂へるが如く万民は矜りを為し、終に苦海に沈まんか。諸人未だ之を知らず。余宗余家の学者が此の義を習はんの時は先づ爾前の経々に当分跨節の得道有るの由、粗之を知らしめて、復返って彼の義を破して、之を建立するなり。所謂天台宗の意は四教を立てゝ一代を摂尽す。四教とは蔵通別円是なり。蔵に三有り、諸謂阿含の蔵・方等の蔵・涅槃の蔵なり。尽して一の蔵と為し三蔵教と称す。通に三有り、所謂方等の通・般若の通・涅槃の通なり。束ねて一の通と為す。別に四有り、所謂華厳の別・方等の別・般若の別・涅槃の別なり。束ねて一の別と為せり。円に五有り、所謂華厳の円・方等の円・般若の円・法華の円・涅槃の円。束ねて一の円と為せり已上。

 一代を以て四教に摂尽するに一句一字も残らず。此の四教の中に三蔵は小乗教なり。七賢七聖を立つ。七賢は未断見思の位なり。然りと雖も忍世第一に入れば不退の位に住して永く四悪趣に還らず。世々生々に生れて人天に往き終に七聖に入る。七聖とは已断見思の位なり。所謂「見惑を破する故に四悪趣を離れ思惑を破する故に三界の生を離る」とは是なり。縁覚も此くの如し。菩薩も亦見思を断じて成仏す。当分の得道とは是なり。

 通教は大乗の初門なり。十地有り。乾慧と性地との二地は賢位にして未断見思なり。三蔵の七賢の如し。第三地より第十地に至るまで八地有り。声聞は三地より七地に至るまでに見思を断じ畢る。縁覚は第八地に留り、菩薩は第九地・第十地に至りて、見思を断尽して分に成仏す。是も又当分の得道なり。

 別教は五十二位を立つ。所謂十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚なり。十信に見思を伏す。蔵の七賢、通の初地二地の如し。十住は初住に見を断じ二住より七住に至るまでに思惑を断尽す。蔵の七聖・通の下の八地の如し。十住の下の三住に上品の塵沙を断じ、十行・十回向に中下品の塵沙を尽くす。十回向の後心に無明を伏し、初地に至って一品の無明を断じ、乃至等覚妙覚に十二品を断ず。此の仏は二種の生死を超過す。

 円教にも同じく五十二位を立つ。其の名は別教の如く、其の義は水火の異なり。第一の初信に見惑を断じ、第二信より第七信に至るまでに思惑を断ずること、蔵通の七聖下の八地と別の十住の初住より七住に至るとの如し。八九十の後の三信は次での如く上中下の三品の塵沙を断ず。第十信の後心には無明を伏すること、別の十回向の後心の如し。十住・十行・十回向・十地・等・妙には四十二品の無明之を断尽し畢んぬ。此は即ち爾前の三の円・跨節の得道なり。

 今浄土の三部経は、天台の意に依れば前四味の中には方等部なり。具に四教を説く。観経の中蔵を以ては阿含・方等・般若・涅槃の三蔵経を摂尽す。通を以ては方等・般若・涅槃の通之を摂尽す。別を以ては華厳・方等・般若・涅槃の別之を摂尽す。円を以ては華厳・方等・般若・法華・涅槃の円之を摂尽す。一代聖教をば観経に摂尽し、八万法蔵をば阿弥陀の三字に収蔵す。末代の凡夫に南無阿弥陀仏と唱へしむ、豈大善根に非ずや。其の上観無量寿経の心は末代悪世を以て面と為し、未断惑の凡夫に六字の名号を唱へしめ、他力本願に乗じて同居の浄土に往生せしむ。此偏に天台大師の本意竜樹菩薩の所欲なり。三国一同の正義なり。但し二乗作仏と久遠実成計りは観経に之無し。末代の凡夫は二乗作仏に非ず。久遠実成の教主釈尊の事を、我等は之を沙汰して何か為と。

 此の外華厳宗・三論宗・法相宗・真言宗・禅宗・浄土宗等は天台の教相を一分も之を用いず。各正に我が宗の元祖を崇重し、曽て自宗の依経を重んずること宛も天台の法華経を信仰するが如し。所謂華厳宗は法華経を以て華厳経の方便と為し、方便の法華経すら尚得道有り、真実の華厳経何ぞ成仏無からんやと。真言宗は顕密の二道を分かてり。法華経は顕教にして釈尊の所説なり。民の万言の如く、空拳を捧げて小児を誑かすが如く、密教は大日如来の所説なり。天子の一言の如し。猶雲霧を払って満月を見るが如し。空拳の方便たる法華すら尚当分の得道之有り、最上秘密の真言教に豈跨節の成仏之無からんや。秘密は三国大同治国の法、諸宗一帰の密宗なりと。法相宗云はく「法華の一乗は方便の教、深密の五意は真実の教なり」等云云。三論宗云はく「般若経は三世の諸仏の智母、一切衆生の慈父なり。後生は且く之を置く。今生を以て之を案ずるに、帝釈・竜王・修羅と戦うの時何れの経をか用ひん。仁王経是なり。普明の死を脱する豈仏力に非ずや。現を以て当を推するに第一の秘法なり。月氏・漢土・日本異なりと雖も、三国一同に最初の本宗なり。何ぞ邪義を以て当分跨節の得道之無しと為んや」と。其の上法華・涅槃の二経を見聞するに爾前の得益之を許すこと之多し。序分に列ぬる所の二界八番の衆、皆爾前得道の人々なり。舎利弗方等の時を挙げて云はく、「我れ昔仏に従って是くの如き法を聞き、諸の菩薩の授記作仏を見る」等云云。譬喩品に云はく「羊車・鹿車・牛車」云云。化城喩品に云はく「三百由旬を過ぐ」云云。涌出品に云はく「始め我が身を見、我が所説を聞き、即ち皆信受して如来の慧に入る」云云。涅槃経に云はく「我れ初め成道」等云云。天台云はく「此の妙彼の妙、妙の義殊なること無し」云云。或は云はく「初後の仏慧円頓の義斉し」云云。或は云はく「他経は但菩薩に記して二乗に記せず」等云云。又妙楽の云はく「菩薩は処々に得入す」等云云。爾前の得道之許すの文釈以て此くの如し。其の上一大事の大難之有り。法華已前四十余年の其の間の得道の人々は如何。此くの如き重々の大難之有り。此等の諸難一々に之を挙げ条を取るに大火に乾草を投げ大海に小火を入るゝが如し。自宗諸宗重々の不審を打ち滅し畢んぬ。

 爾前の経々には一分も得道無しと申し候なり。然りと雖も身に当て易き事国土に之を知らざるか。諸人不審を残し候か。我慢を捨てゝ之を学ばゞ何ぞ之を悟らざらんや。
                          日蓮花押

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