一念三千理事
正嘉二年 三七歳 十二因縁図
問ふ、流転の十二因縁とは何等ぞや。答ふ、一には無明、倶舎に云はく「宿惑の位は無明なり」文。無明とは昔愛欲の煩悩起こりしを云ふなり。男は父に瞋りを成して母に愛を起こす。女は母に瞋りを成して父に愛を起こすなり。倶舎の第九に見えたり。二には行、倶舎に云はく「宿の諸業を行と名づく」文。昔の造業を行とは云ふなり。業に二有り。一には牽引の業なり。我等が正しく生を受くべき業を云ふなり。二には円満の業なり。余の一切の造業なり。所謂足を折り手を切る先業を云ふなり。是は円満の業なり。三には識、倶舎に云はく「識とは正しく生を結する蘊なり」文。正しく母の腹の中に入る時の五蘊なり。五蘊とは色受想行識なり。亦五陰とも云ふなり。四には名色、倶舎に云はく「六処の前は名色なり」文。五には六処、倶舎に云はく「眼等の根を生ずるより三和の前は六処なり」文。六処とは眼耳鼻舌身意の六根出来するを云ふなり。六には触、倶舎に云はく「三受の因の異なるに於て未だ了知せざるを触と名づく」文。火は熱しとも知らず、水は寒しとも知らず、刀は人を切る物とも知らざる時なり。七には受、倶舎に云はく「婬愛の前に在るは受なり」文。寒熱を知って、未だ婬欲を発こさゞる時なり。八には愛、倶舎に云はく「資具と婬とを貪るは愛なり」文。女人を愛して婬欲等を発こすを云ふなり。九には取、倶舎に云はく「諸の境界を得んが為に、遍く馳求するを取と名づく」文。今世に有る時、世間を営みて他人の物を貪り取る時を云ふなり。十には有、倶舎に云はく「有は謂はく正しく能く当有の果を牽く業を造る」文。未来に又此くの如く生を受くべき業を造るを有とは云ふなり。十一には生、倶舎に云はく「当の有を結するを生と名づく」文。未来に正しく生を受けて母の腹に入る時を云ふなり。十二には老死、倶舎に云はく「当の受に至るまでは老死なり」文。生老死を受くるを老死憂悲苦悩とは云ふなり。 問ふ、十二因縁を三世両重に分別する方如何。答ふ、無明と行とは過去の二因なり。識と名色と六入と触と受とは現在の五果なり。愛と取と有とは現在の三因なり。生と老死とは未来の両果なり。過去に二つ、現在に八つ、未来に二つなり。私の略頌に云はく「過去の二因 無明・行 現在の五果 識・名色・六入・触・受 現在の三因 愛・取・有 未来の両果 生・老死」と。問ふ、十二因縁流転の次第如何。答ふ、無明は行に縁たり。行は識に縁たり。識は名色に縁たり。名色は六入に縁たり。六入は触に縁たり。触は受に縁たり。受は愛に縁たり。愛は取に縁たり。取は有に縁たり。有は生に縁たり。生は老死憂悲苦悩に縁たり。是其の生死海に流転する方なり。此くの如くして凡夫とは成るなり。問ふ、還滅の十二因縁の様如何。答ふ、無明滅すれば則ち行滅す。行滅すれば則ち識滅す。識滅すれば則ち名色滅す。名色滅すれば則ち六入滅す。六入滅すれば則ち触滅す。触滅すれば則ち受滅す。受滅すれば則ち愛滅す。愛滅すれば則ち取滅す。取滅すれば則ち有滅す。有滅すれば則ち生滅す。生滅すれば則ち老死憂悲苦悩滅す。是其の還滅の様なり。仏は還って煩悩を失って行く方なり。私に云はく、中夭の人には十二因縁具に之無し。又天上にも具には之無く、又無色界にも具には之無し。 一念三千理事 十如是とは、如是相は身なり 玄二に云はく「相は以て外に拠る、覧て別つべし」文。籤六に云はく「相は唯色に在り」文。如是性は心なり 玄二に云はく「性は以て内に拠る、自分改めず」文。籤六に云はく「性は唯心に在り」文。如是体は身と心となり 玄二に云はく「主質を名づけて体と為す」文。如是力は身と心となり 止に云はく「力とは堪任を用と為す」文。如是作は身と心となり。 止に云はく「建立を作と名づく」文。如是因は心なり。 止に云はく「因とは果を招くを因と為す、亦名づけて業と為す」文。如是縁 止に云はく「縁とは縁は業を助くるに由る」文。如是果 止に云はく「果とは剋獲を果と為す」文。如是報 止に云はく「報とは因に酬ゆるを報と曰う」文。如是本末究竟等 玄二に云はく「初めの相を本と為し、後の報を末と為す」文。三種世間とは、五陰世間 止に云はく「十種陰果不同なるを以ての故に、故に五陰世間と名づくるなり」文。衆生世間 止に云はく「十界の衆生寧ろ異ならざることを得んや、故に衆生世間と名づくなり」文。国土世間 止に云はく「十種の所居通じて国土世間と称す」文。五陰とは、新訳には五蘊と云ふなり。陰とは聚集の義なり。一には色陰、五色是なり。二に受陰、領納是なり。三に想陰、倶舎に云はく「想は像を取るを体と為す」文。四に行陰、造作是行なり。五に識陰、了別是識なり。止の五に婆沙を引いて云はく「識先づ了別し、次に受は領納し、想は相貎を取り、行は違従を起こし、色は行に由って感ず」と。 百界千如三千世間の事 十界互具即百界と成る。地獄 衆生世間十如是 五陰世間 十如是 国土世間 十如是地下赤鉄 餓鬼 衆生世間十如是 五陰世間 十如是 国土世間 十如是地下 畜生 衆生世間十如是 五陰世間 十如是 国土世間 十如是水陸空 修羅 衆生世間十如是 五陰世間 十如是 国土世間 十如是海畔底 人 衆生世間十如是 五陰世間 十如是 国土世間 十如是須弥四州 天 衆生世間十如是 五陰世間 十如是 国土世間 十如是宮殿 声聞 衆生世間十如是 五陰世間 十如是 国土世間 十如是同居土 縁覚 衆生世間十如是 五陰世間 十如是 国土世間 十如是同居土 菩薩 衆生世間十如是 五陰世間 十如是 国土世間 十如是同居方便実報 仏 衆生世間十如是 五陰世間 十如是 国土世間 十如是寂光土 止観の五に云はく「心と縁と合すれば則ち三種の世間あり、三千の性相皆心より起こる」文。弘の五に云はく「故に止観に正しく観法を明かすに至って、並びに三千を以て指南と為す。乃ち是終窮究竟の極説なり。故に序の中に説己心中所行法門と云ふ。良に以有るなり。請ふ尋ね読まん者心に異縁無かれ」文。又云はく「妙境の一念三千を明かさずんば、如何ぞ一に一切を摂することを識るべけん。三千は一念の無明を出でず。是の故に唯苦因苦果のみ有り」文。又云はく「一切の諸業、十界・百界・千如・三千世間を出でず」文。籤の二に云はく「仮は即ち衆生、実は即ち五陰及以国土、即ち三世間なり。千の法は皆三なり。故に三千有り」文。弘の五に云はく「一念の心に於て十界に約せざれば事を収むること遍からず。三諦に約せざれば理を摂すること周からず。十如を語らざれば因果備はらず。三世間無くんば依正尽きず」文。記の一に云はく「若し三千に非ざれば摂すること則ち遍からず。若し円の心に非ざれば三千を摂せず」文。玄の二に云はく「但衆生法は太だ広く、仏法は太だ高し。初学に於て難しと為し、心は則ち易しと為す」文。弘の五に云はく「初めに華厳を引くは、心は工みなる画師の種々の五陰を造るが如し、一切世界の中に法として造らざること無し。心の如く仏も亦爾なり。仏の如く衆生も然なり。心・仏及び衆生是の三差別無し。若し人三世一切の仏を求め知らんと欲せば、当に是くの如く観ずべし、心は諸の如来を造ると」金論に云はく「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土なり」文。 三身の事 先づ法身とは、大師、大経を引いて「一切の世諦は若し如来に於ては即ち是第一義諦なり。衆生顛倒して仏法に非ずと謂へり」と釈せり。然れば則ち自他・依正・魔界仏界・染浄、因果は異なれども、悉く皆諸仏の法身に乖く事非ざれば、善星比丘が不信なりしも、楞伽王の信心に同じく、般若蜜外道が意の邪見なりしも、須達長者が正見に異ならず。即ち知んぬ、此の法身の本は衆生の当体なり。十方諸仏の行願は実に法身を証するなり。次に報身とは、大師の云はく「法如々の智、如々真実の道に乗じて、来たって妙覚を成ず。智は如の理に称ふ、理に従って如と名づけ、智に従って来と名づく。即ち報身如来なり。盧舎那と名づけ、此には浄満と翻ず」と釈せり。此は如々法性の智・如々真実の道に乗じて妙覚究竟の理智法界と冥合したる時、理を如と名づく。智は来なり。