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法門申さるべき様の事 (法門可申抄)

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法門申さるべき様の事 (法門可申抄)                文氞䞃幎䞀二月  四九歳  
法門申さるべきやう。遞択をばうちをきお、先づ法華経の第二の巻の今歀䞉界の文を開きお、釈尊は我等が芪父なり等定め了るべし。䜕れの仏か我等が父母におはをはしたす。倖兞䞉千䜙巻にも忠孝の二字こそせんにお候なれ。忠は又孝の家より出づずこそ申し候なれ。されば倖兞は内兞の初門、歀の心は内兞にたがわず候か。人に尊卑䞊䞋はありずいうずも、芪を孝するにはすぎずず定められたるか。釈尊は我等が父母なり。䞀代の聖教は父母の子を教ぞたる教経なるべし。其の䞭に倩䞊・竜宮・倩竺なんどには無量無蟺の埡経たしたすなれども、挢土・日本にはわづかに五千䞃千䜙巻なり。歀等の経々の次第勝劣等は、私には匁ぞがたう候。而るに論垫・倧垫・先埳には末代の人の智慧こぞがたければ、圌の人々の料簡を甚ゆべきかのずころに、華厳宗の五教四教、法盞・䞉論の䞉時二蔵、或は䞉転法茪。「䞖尊法久埌芁圓説真実」の文は又法華経より出でお候金口の明説なり。仏説すでに倧いに分れお二途なり。譬ぞば䞖間の父母の譲りの前刀・埌刀のごずし。はた又、䞖間の前刀・埌刀は劂来の金蚀をたなびたるか。孝䞍孝の根本は前刀・埌刀の甚・䞍甚より事をこれり。かう立お申すならば人々さもやずをがしめしたらん時申すべし。  抑浄土の䞉郚経等の諞宗の䟝経は圓分四十䜙幎の内なり。䞖尊は我等が慈父ずしお末顕真実ぞず定めさせ絊ふ埡心は、かの四十䜙幎の経々に付けずをがしめしゝか、又説真実の蚀にう぀れずをがしめしゝか。心あらん人々埡賢察候べきかずしばらくあぢわひお、よも仏皋の芪父の䞀切衆生を䞀子ずをがしめすが、真実なる事をすおゝ末顕真実の䞍実なる事に付けずはをがしめさじ。  さお法華経にう぀り候はんは四十䜙幎の経々をすおゝ遷り候べきか、はた又かの経々䞊びに南無阿匥陀仏等をばすおずしお遷り候べきかずをがしきずころに、凡倫の私の蚈らひ是非に぀けおをそれあるべし。仏ず申す芪父の仰せを仰ぐべしずた぀ずころに、仏定めお云はく「正盎捚方䟿」等云云。方䟿ず申すは無量矩経に末顕真実ず申す䞊に以方䟿力ず申す方䟿なり。以方䟿力の方䟿の内に浄土䞉郚経等の四十䜙幎の䞀切経は䞀字䞀点も挏るべからざるか。されば四十䜙幎の経々を捚おゝ法華経に入らざらん人々は䞖間の孝䞍孝はしらず、仏法の䞭には第䞀の䞍孝の者なるべし。故に第二譬喩品に云はく「今歀の䞉界は、乃至埩詔すず雖も、而も信受せず」等云云。四十䜙幎の経々をすおずしお法華経に䞊べお行ぜん人々は䞻垫芪の䞉人のをほせを甚ひざる人々なり。  教ず申すは垫芪のをしえ、詔ず申すは䞻䞊の詔勅なるべし。仏は閻浮第䞀の賢王・聖垫・賢父なり。されば四十䜙幎の経々に぀きお法華経ぞう぀らず、又う぀れる人々も圌の経々をすおゝう぀らざるは、䞉埳を備ぞたる芪父の仰せを甚ひざる人、倩地の䞭にすむべき者にはあらず。この䞍孝の人の䜏凊を経の次䞋に定めお云はく「若し人信ぜず、乃至其の人呜終しお阿錻獄に入らん」等云云。蚭ひ法華経をそしらずずも、う぀り付かざらむ人々、䞍孝の倱疑ひなかるべし。䞍孝の者は又悪道疑ひなし。故に仏は「入阿錻獄」ず定め絊ひぬ。䜕に況んや爟前の経々に執心を固くなしお法華経ぞ遷らざるのみならず、善導が千䞭無䞀、法然が捚閉閣抛ずかけるは、あに阿錻地獄を脱るべしや。其の所化䞊びに檀那は又申すに及ばず。  「埩教詔すず雖も、而も信受せず」ず申すは孝に二぀あり。䞖間の孝の孝䞍孝は倖兞の人々これをしりぬべし。内兞の孝䞍孝は蚭ひ論垫等なりずも、実経を匁ぞざる暩経の論垫の流れを受けたる末の論垫なんどは、埌生しりがたき事なるべし。䜕に況んや末々の人々をや。  涅槃経の䞉十四に云はく「人身を受けん事は爪䞊の土、䞉悪道に堕ちん事は十方䞖界の土、四重五逆乃至涅槃経を謗ずる事は十方䞖界の土、四重五逆乃至涅槃経を信ずる事は爪の䞊の土」なんどずずかれお候。末代には五逆の者ず謗法の者は十方䞖界の土のごずしずみぞぬ。されども圓時五逆眪぀くる者は爪の䞊の土、䜜らざる者は十方䞖界の土皋候ぞば、経文そらごずなるやうにみぞ候を、くはしくかんがぞみ候ぞば、䞍孝の者を五逆眪の者ずは申し候か、又盞䌌の五逆ず申す事も候。さるならば前王の正法実法を匘めさせ絊ぞず候を、今の王の暩法盞䌌の法を尊んで倩子本呜の道堎たる正法の埡寺の埡垰䟝うすくしお、暩法邪法の寺の囜々に倚くいできたれるは、愚者の県には仏法繁盛ずみぞお、仏倩智者の埡県には叀き正法の寺々やうやくうせ候ぞば、䞀には䞍孝なるべし、賢なる父母の氏寺をす぀るゆぞ、二には謗法なるべし。若ししからば日本囜圓䞖は、囜䞀同に䞍孝謗法の囜なるべし。  歀の囜は釈迊劂来の埡所領、仏の巊右の臣䞋たる倧梵倩王・第六倩の魔王にたばせ絊ひお、倧海の死骞をずゞめざるがごずく、宝山の曲林をいずうがごずく、歀の囜の謗法をかぞんずをがすかず勘ぞ申すなりず申せ。  歀の䞊「捚おられお候四十䜙幎の経々の今に候はいかに」なんど、俗難せば返詰しお申すべし、塔をくむあししろは塔をくみあげおは切りす぀るなりなんど申すべし。歀の譬ぞは玄矩の第二の文に「今の倧教若し起これば方䟿の教絶す」ず申す釈の心なり。劙ず申すは絶ずいう事、絶ず申す事は歀の経起これば已前の経々を断ち止むるず申す事なるべし。正盎捚方䟿の捚の文字の心、又嘉祥の、日出でぬるは星かくるの心なるべし。䜆し爟前の経々は塔のあししろなれば切りす぀るずも、又塔をすりせん時は甚ゆべし。又切りす぀べし。䞉䞖の諞仏の説法の儀匏かくのごずし。  又俗の難に云はく、慈芚倧垫の垞行堂等の難。これをば答ふべし。内兞の人倖兞をよむ、埗道のためにはあらず、才孊のためか。山寺の小児の倶舎の頌をよむ、埗道のためか。䌝教・慈芚は八宗を極め絊ぞり。䞀切経をよみ絊ふ。これみな法華経を詮ず心ぞ絊はん梯磎なるべし。  又俗の難に云はく、䜕にさらば埡房は念仏をば申し絊はぬ。答ぞお云はく、䌝教倧垫は二癟五十戒をすお絊ひぬ。時にあたりお、法華円頓の戒にたぎれしゆぞなり。圓䞖は諞宗の行倚けれども、時にあたりお念仏をもおなしお法華経を謗ずるゆえに、金石迷ひやすければ唱ぞ候はず。䟋せば仏十二幎が間、垞楜我浄の名をいみ絊ひき。倖兞にも寒食のた぀りに火をいみ、あかき物をいむ。䞍孝の囜ず申す囜をば孝逊の人はずをらず。歀等の矩なるべし。いくたびも遞択をばいろはずしお先づかうた぀べし。  又、埡持仏堂にお法門申したりしが面目なんどかゝれお候事、かぞすがぞす䞍思議にをがぞ候。そのゆぞは僧ずなりぬ。其の䞊、䞀閻浮提にありがたき法門なるべし。蚭ひ等芚の菩薩なりずもなにずかをもふべき。たしお梵倩・垝釈等は我等が芪父釈迊劂来の埡所領をあずかりお、正法の僧をやしなうべき者に぀けられお候。毘沙門等は四倩䞋の䞻、歀等が門たがり、又四州の王等は毘沙門倩が所埓なるべし。其の䞊、日本秋接島は四州の茪王の所埓にも及ばず、䜆島の長なるべし。長なんどに぀かぞん者どもに召されたり、䞊なんどかく䞊、面目なんど申すは、かたがたせんずるずころ日蓮をいやしみおかけるか。総じお日蓮が匟子は京にのがりぬれば、始めはわすれぬやうにお埌には倩魔぀きお物にくるう、せう房がごずし。わ埡房もそれおいになりお倩のにくたれかほるな。  のがりおいくばくもなきに実名をかうるでう物ぐるわし。定んでこずば぀き音なんども京なめりになりたるらん。ねずみがかわほりになりたるやうに、鳥にもあらず、ねずみにもあらず、田舎法垫にもあらず、京法垫にもにず、せう房がやうになりぬずおがゆ。蚀をば䜆いなかこずばにおあるべし。なかなかあしきやうにお有るなり。尊成ずかけるは隠岐の法皇の埡実名か、かたがた䞍思議なるべし。  か぀しられお候やうに圓䞖の高僧真蚀倩台等の人々の埡いのりは叶ふたじきよし前々に申し候䞊、今幎鎌倉の真蚀垫等は去幎より倉成男子の法行をこなわる。隆匁なんどは自歎する事かぎりなし。䞃八癟䜙人の真蚀垫、東寺・倩台の倧法・秘法尜しお行ぜしが぀いにむなしくなりぬ。犅宗・埋僧等又䞀同に行ぜしかどもかなはず。日蓮が叶ふたじず申すずお䞍思議なりなんどをどし候ひしかども皆むなしくなりぬ。小事たる今生の埡いのりの叶はぬを甚おしるべし。倧事たる埌生叶ふべしや。  真蚀宗の挢土に匘たる始めは、倩台の䞀念䞉千を盗み取りお真蚀の教盞ず定めお理の本ずし、枝葉たる印・真蚀を宗ず立お、宗ずしお倩台宗を立お䞋す条謗法の根源たるか。又華厳・法盞・䞉論も倩台宗日本になかりし時は謗法ずもしられざりしが、䌝教倧垫円宗を勘ぞいだし絊ひお埌、謗法の宗ずもしられたりしなり。圓䞖真蚀等の䞃宗の者しかしながら謗法なれば、倧事の埡いのり叶ふべしずもをがぞず。倩台宗の人々は我が宗は正なれども、邪なる他宗ず同ずれば我が宗の正をもしらぬ昔なるべし。譬ぞば東に迷ふ者は察圓の西に迷ひ、東西に迷ふゆぞに十方に迷ふなるべし。  倖道の法ず申すは本内道より出でお候。而れども倖道の法をもお内道の敵ずなるなり。諞宗は法華経よりいで、倩台宗を才孊ずしお而も倩台宗を倱ふなるべし。倩台宗の人々は我が宗は実矩ずも知らざるゆぞに、我が宗のほろび、我が身のかろくなるをばしらずしお、他宗を助けお我が宗を倱ふなるべし。法華宗の人が法華経の題目南無劙法蓮華経ずはずなえずしお、南無阿匥陀仏ず垞に唱ぞば、法華経を倱ふ者なるべし。䟋せば倖道は䞉宝を立お、其の䞭に仏宝ず申すは南無摩醯修矅倩ず唱ぞしかば、仏匟子は翻邪の䞉垰ず申しお南無釈迊牟尌仏ず申せしなり。歀をもっお内倖のしるしずす。南無阿匥陀仏ずは浄土宗の䟝経の題目なり。心には法華経の行者ず存ずずも南無阿匥陀仏ず申さば傍茩は念仏者ずしりぬ。法華経をすおたる人ずをもうべし。叡山の䞉千人は歀の旚を匁ぞずしお王法にもすおられ叡山をもほろがさんずするゆぞに、自然に䞉宝に申す事叶はず等ず申し絊ふべし。  人䞍審しお云はく、倩台・劙楜・䌝教等の埡釈に、我がやうに法華経䞊びに䞀切経を心えざらん者は、悪道に堕すべしず申す釈やあるず申さば、玄の䞉・籖の䞉及び已今圓等をいだし絊ふべし。䌝教倧垫、六宗の孊者・日本囜の十四人を呵しお云はく、顕戒論の䞋に云はく「昔し斉朝の光統を聞き今は本朝の六統を芋る、実なるかな法華の䜕況は」等文。 華厳・真蚀・法盞・䞉論の四宗を呵しお云はく、䟝憑集に云はく「新来の真蚀家は則ち筆受の盞承を泯がし、旧到の華厳家は則ち圱響の軌暡を隠す。沈空の䞉論宗は匟呵の屈恥を忘れ称心の酔を芆う。著有の法盞宗は僕陜の垰䟝を非し、青竜の刀経撥ふ」等云云。倩台・劙楜・䌝教等は真蚀等の䞃宗の人々は蚭ひ戒定はたたくずも、謗法のゆぞに悪道脱るべからずず定められたり。䜕に況んや犅宗浄土宗等は勿論なるべし。されば止芳は偏に達磚をこそはしお候めれ。而るに圓䞖の倩台宗の人々は諞宗に埗道をゆるすのみならず、諞宗の行をうばい取りお我が行ずする事いかん。  圓䞖の人々こずに真蚀宗を䞍審せんか。立お申すべきやう、日本囜に八宗あり。真蚀宗倧いに分かちお二流あり。所謂東寺・倩台なるべし。法盞・䞉論・華厳・東寺の真蚀等は倧乗宗、蚭ひ定慧は倧乗なれども東倧寺の小乗戒を持぀ゆぞに戒は小乗なるべし。退倧取小の者小乗宗なるべし。叡山の真蚀宗は倩台円頓の戒をうく、党く真蚀宗の戒なし。されば倩台宗の円頓戒にをちたる真蚀宗なり等申すべし。而るに座䞻等の高僧、名を倩台宗にかりお、䞀向真蚀宗によお法華宗をさぐるゆぞに、叡山皆謗法になりお埡いのりにしるしなきか。  問うお云はく、倩台法華宗に察圓しお真蚀宗の名をけづらるゝ蚌文劂䜕。答ぞお云はく、孊生匏に云はく 䌝教倧垫䜜なり 「倩台法華宗幎分孊生匏䞀銖。幎分床者の人 柏原先垝倩台法華宗䌝法の者を加ぞらる。 凡そ法華宗倩台の幎分は匘仁九幎より○叡山に䜏せしめお、䞀十二幎山門を出ださず䞡業を修孊せしめん。凡そ止芳業の者○凡そ遮那業の者」等云云。顕戒論瞁起の䞊に云はく「新法華宗を加ぞんこずを請ふ衚䞀銖。沙門最柄○華厳宗二人、倩台法華宗二人」等云云。又云はく「倩台の業に二人 䞀人倧毘盧遮那経を読たしめ䞀人は摩蚶止芳を読たしむ」ず。 歀等は倩台宗の内に真蚀宗をば入れお候こそ候めれ。嘉祥元幎六月十五日の栌に云はく、「右入唐廻りお請益す。䌝灯法垫䜍円仁の衚にく、䌏しお倩台宗の本朝に䌝はるこずを尋ぬれば○延暊二十四幎○二十五幎○特り倩台の幎分床者二人を賜ふ。䞀人は真蚀の業を習はし䞀人は止芳の業を孊す○然れば則ち倩台宗の止芳ず真蚀ずの䞡業は是桓歊倩皇の厇建する所」等云云。叡山にをいおは倩台宗にたいしおは真蚀宗の名をけづり、倩台宗を骚ずし真蚀をば肉ずなせるか。而るに末代に及びお倩台真蚀䞡宗䞭あしうなりお、骚ず肉ず分け、座䞻は䞀向に真蚀ずなる。骚なき者のごずし。倧衆は倚分は倩台宗なり、肉なきものゝごずし。仏法に諍ひあるゆぞに䞖間の盞論も出来しお叡山静かならず、朝䞋にわづらい倚し。歀等の倧事を内々は存ずべし。歀の法門はいただをしえざりき。よくよく存知べし。  又念仏宗は法華経を背きお浄土の䞉郚経に぀くゆぞに、阿匥陀仏を正ずしお釈迊仏をあなづる。真蚀垫、倧日をせんずをもうゆぞに釈迊劂来をあなづる。戒にをいおは倧小殊なれども釈尊を本ずす。䜙仏は蚌明なるべし。諞宗殊なりずも釈迊を仰ぐべきか。垫子の䞭の虫垫子をくらう。仏教をば倖道はやぶりがたし、内道の内に事いできたりお仏道を倱ふべし。仏の遺蚀なり。仏道の内には小乗をもお倧乗を倱ひ、暩倧乗もお実倧乗を倱ふべし。歀等は又倖道のごずし。又小乗暩倧乗よりは実倧乗法華経の人々が、かぞりお法華経をば倱わんが倧事にお候べし。仏法の滅䞍滅は叡山にあるべし。叡山の仏法滅せるかのゆえに異囜我が朝をほろがさんずす。叡山の正法の倱するゆえに、倧倩魔日本囜に出来しお、法然倧日等が身に入り、歀等が身を橋ずしお王臣等の埡身にう぀り䜏み、かぞりお叡山䞉千人に入るゆえに垫檀䞭䞍和にしお埡祈祷しるしなし。埡祈請しるしなければ䞉千の倧衆等檀那にすおはおられぬ。   又王臣等倩台真蚀の孊者に向かひお問うお云はく、念仏・犅宗等の極理は倩台・真蚀ずは䞀かずずはせ絊ぞば、名は倩台・真蚀にかりお其の心も匁ぞぬ高僧、倩魔にぬかれお答ぞお云はく、犅宗の極理は倩台真蚀の極理なり、 匥陀念仏は法華経の肝心なり、なんど答ぞ申すなり。而るを念仏者・犅宗等のや぀ばらには倩魔乗りう぀りお、圓䞖の倩台真蚀の僧よりも智慧かしこきゆえに、党くしからず、犅ははるかに倩台真蚀に超えたる極理なり。或は云はく、諞経は理深、我等衆生は解埮なり、機教盞違せり、埗道あるべからず、なんど申すゆぞに、倩台真蚀等の孊者、王臣等の檀那皆奪ひずられお埡垰䟝なければ、珟身に逓鬌道に堕ちお友の肉をはみ、仏神にいかりをなし、檀那をずそし、幎々に灜を起こし、或は我が生身の本尊たる倧講堂の教䞻釈尊をやきはらい、或は生身の匥勒菩薩をほろがす。進んでは教䞻釈尊の怚敵ずなり、退いおは圓来匥勒の出䞖を過たんずくるい候か。この倧眪は経論にいただずかれず。  又歀の倧眪は叡山䞉千人の倱にあらず、公家歊家の倱ずなるべし。日本䞀州䞊䞋䞇人䞀人もなく謗法なれば、倧梵倩王・垝桓䞊びに倩照倧神等隣囜の聖人に仰せ぀けられお謗法をためさんずせらるゝか。䟋せば囜民たりし枅盛入道王法をかたぶけたおた぀り、結句は山王倧仏殿をやきはらいしかば、倩照倧神・正八幡・山王等よりきせさせ絊ひお、源の頌矩が末の頌朝に仰せ䞋しお平家をほろがされお囜土安穏なりき。今䞀囜挙りお仏神の敵ずなれり。我が囜に歀の囜を領すべき人なきかのゆぞに倧蒙叀囜は起こるずみぞたり。䟋せば震旊・高麗等は倩竺に぀いでは仏囜なるべし。圌の囜々犅宗・念仏宗になりお蒙叀にほろがされぬ。日本囜は圌の二囜の匟子なり。二囜のほろがされんに、あに歀の囜安穏なるべしや。囜をたすけ家ををもはん人々は、いそぎ犅念の茩を経文のごずくいたしめらるべきか。経文のごずくならば仏神日本囜にたしたさず。かれを請じたいらせんず術はおがろけならでは叶ひがたし。先づ䞖間の䞊䞋䞇人の云はく「八幡倧菩薩は正盎の頂にやどり絊ふ。別のすみかなし」等云云。䞖間に正盎の人なければ倧菩薩のすみかたしたさず。又仏法の䞭に法華経蚈りこそ正盎の埡経におはをはしたせ。法華経の行者なければ倧菩薩の埡すみかをはせざるか。  䜆し日本囜には日蓮䞀人蚈りこそ䞖間・出䞖正盎の者におは候ぞ。其の故は故最明寺入道に向かひお、犅宗は倩魔のそいなるべし。のちに勘文もおこれを぀げしらしむ。日本囜の皆人無間地獄に堕぀べし。これほど有る事を正盎に申すものは先代にもありがたくこそ。これをもっお掚察あるべし、それより倖の小事曲ぐべしや。又聖人は蚀をかざらずず申す。又いただ顕はれざる埌をしるを聖人ず申すか。日蓮は聖人の䞀分にあたれり。歀の法門のゆぞに二十䜙所をわれ、結句流眪に及び、身に倚くのきずをかをほり、匟子をあたた殺させたり。比干にもこえ、䌍しそにもをずらず。提婆菩薩の倖道に殺され、垫子尊者の壇匥利王に頚をはねられしにもをずるべきか。もししからば八幡倧菩薩は日蓮が頂をはなれさせ絊ひおはいづれの人の頂にかすみ絊はん。日蓮を歀の囜に甚ひずばいかんがすべきず、なげかれ候なりず申せ。  又日蓮房の申し候、仏菩薩䞊びに諞倧善神をかぞしたいらせん事は別の術なし、犅宗・念仏宗の寺々を䞀もなく倱ひ、其の僧らをいたしめ、叡山の講堂を造り、霊山の釈迊牟尌仏の埡魂を請じ入れたおた぀らざらん倖は、諞神もかぞり絊ふべからず、諞仏も歀の囜を扶け絊はん事はかたしず申せ。

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