富木入道殿御返事 文永八年十一月廿三日 五〇歳
此の比は十一月の下旬なれば、相州鎌倉に候ひし時の思ひには、四節に転変は万国皆同じかるべしと存じ候ひし所に、此の北国佐渡国に下著候ひて後、二月は寒風頻りに吹いて、霜雪更に降らざる時はあれども、日の光をば見ることなし。八寒を現身に感ず。人の心は禽獣に同じく、主師親を知らず。何に況んや仏法の邪正、師の善悪は思ひもよらざるをや。此等は且く之を置く。 去ぬる十月十日に付けられ候ひし入道、寺泊より還し候ひし時、法門を書き遣はし候ひき。推量候らむ。已に眼前なり。仏滅後二千二百余年に、月氏・漢土・日本・一閻浮提の内に「天親・竜樹、内鑑冷然たり、外は時の宜しきに適ふ」云云。天台・伝教は粗釈し給へども、之を弘め残せる一大事の秘法を、此の国に初めて之を弘む。日蓮豈其の人に非ずや。前相已に顕はれぬ。去ぬる正嘉の大地震は前代未聞の大瑞なり。神世十二、人王九十代、仏滅後二千二百余年未曽有の大瑞なり。神力品に云はく「仏滅度の後に於て、能く是の経を持つが故に、諸仏皆歓喜して無量の神力を現ず」等云云。「如来の一切の所有の法」云云。但し此の大法弘まり給ふならば、爾前・迹門の経教は一分も益なかるべし。伝教大師云はく「日出でて星隠る」云云。遵式の記に云はく、末法の初め西を照らす等云云。法已に顕はれぬ。前相先代に超過せり。日蓮粗之を勘ふるに、是時の然らしむる故なり。経に云はく「四導師有り、一を上行と名づく」云云。又云はく「悪世末法の時、能く是の経を持たん者」と。又云はく「若し須弥を接って、他方に擲げ置かん」云云。 又貴辺に申し付けし一切経の要文、智論の要文、五帖一処に取り集めらるべく候。其の外論釈の要文、散在あるべからず候。又小僧達談義あるべしと仰せらるべく候。流罪の事、痛く歎かせ給ふべからず。勧持品に云はく、不軽品に云はく。命限り有り、惜しむべからず。遂に願ふべきは仏国なり云云。 文永八年十一月二十三日 日 蓮 花押 富木入道殿御返事 小僧達少々還し候。此の国の為体、在所の有り様、御問ひ有るべく候。筆端に載せ難く候。