大学三郎殿御書 建治元年七月二日 五四歳
外道には天・人・畜の三善道を明かし、鬼道の有無之を論じて、地獄道は其の沙汰無し。小乗経には六道の因果を明かして、四聖は以て分明ならず。倶舎・成実・律の三宗は小乗経に依憑して但六道を明かす是なり。三論宗は天台宗已前に天竺より之を渡す。八界を立てゝ十界を明かさず。法相宗は又天竺の宗なり。天台已後に唐の太宗の世に之を渡す、又八界を立つ。大乗たりと雖も五性各別を立て、無性有情は永く成仏せずと之を立つ。殆ど外道の法に似たり。自他宗の歎きなり。華厳宗・真言宗の両宗は天台已後に之有り。華厳宗は唐の則天皇后の御宇に之を立つ。真言宗は玄宗の時善無畏三蔵之を渡す。但し天竺に真言宗の名之無し。無畏三蔵大日経を以て宗と為すがの故に猥りに天竺の宗と称するか。此の二宗は共に十界を立つ。但し天台宗已後なり。智者大師の巧智を偸盗して自身の才財と号するか。
仏説の如く之を勘ふれば、法華経の外の華厳経・大集経・般若経・大日経・深密経等の諸経は但小衍相対なり。但法華経計りに限って已今当を以て眷属の修多羅と為す。然りと雖も天台已前の諸師は法華経等の一切の大乗経を小衍相対を以て之を釈す。王臣の差別無く上下之を混ず。仏法未だ顕はれず、愚癡の失之有り。天台已後に諸宗小衍相対の経々を以て権実相対之を定む。天台の智之を盗めり。日月に背いて灯に向かひ、丘塚を華恒に比する是なり。仏は十八界、修羅は十九界、天台は四智、真言は五智、天台は九識十識、真言は十識十一識なり。
而るを天台の学者之に誑惑せられ悉く実義なりと思ひ「法華経は釈尊の所説にして民の万言の如く、大日経は天子の鳳文にして王の一言の如し」等云云。善無畏三蔵事を天竺に寄せ、法華経と大日経と理同事勝なりと。是一の謬言なり。日蓮、論師人師の添言を捨てゝ専ら経文を勘ふるに、大日経一部六巻並びに供養法の巻一巻三十一品之を見聞するに、声聞乗と縁覚乗と大乗の菩薩と仏乗のと四乗之を説く。其の中の大乗の菩薩乗とは三蔵教の三祇の菩薩乗なり。仏乗は実大乗なり。法華経に及ばざるの上、華厳・般若にも劣り但阿含と方等との二経なり。大日経の極理は未だ天台の別教・通教の極理にも及ばざるなり。
弘法大師は延暦廿三年に入唐し、大同二年に帰朝す。三箇年の間恵果和尚に値ひて真言の秘教を学習し、帰朝の後十住心・二教論之を注して世間に流布す。釈迦牟尼仏並びに大日二仏の所説の勝劣之を定む。第一大日経・第二華厳経・第三法華経、浅きより深きに至る義なり。華厳経の法華経に勝るとは南北の二義を取るなり。又華厳宗の義なり。南北並びに弘法大師は無量義経・法華経・涅槃の三経を見ざる愚人なり。仏既に分明に華厳経と無量義経との勝劣之を説く。何ぞ聖言を捨てゝ南北の凡謬に付かんや。近きを以て遠きを察するに、将又大日経と法華経との勝劣之を知らず。大日経には四十余年の文之無く、又已今当の言之を削る。二乗作仏・久遠実成之無し。法華経と大日経との勝劣之を論ぜば、民と王と石と珠との勝劣高下是なり。而も安然和尚粗之を顕はす。然りと雖も粗華厳経と法華経との勝劣は之を明らむるに似たれども、法華・大日経の勝劣之に闇くして、闇と漆との如くなり。慈覚大師は本伝教大師に禀くると雖も本を捨てゝ末に付き、入唐の間、真言家の人々之を誑惑する間、又大日経と法華経と理同事勝と云云。賢きに似たれども但善無畏の僻見を出でざるのみ。
而るに日蓮末代に居し粗此の義を疑ふ。遠きを尊み近きを賤しみ、死せるを上げ生けるを下す。故に当世の学者等之を用ひず。設ひ堅く三帰・五戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・十無尽戒等の諸戒を持てる比丘、比丘尼等も、愚癡の失に依って小乗経を大乗経と謂ひ、権大乗経を実大乗経なりと執する等の謬義出来す。大妄語・大殺生・大偸盜等の大逆罪の者なり。愚人は之を知らずして智者と尊む。設ひ世間の諸戒之を破る者なりとも堅く大小・権実等の経を弁へば世間の破戒は仏法の持戒なり。涅槃経に云はく「戒に於て緩なる者を名づけて緩と為さず、乗に於て緩なる者を乃ち名づけて緩と為す」等云云。法華経に云はく「是を持戒と名づく」等云云。重き故に之を留む。事々霊山を期す。恐々謹言。
七月二日 日 蓮 花押
大学三郎殿