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守ってはくれない御守り 俗信・迷信

諸宗教破折2
3/12/2017

障害や苦悩に直面した時、そして、その解決が自分の力ではなくどうにもならないと感じる時に、人は何かにすがりたい心境に駆られるものだ。
そんな時、神社仏閣の社寺境内で販売されている「御守(おまも)り」を自身のために購入したり、親しい人や大事な人にプレゼントするという人も、皆さんの周囲にはいることだろう。

安価で便利な宗教グッズ
形状は、紐(ひも)で吊(つ)り下げられるようにした平らく小さな袋や巾着、紙片、パワーストーンで作られたブレスレット(腕輪)、ペンダントとして首から提(さ)げられるものやキーホルダーに取り付けられた鈴、車に貼れるシール、と様々である。
広い意味では、国内外の厄除け、招福、加護など、人に願いを象(かたど)ったすべての縁起物を含む。
多様な願いに応じて提供されている中から簡単に選べること、手頃な価格であること、常に携帯できる利便性などにより、多くの人に受けのいい宗教グッズで、宗教の正邪を問わない人ならば、ほぼ抵抗感はないのだろう。

神々もびっくり
無病息災、商売繁盛、受験の合格、安産、交通安全などのメジャーな物から、一風変わった物もある。
東西の叶(かのう)神社それぞれにある、袋と勾玉(まがたま)を組み合わせて一つにする御守り(東・西叶神社)。
何事も大丈夫だという気持ちにさせてくれる浅草神社の「大丈夫守(まもり)」。ランドセルを型取り型取った御守り(湯島天神、西新井大師等々全国各地)。
インターネット普及に伴ってか、パソコン全体の情報を守ってくれる、ウィルス対策ソフトいらずの「IT情報安全守護」(神田明神)
などがそれの例。さらには境内の梅の種で作った御守り(亀戸天神)まである。ここまでくると、何を守ってもらうのか理解不能になりはするが・・・。
世情や流行に合わせて新作が続出するのは、守られたいという人々の願望を逆手に取った金儲けの手段に過ぎないからだ。
縁もゆかりもない人の守護を願われる八百万(やおよろず)の神だって、さぞかし困惑することだろう。そもそも八百万の神は、私達を直接守る神ではないのだから。

期限付き?
また、御守りによっては有効期限があるのはご存じだろうか。基本的には一年間とし、一年が過ぎたら納めることを推奨している社寺がとても多い。
理由も諸説ある。「古い御守りは災いを受け切れなくなって、逆に持ち主に災いが降りかかる可能性がある」とか「神様は清く整った所を好むが、時間が経つと穢(けが)れや悪い気に触れて効果を発揮しにくくなる」とのこと。
そんな理由か、という印象ではある。

正体は悪鬼魔神の札
神聖なものと思い込んでいるため、御守りの中身を確かめる人は少ないだろう。多くは、中に「神璽(しんじ)」とか「内府(ないふ)」と呼ばれる小さな「おしるし」が入っている。
これはその宗派の象徴ともなる本尊や題目、経典などの文言・図画が書かれていることが多い。
びっくりするのは、何も入っていない、もぬけの殻の御守りもあれば、形を整えるための厚紙入りもあったことである。そんなものを後生大事に持ち歩いている人も多いということだ。
これら御守りが問題なのは、大半は神社仏閣で祈祷されていて、そのために悪鬼魔神が取り憑(つ)いているということである。日蓮大聖人の、

「世皆(みな)正に背き人悉(ことごと)く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是(ここ)を以て魔来たり鬼(き)来たり、災(さい)起こり難起こる」
(御書 二三四㌻)

との御金言からも明らかなように、正法に背(そむ)いて銘々が勝手な教義を立てている社寺から販売されているのだ。
そんな物には当然、神の力が宿るはずはなく、悪鬼魔神が棲(す)みついて、たちまち災いを呼び寄せる結果となってしまう。
自分で努力もせず、その因果を知ろうともしない人に「わずかな値段の御守りさえあれば不幸がなくなる」と教えることこそ、外道たる証(あかし)である。
(大白法 第九五三号 平成二十九年三月十六日)

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