諸宗教破折2
疫病の不安は続く
全国で拡大する、変異した新型コロナウイルスへの感染。
増減を繰り返しながら続く疫病への不安は、今もなお人々を苦しめている。
新型コロナウイルスの感染拡大がきっかけとなり、「妖怪・アマビエ」が広く知られるようになったが、ここにきて、疫病終息を願って各地で伝統行事が復活しているようである。
伝統行事が復活
鹿児島県薩摩川内市では約百年ぶりに、県の無形民俗文化財である「入来宮値踊が奉納され、福島県会津美里町の伊佐須美神社では百四十八年ぶりに「疫神斎」が行われるなど、全国各地で伝統行事が復活している。
中でも京都の北野天満宮では、平安時代に始まった「北野御霊会」が「応仁の乱」などによって途絶えて以来、約五百五十年ぶりに再興した。
この「北野御霊会」は、北野天満宮の神職と比叡山延暦寺曼殊院の僧侶が一緒に行う神仏習合の儀式
である。神仏習合となった機縁は、北野天満宮の祭神である菅原道真が生前、延暦寺の尊意を師と仰いでいたことや、曼殊院の前身である東尾坊を開いた是算国師が菅原氏の出身であったことによるようだ。
NHKのニュースウェブによれば、神職と僧侶三十人が集まり、宮司が祝詞をあげ、僧侶が「法華三昧」と呼ばれる法要を修し、玉串を捧げるなど、神道と仏教が一緒になって新型コロナウイルスの終息や世界平和を祈願したそうである。
神仏に届かぬ願い
神仏習合の儀式などと聞けば、そこには絶大なる威力が発揮されそうな気がするが、実際はどうなのか。
「北野天満宮」は、学問の神とされる菅原道真を祭神とする、天神信仰の発祥の地であ天神社の総本
社であるという。
しかしながら、この天神信仰とは、もとは中国の「天神地祇」の思想から起こったもので、そこに日本では農耕の神である雷神と道真の怨念に対する御霊信仰が結びついたものである。
道真は、右大臣であったが策謀により失脚させられ、不遇の死を遂げた。その直後、京都に災難が相次いだことが道真の怨念によるものとされ、そこで道真を御霊として祀り、その怨霊を鎮めるために天神信仰が生まれたのである。
現在では学問の神として道真を崇めているが、怨念に満ちた生涯を送った凡夫を拝んだところで、救われる道理がないことは明らかであろう。
また「比叡山延暦寺」は、高祖を天台大師、宗祖を伝教大師とする天台宗の寺であり、法華経を根本としながらも権大乗や密教の経典なども用いている。
この天台大師の教えは、像法時代には衆生を救う力はあったが、末法の今日にはその力は及ばない。 その故は、天台大師の説いた法華経は迹門を面とし、本門を裏とした「迹面本裏」の教えであり、最勝深秘の教えではなく、その修行法である「十乗観法」も末法の本未有善の衆生には不可能な修行方法だからである。
ましてや後の円仁、円珍、安然の時代に法華経以外の密教に大きく傾倒したことにより、本来の天台宗をも汚濁する結果となってしまった。 今や教義や本尊も雑多となり、権実雑乱の謗法の姿を呈している天台宗に、世の人々を救う道理のないことは明白である。
このように天神信仰と天台宗が力を合わせて、道理から外れた祈りを捧げたとしても、その願いは到底、神仏に届くはずがない。
祈りを叶えるには
コロナ禍等の様々な災いは、正法背信の現罰によって引き起こされていることを御教示される日蓮大聖人は、『如説修行抄』の中で、
「万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば (中略)代はぎのうの世となりて、今生には不祥の災難を払ひて長生の術を得、人法共に不老不死の理顕はれん」(御書六七一ページ)
と仰せられている。
万民が一乗の妙法を受持することによって疫病等の種々の災難もことごとく推滅し、安穏なる仏国土が顕現するという道理を、よく知るべきである。
(大白法令和4年11月16日号より転載)