諸宗教破折
古来、興流義と化して本から逸脱した集団では、その指導者が都合のいいように等の改悪を行って
いる。
近年では創価学会の「戒壇の大御本尊を信仰の対象にしない」という趣旨の会則変更が記憶に新しい。
顕正会会長・浅井昭衛は、これについて自著で、「本門戒壇の大御本尊の日蓮大聖人の仏法
四六二頁)
「ついに戒壇の大御本尊を公然と捨てさせる挙」(同四六三)
などと批判している。
しかし、顕正会は一族は「大御本尊尊崇」を主張しているものの、次々に独自の教義を立ててもいる。
所詮は異流義同士、同じ穴のムジナである。
以前の規約
具体的に実態を見てみよう。
顕正会では、平成六年頃「日蓮正宗顕正会・規約」なるものを制定している。それによると、
「本会は『日蓮正宗顕正会』と称する」(顕正新聞 平成六年四月十五日
「本会は、国立戒壇建立の御遺命を放棄する以前の日蓮正宗の伝統教義に基づき行行する」(同)
とあり、また会員の処分事由として、
「日蓮正宗の教義に違背する言動をしたとき」
を挙げる。
この時点では、「国立戒壇」などにこだわる実状はあるにせよ、成立当初以来の「日蓮正宗の信徒団体」との建前は残っていたことが見て取れる。
宗教法人の取得
浅井は、平成八年に顕正会が宗教法人格を取得すると新たな規則を制定し、
「日蓮正宗の教義に違背す言動」により独自の教義改変を行っていった。
まず、
「『日蓮正宗』と名乗ることが恥ずかしい」(同平成九年一月五日付)
「長き富士大石寺の歴史において、日蓮正宗と名乗ったのは、最近のわずか八十四年だけのこと」(同)
と宗名を批判し、新規則からうも文言を削除している。
本宗からすれば実に喜ばしいことである。いっそ、「大石寺顕正会」と自称も紛らわしく恥ずかしいから、早くやめてもらいたいものである。
ちなみに、顕正会が執着する「国立戒壇」も、明治期よりわずか百余年、しかも他門徒の田中智学によって提唱されたものだが。
勤行・観念文・塔婆建立等の改変
さらに浅井は、平成十年
「広く大衆を教化し実践せしむる時においては、五座の形はあり得ない。三大秘法修行の本質・元意をとって実践せしむる。これが御在世におけ一般大衆への御教導であられたと、私は拝する」
(同平成十年六月十五日付)
などとして、 五座三座の勤行形式を一遍通しのみと改変した。
また、観念文についても、従来の宗門の観念文は、間違っているわけではないが、やや粗略、意を尽くしてない、そし法門上において紛らわしいところがある」(同)として、改変(大して変わらないが)している。
また、長い間ずっと塔婆を建立していたであろうが、平成一六年になると突然
「塔婆は一切不要である。(中略)御在世において戒名などはない」(同平成十六年三月五日付)
と塔婆・戒名不要論を主張しだしたのである。
このように顕正会が本宗伝統法義を改悪する様は、まるで創価学会が破門以降にとった謗法化路線を見ているようで、 相伝なき異流義の哀れな行く末を露呈している。
顕正会が日蓮正宗に戻ることはない
浅井は、顕正会の目的が達せられた時、
「その正しい猊下の下に、お仕えし御奉公しようという気持ちを持ち続けております」(同平成9年1月5日付)
と言っているが、浅井教と化した顕正会が、本宗に戻ることは永久にない。
顕正会会員には、浅井の詭弁を見抜き、一刻も早く大御本尊のもとへ帰依するよう強く勧めたい。
(大白法令和4年9月1日号より転載)
ホーム » 悪師による教義の改悪ー顕正会