宗祖日蓮大聖人御聖誕800年の慶祝記念総登山が3月4日を皮切りに始まった。
「道のとおきに心ざしのあらわるにや」(御書689ページ)
との御文は、『乙御前母御書』(文永十年十一月三日)の一節である。
乙御前の母・日妙聖人は単身、鎌倉よりの日蓮大聖人のもとへ険路をも怖じず参詣した。冬の荒はさらに難儀であったろう。 大聖人はこうした状況を語り、一心に法を求めて歩みを運んだ信心の志を愛でられたのである。
本紙二月十六日号には、渡航規制の緩和を待ちに待って、昨秋九十四歳の女性がアメリカ・ワシントンDC妙宣寺の団体登山で、また八十代の女性がフランス・パリから単身で、遠き道を登山参詣したことが紹介されていた。
全議員には、現代の登山参詣の手本として記念総登山に臨んで欲しい。
往古、維摩長者は八十歳の老齢ながら、釈尊が法を説かれると聞き、四十里もの道のりを歩いて参詣した。釈尊は、その法を求めて歩みを運ぶ功徳を説かれた。
一歩一歩踏んできた土を集打ち砕き、芥子粒ほどの塵にしよう。その一粒一粒が、一劫という長い時間に積んだあなたの罪障を消滅させる。
乃至、その無量の塵は、あなたの過去遠々劫の罪障を消滅させるであろう。また今より以降、あなたが実際に仏に値い奉って法を聞く数も、その塵と同じく無量である、と。
現代、歩いて登山参詣する人はなかろう。 しかし法を求めて歩みを運ぶ功徳は、その信心の志のもと、無量の功徳に繋がっていく。
大聖人は『四条金吾殿御返事』に仰せである。
「今の所もくの如し。仏菩薩の住み給ふ功徳聚の砌なり。(中略) 毎年度々の御参詣には、無始の罪障
も定めて今生一世に消滅すべきか。弥はげむべし」(同一五〇二)
講員一同、時に当たり慶祝記念総登山の大きな功徳を自覚し、大聖人御聖誕に篤く御報謝申し上げ、折伏躍動・広布前進を誓い合おう。 (耀)
(大白法令和5年3月16日号より転載)