日蓮大聖人様の尊称について、私たち日蓮正宗の僧俗は末法の御本仏として拝し、「日蓮大聖人」と申し上げます。
その理由について、総本山第26世日寛上人は、「それは、大聖人様が自らお名乗りになったからであり、また、大聖人とは仏様を意味する尊称であるからです(趣意)」(六巻抄53ページ)
と仰せです。
まず、「自らお名乗りになった」ことについて、大聖人様は、
「南無日蓮聖人」(御書867ページ)
「当世には日本第一の大人なり」(同869ページ)
「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」(同748ページ)
と「撰時抄」や「聖人知三世事』に、御自ら抑せられています。
次に「大聖人とは仏様を意味する尊称である」ことについ大聖人様は『開目抄』に、
「仏様は真実を仰せになる方であるので、聖人・大人と称する。世間の賢人・聖人等と呼ばれる人々の中でも最も勝
れて第一である故に、仏様のことを大人と申すのである(趣意)」(同529ページ)
と御示しです。「大聖人」との尊称には、過去から未来に至る三世の生命を正しく見極める「聖人」という意味と、一切衆生を成仏に導く「大人」の意義が込められているのです。
「第一とはすなわち「大」のである。(中略)「聖人」との尊称は世法・仏法の上で通じて用いるため、これらを
えらび分ける意味で『大聖人』と申し上げる(趣意)」(六巻抄530ページ)
と御指南されています。
以上から、「大聖人」とは、御自ら名乗られたものであり、仏様を意味する尊称であることが判ります。
さらに「下品御消息」に、
「教主釈尊より大事なる行者」(御書1159ページ)という御文があります。これは、御自身こそ末法の御本仏であると仰せられる、明らかな証拠であると拝します。
日蓮宗等の他門流では「日蓮大菩薩」や「日蓮聖人」、「立正大師」などの称号を用いて大聖人様を軽んじています。これは「種々御振舞御書」に、
「かかる日蓮を用ひねるともあしくうやまは、国亡ぶべし」(同1066ページ)
と仰せの通り、誤った敬い方であるため大謗法行為であり、国が滅びる原因となってしまうのです。
私たち日蓮正宗の僧俗が「日蓮大聖人」と申し上げることは、大聖人様こそ末法の一切衆生を救済される御本仏であることを尊ぶ、正しい拝し方なのです。