阿耆達王の怒り
往昔、ある沙門が叢(くさむら)に行くと、そこに一匹の大蛇を見かけた。
蛇は
「和尚、あなたは阿耆達王(あぎったおう)のことを聞いたことがあるか」
と話しかけてきた。
「聞いたことがある」
「実はわたしがその王である」
と蛇は答えた。沙門はその姿を見て驚き、
「阿耆達王は仏塔等を立てているし、その功徳は巍々(ぎぎ)堂々として天上に生まれるべきである。それなのにどういう訳で蛇になったのか」
と尋ねた。すると蛇は
「わたしが臨終の時、看病の者が暑いので気の毒に思い、扇であおごうとしたら、手をすべらせて扇をわたしの顔に落としてしまった。わたしはとっさに『なにをするんだ』と怒ってしまったので、その結果、蛇に身を受けてしまったのだ」
と述べた。
それを聞いた沙門は経を説き、さらに聞いてもらいたいために食を忘れて七日間、説き続けた。聞法の功徳によって蛇は命終して天に生まれ、数カ月後、仏に花を献じた。これを見た人々は、その所作を怪しんだ。
虚空に飛んで
「わたしは阿耆達王である。沙門の恩を受け、法を聴いて天に生ずることができた。今ここにきて感謝するのみである。あなた方が、もし人の臨終に立ち合う時は臨終を妨げないように病者の心を守らなければならない」
と誡めたのである。
これは「雑譬喩経」に説かれていて、「大蔵一覧」や「沙石集」に紹介されている。日寛上人は、このことから「死期には顔に物を荒々しく掛けてはいけない。或いは掛けなくてもよい物なら掛けないほうかよいのでは」と述べられている。
(歴代法主全書八巻)
(高橋粛道)