卞和(べんか)が璞玉(あらたま)
昔、卞和という人がいて、荊山を歩き回って楽しんでいると、まだ磨いていない一尺余りの玉の石を見つけた。卞和は「これは世に比べられないほどの高貴な玉である」と思い、楚(そ)の厲(れい)王に「よく磨かせてから御覧ください」と言って献上申し上げた。早速、王は玉造りを召して見させたところ、玉造りは「ただの石です」と報告したので王は怒り、詐(いつわ)りの科(とが)は浅くないとして卞和の左足〔別本には刖(あしきり)(筋を切る刑)とある〕を斬り落としてしまった。
次に、武王が即位したので再び卞和はこの璞玉を献じた。王は喜んで、玉人を召して磨かしめた。玉人は、磨いても光が出ないのでそのように報告すると武王は怒り、卞和の右足を斬って彼を荊山に捨て去った。
かくて二十余年過ぎてもなお卞和は存命して、その璞玉を抱いて涙を流して泣いていた。
その後、武王に代わって文王が即位した。ある日、文王が荊山に狩りに出かけると、三日三夜、卞和が両足を斬られて悲泣しているのを見て「天下に足を斬らるる者は大勢いる。どうして強(あなが)ちに泣くのか」と尋ねると、卞和は「私は少しも両足を斬られたことを歎(なげ)いていません。ただ、天下に玉を知る人がなく、真玉を瓦石となし、忠事を慢事とすることを悲歎して哭(な)いているのです」と答えた。文王はこのことを聞いて玉を受け取り、城に帰って玉人に磨かせると、なんと玉より光を放ち、天地に照り輝くのであった。
この玉を行路にかけると十七輌の車を照らすので「車照の玉」と名づけ、これを宮殿にかかげると夜十二の街(まち)を輝かすので「夜光の玉」とも言った。