穆王(ぼくおう)の陰徳陽報
過ちがあっても、よく改めることができれば過ちのないのと同じである。しかし過ちがあるのにそれを改めないのは大きな災いとなる。
『論語』には、
「過てば即ち改むるに憚(はば)らずかる勿(な)かれ」
と。誰一人として過ちを犯さない人はいない。だから過ちがあれば必ず改めよというのである。
孔子は、
「義を聞きて●(うつ)る能わざる(正しいことを聞いて自分を正しくできない)、不善を改むる能わざる、是れ吾が憂なり」
といっている。
昔、秦の穆公は駿馬を失くした。五人の盗賊が盗み、殺して食べたのである。
五人はこのことが露見して穆公の前に突き出された。断罪に処せられるべきなのに、かえって穆公はこの者達に薬酒を与え、
「この酒を飲めばたちどころに馬肉の毒を溶かしてしまう、肉を食べてそのままにしておけば発病しょう」と言い、遂に五人を許してやった。
五人は死を免れることができ、過ちを改めてみずから祈念して、いつか恩に報じようと思った。
のちに秦と晋とが載ったときに、この五人は命を惜しまず先鋒将となって大いに晋軍を敗った。
穆公が、
「君たちは何者か。命を惜しまないのか」
と尋ねると、これら五人の臣は、「昔、われらは大王の馬を盗んで殺して食べました。そのことが露見しましたので殺されて当然なのに、大王はわれらに酒を与えてくだされ、命を許してくださいました。われらは過ちを改め、それ以後は心を入れ替えて盗みをせず、御恩に報いたいと念じておりました。たまたま秦軍が敗れそうなのを見て、われらは命を合わせて戦い、晋軍を敗り、大王の恩に報いることができました」
と言った。穆公は
「陰徳、陽報を得(かげの善行によって日に見える善い報いを受ける)とはこのことだ」
と言った。
陰徳陽報の故事は『韓詩外伝』『呂氏春秋』『准南子』『説苑』等に見えるが、日寛上人は『註千字文』を引用して紹介されている。宗祖は四条金吾殿に『陰徳陽報御書』を授与されており、また、『上野殿御消息』には「かくれての信あれば、あらはれての徳あるなり」と仰せである。
(歴代法主全書八巻)
(高橋粛道)