石虎将軍
昔、中国の漢の時代に李広(りこう)という人がいた。李広の父は幼少の時に虎に殺された。
李広は成長して大きくなると、母に「人には皆、父がいるのに、なぜ自分にはいないのですか」と尋ねた。母は泣く泣く、「父が無くておまえが生まれるわけがない。父はおまえが小さい時、虎に食われた。今思っても哀れなことだ」と言って悲嘆の涙に咽(むせ)んでしまった。李広はこれを聞いて一度は悲しみ、一度は怒って、「我、男と生まれた以上、父のあだを取らないわけにはいかない。敵(かたき)と共に同じ天を仰ぎたくない(必ず殺してやる)、ぜひとも復讐したい」と心に誓った。
これより毎夜、虎のいそうな野辺に忍びでてチャンスを伺っていた。そして、ある日の夕暮れに草むらをかすかに見渡すと一匹の虎がうずくまっていた。李広は大いに喜び、これこそ父の敵と矢を放った。すると手ごたえがあり、矢は突き刺さった。
李広は「あら嬉(うれ)しや、日頃の念願が成就した」と喜んだが、近付いてみるとこれはどうしたことか、虎ではなく一つの大きな石であった。しかも矢は羽ぶくらを過ぎた所まで刺さっていた。李広は大いに驚き、我が弓勢が勝れているから矢じりが立ったのかと思ったが、あまりにも納得がいかなかったので、石が柔らかかったからかと思い、試しに矢を放ったが、矢じりが砕けて飛び散った。さては初めの矢が立ったのは父の敵の虎と思う念力が岩を通したのであろうと、大いに感嘆して帰宅したのであった。これより李広を石虎将軍と言うようになった。
これは 『宗鏡録』という書物に記されていて、日寛上人は 「めんめん方々も修行の弓には妙法の矢をつかい、疑いない念力をもって信心のこぶしをかためきって放せば、たとい悪口は猛虎のようにたけくとも、煩悩は大盤石より剛(かた)くとも、我が念力が通じないわけがないと信心決定して、少しの疑いもなく修行することが専一である」と仰せである。(『信について』)
(高橋粛道)