戯れに衣を着て比丘尼となった芸子
仏の在世に鬱鉢(うはつ)比丘尼がいて既に阿羅漢を得、六神通を具していた。
比丘尼は貴人の家を訪問すると、いつも出家を賛嘆し、貴婦人に出家を勧めていた。すると彼女達は、
「私は年少の上、容色も美しいので途中で戒を破って還俗(げんぞく)してしまいます」
と言った。比丘尼は、
「城を破ろうとするから破れるのです」
と答えた。また彼女達は、
「戒を破れば地獄に堕ちてしまうでしょう」
と問うと、比丘尼は、
「堕ちようとするから堕ちるのです」
と答えた。彼女達は笑って、
「地獄に堕ちれば苦を受けることになる」
と言った。
それを諭(さと)すように比丘尼は、
「実は、私の過去の姿を言うと、私は芸子でありました。色々な衣服を着ましたが、ある日、比丘尼の衣を着て戯笑(けしょう)したことがあります。この僧尼の衣を着た縁により、迦葉仏の出世の時、比丘尼となりました。私は高性(こうせい)で、顔貌(かお)も端正でありましたので、心に驕慢(きょうまん)を起こし、禁誡を破ってしまいました。
この破戒の罪により地獄に堕ちて多くの苦を受けました。けれども罪を受け終わって人間界に生を生(う)けましたら釈尊に遇い、再び出家得度し、阿羅漢を得、六通が自在になりました。故に出家受戒は初めによるのです」
と答えたのである。
これは『本生経』に説かれていて、日寛上人は『法衣供養談義』のなかに「戯れに衣を着ても功徳があるのだから、真実から出家して衣を着るにおいては、その功徳は広大無辺である」と仰せであり、出家の功徳を説いたものである。
(歴代法主全書八巻)
(高橋粛道)