罪福報応
インドのラヤリ国の五百人の者が海中に入って宝を採り、船を置いて歩いて帰って来たが、深山を通って来たので日が暮れて野宿することになった。
翌朝、早く出発したが、一人の者は熟睡していて取り残されてしまった。その者は雪に遇い、道に迷って窮してしまい、大声で泣き叫んでいた。すると大栴檀杏樹(樹神)が、
「ここに留まりなさい。食料をあげるから春になったら帰りなさい」
と言うので、窮人は三月、留まった。
かくて樹神に礼を言って帰ろうとすると、樹神は金一餅をくれた。窮人が、「国に帰ってあなたの恩を国の人に話したいから名を教えてほしい」と頼むと、ようやく樹神は「栴檀」の名を告げ、「根葉は人の百病を治す」と言った。
窮人は帰国したが、その国の王は頭痛に悩まされていた。医者が栴檀香があれば治すことができると言うので、王は勅を出して栴檀香を求めていた。その見返りに高い地位と妻を一人出すというので、窮人は賞禄の重さに魅せられ、宮殿に行き、王に会って、「私はその在り処を知っている」
と述べた。
窮人は王の近臣を案内して目的の木の所まで来た。近臣の一人が立派に茂っている木を見て、伐(き)るのをためらった。すると樹神は、
「われを伐りなさい。そしてそこに人血を塗り、肝腸で上を覆いなさい。そうすれば木は元のように生(は)えてくる」
と言うので、近臣に木を伐らせると、樹枝が窮人の身体に落ち、圧殺してしまった。
近臣は話し合って樹神の言うとおりにすると樹は前の如く生じた。樹を車に載せて持って帰り、それで王の手当てをすると、たちまちに癒えた。
阿難は釈尊に、
「この窮人はどうして樹神の恩に背いたのですか」
と尋ねた。すると釈尊は次のようにお述べになった。
それは、昔、惟衛仏の時、父子三人があり、父は仏道を行じ、兄は香を焚(た)いて仏を供養していたが、弟はこれを邪魔して衣で香を覆った。兄が弟を告(とが)めると、弟は悪意を起こし、「兄の両足を切断する」と誓い、兄はまた怒って、「弟を圧殺したい」と言った。父は兄弟の争う姿を見て頭痛を患った。そこで兄は我が身を破って父のために「薬となって父を癒やしてやろう」と誓った。
このように、弟は兄を憎んで足を切断しようと思い、兄もまた弟を圧殺するために樹神になりたいと誓った。そして兄は樹神となって弟を圧殺したのである。
頭痛の国王は父である。父は斎(とき)を奉じて仏道に精進したので尊貴を得たが、頭痛に悩まされた。罪福報応は影が本体から離れずについてくるものである。
これは『栴檀樹経』に説かれていて罪福の相を説いたものである。
(歴代法主全書八巻)
(高橋粛道)