信行のポイント
日蓮大聖人は
「今の所もくの如し。仏菩薩の住み給ふ功徳聚のみぎりのなり。多くの月日を送り、読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空にも余りぬべし。然るを毎年度々の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一世に消滅
すべきか。弥はげむべし、はげむべし」(御書 一五〇二)
と仰せられ、「此の所」への「度々の御参詣」を督励されています。
「此の所」とは大聖人の在す場所を意味しますので、人法一箇の大御本尊の御在所である総本山大石寺を指します。すなわち、総本山こそが「仏菩薩の住み給ふ功徳聚の砌(一切の功徳が集まる所)」なのです。
大聖人御在世当時、多くの信徒方が尚としても大聖人の在すところへ、との一心で、険路を厭わず、波涛を越えて、御本仏のもとへ参詣しました。
大聖人も、
「七月廿七日の中の時に阿仏房を見つけ国府てごぜんはいかに、こう入道殿はいかにと、まづといて」(同一二五四ページ)仏
等と、晩夏の夕暮れにはるばる参詣した阿仏房の姿にたいへん御喜びになられ、佐渡の信徒の様子を御尋ねになりました。
私たちが登山するのを同じようにお待ちくださっていることと、有り難く感ずるものです。
久しくご登山されていない方は、
「参詣遥かに中絶せり。急々に来臨を企つべし」(同一五六四ページ)
との仰せを、自身に対する叱咤激励と受け止め、速やかに登山の障碍を斥け、大御本尊への御目通りを申し上げましょう。
また、「おやま」への「ご登山」と恭し心く表現するように、当宗僧俗は古来より登山参詣を大切な仏道修行として行してきました。御開扉を受けさせていただけるのは、御法主上人の格別な御計らいによる「内拝(当宗僧俗限定の参拝)」として、「人法一箸」の大御本尊の直拝、即ち生身の御本仏日蓮大聖人に御目通りが叶うことを意味します。そして、「度々の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか」と仰せられる通り、あらゆる過去世の罪障を消滅できる機会でもあります。
御法主日如上人猊下が、
「須弥山に近づく鳥は金色となるなり」(御書 一〇五四ページ)
とおっしゃっておられるとおり、御戒壇様にお目通り申し上げることによって、そこから命が必ず変わっていくわけです」(大白法七八六号)
と仰せのように、以後の信心の成長と継続に繋がります。自身が登山に励むと共に、講中互いに誘い合い、特に新たに入信・入講された方を早期にお連れするよう努めましょう。
コロナ禍発生以来、登山にも多大な支障が生じ、自由に参詣できていたことがいかに有り難かったかを痛感した方もおられると思います。晴れてご登山が叶ったなら、その歓びと大功徳をもって、謗法の害毒にまみれた世を救う歩みを倦まず弛まず着実に進め、仏祖三宝尊の御鴻恩に御報恩申し上げましょう。
なお、『化儀抄』に、
「末寺の坊主の状無からん者、在家・出家共に本寺に於て許容無きなり」 (日蓮正宗聖典 三二五)
とある通り、個人で登山する場合は、あらかじめ所属寺院の御住職に添書を発行していただき、総本山(登山事務所) に提出する必要があります。
(大白法令和4年8月1日号より転載)(次回は十月一日号に掲載予定)