折伏の心がまえ
ある本には、日本人はお盆やお彼岸などに参加するが、一方では 「無宗教です」と答えて、あまり宗教と近づきすぎることなく、適当な距離を置くのが日本人流の安心感である、と書かれていました。
このように仏法に関心のない人ばかりですから、いくら「仏様がね」と話を切りだしても、話を聞いてくれる人はいません。
では、何を信じるのかといえば、それは、話す人次第です。
話をする私たちの人格が相手を説得するのであり、「なんとしても折伏を成就するんだ」という覚悟が相手の心をこちらへ引き込むのです。
もとより信心の信という字は、人の言葉と書きます。必ず人の言葉によって信心を発すのですから、私たち自身が相手に対して 「この人の言う事なら間違いない」と思わせるようでなければならないと思います。
そこで折伏に望む姿勢として、自分自身が心掛けるべき五つのポイントと、相手に対して配慮すべき五つのポイントに分けて、ご説明したいと思います。
自分自身の持つべき5つの心構え
1「折伏させていただきたい」という一念こそ大切
「折伏をしなくてはいけない」時には自分を追い込むことも大切かもしれないが、やはり本当の折伏とは「折伏させていただきたい」という気持ちが自然と起こってくる。すなわち折伏は歓喜でするものです。
義務感で折伏をしていたら、なんの説得力もありません。「この信心は素晴らしい。この喜びを他の人にも与えたい」という歓喜で折伏すべきです。
他人から押しつけられた「すべき」ことではなく、自分が「したい」と思って行動することが大切です。
「南無妙法蓮華経と唱ふるより外の遊楽なきなり」(御書九九一)という大聖人様の御指南をかみしめて、お題目を唱えることこそ最高の楽しみであり、喜びであるということを心から感じて、実践しましょう。
2 失敗こそ成功のカギ
折伏をするときには失敗を恐れてはいけません。真実の宗教を知らない相手の方が信じなくて当然のことを話すのですから、むしろ信じてもらえないことの方が多いのです。また、折伏を成就した人は、皆苦い経験もたくさんしています。
アメリカの大リーグで神様と謳われたベーブルースはホームランの記録を残しましたが、その一方で三振の大記録も作りました。なぜならベーブルースは振らなければ球は当たらないと知っていたからです。最初から振らないのでは、球は飛びません。
ですから失敗を恐れる必要などありません。どんどん折伏をして、そして失敗を重ねることによって次に成功する確率を高めるのです。いわば折伏の成功は失敗から学んだ結果から生まれるのです。
常に失敗こそ成功のカギと心掛けていきましょう。
3 すぐやる・できるまでやる・必ずやる
以前新聞に、ある子供が作った川柳が掲載されていました。それは「絶対にない お父さんの言う またあとで」というものでした。
「また今度」などという悠長な気分でいたら、折伏は成就しません。
特に会う約束を取り付けるときなどは「今から、どうですか」と言うことが大切です。とにかく思いついたら即実行する。それで駄目なら、すぐに次の手を打つ。そして絶対にあきらめないこと。
「また今度」などと言っていると、相手も大した用事ではないと思ってしまいますし、寸善尺魔というように、油断していればたちまち魔が付け入ります。
ですから「後で」と先送りするのを今日からやめて、折伏だけは「次はない」と心掛けて、常に「すぐやる・できるまでやる・必ずやる」という心構えを持つようにしましょう。
4 誠実をモットーに
折伏において一番大切なのはなんと言っても信用です。いくら法が正しくても、話す人に信用がなければ、相手は信心の話など聞いてはくれません。常日頃、誰に対しても誠実な態度でいようと、心掛けるということが大切です。
先々月の御講で○○寺の信徒の方が、お付き合いしている方を入信させたいということを願い出てきました。前々から事情も解っており、すでに成人していることもあって、家族へ了解を取るように勧めることをうっかり忘れていました。
ところが御授戒の当日、その方が「相手のご両親に了解を戴いてきました」といわれ、しまったと思いつつも「よくご了解いただけましたね」と尋ねると、ごく普通に、我が家は日蓮正宗ですので、御授戒を受けなければならないことを話したら、相手のご両親が即答で、ただ一言「あなたの言うことなら間違いがない。こちらこそ、宜しくお願いします」と言ってくれたとのことでした。
普段の誠実さが何より説得力があります。いつ、身の回りの誰に、入信の縁があるかわかりません。その時になって、突然誠実にしても遅いのです。ですから、地域においても職場にあっても、常に誠実をモットーに心掛けていきましょう。
5 唱題と折伏は一対
唱題をして祈るばかりでは相手を救えません。また折伏しても唱題をしていないのでは、相手に正しく伝わりません。当たり前に唱題し、当たり前に折伏するというのが理想です。
また、毎日唱題する時間を作ることに追われているようでは、折伏は成就しません。唱題をして尚時間にも心にもゆとりがあるという境界だからこそ、相手の心を引きつけることができるのです。
今、皆さんは日々の唱題行に取り組んでいらっしゃると思いますが、もし唱題のための唱題になっているとしたら、これからは唱題と折伏は一対である、どちらが欠けてもいけないのだ、と心掛けるようにしましょう。
以上、自分自身が心掛けるべき五つのポイントです。
相手に対して配慮すべき五つのポイント
1 語るにときあり、聞くにときあり
話をするときは、必ずこちらから先にキチンと挨拶をするように心掛けましょう。
例えば役場に行って、向こうから「こんにちは、どのようなご用件ですか」と言っていただけると、それだけで話がしやすくなります。まず、こちらから挨拶をした上で、その次に話をする段階になったら、今度は自分ばかりが語り尽くさないように心掛け、もちろん大切なことを伝えるのを忘れないようにしましょう。
「この御本尊様こそ素晴らしい」「南無妙法蓮華経と唱えれば必ず幸せになれる」といった言葉を、あえて口にするように心掛け、大事なことを相手に伝えたあとは、話をするよりも、相手の話を聞くことに力を入れましょう。
時には「あなたはどう思いますか」等と、こちらから質問を投げかけることも、相手の本心を聞き出しやすくします。相手の本音や、悩みを聞き出すことができれば、具体的な手段を取ることもできます。最初から「信心をするしかない」では「なぜ信心しかないの」という疑問しか浮かび上がってきません。
まず相手の話をよく聞いて、事情なり見解なりを理解してこそ、相手は気持ちが満たされ、心に余裕ができるのです。また、しっかり開いてもらえることで信頼感を抱きます。そうしたところで、こちらの話をすれば、相手もまた丁寧に話を聞き入れてくれるわけです。
ですから折伏をするときには、まずこちらからキチンと挨拶をして声をかけ、その上で相手が話しやすい状況を作るように心掛けましょう。
2 なんでもかんでも否定しない
折伏をするとき、相手の謗法を破折することは実に大切なことですが、なんでもかんでも否定すればよいというものではありません。
例えば折伏しようと思っている相手に、「我が家には毎月念仏の住職が来て家族皆でお経を読んでいる」と聞かされたとします。その時に、ただ否定するのは簡単なことです。しかし、それだけでは相手は先祖を大事にする気持ちさえ間違っていると否定されたような気分になってしまいます。
そこで必要なのは、相手の何が間違っていて、何が正しいのかを見極めることです。
そういったときの答え方としては、「今時、先祖を供養のためにお経を唱えることは本当に殊勝なことです。日蓮正宗でも親の恩を報じることは、仏道修行の肝心であると説いています。しかし、本当に先祖供養をしたいというなら、正しい最高のお経を読むことが、真に先祖を救うことになるのですよ。せっかくあなたが尊い心を持っていても、念仏のお経には何の力もありません。かえって先祖を不幸にしてしまいますよ」というように話すことがよいのではないかと思います。
否定されてばかりでは、相手は窮屈になってしまいます。正しさに寄りかかって乱暴な言い方にならないように、そして相手を尊重した肯定的な言い方をすることが大切です。
相手の正しい部分を正しいと認めた上で、間違っていることを指摘するように心掛けるべきだと思います。
3 論や理詰めで相手を追い込まない(邪宗の破折は徹底して行ってよい)
いくら話をしても相手が信心をする決意に至らないとき、その原因が何なのかを見極めて的確に対処することが大切です。
ポイントをつかまずに、あれもこれもいいことだからと話し尽くして全部いっぺんに詰め込もうとすると、「過ぎたるは及ばざるがごとし」 のことわざどうり、かえって負担を感じて、煩わしく思うことさえあります。そうなってしまうと、心が離れてしまって、次に話すときには、「その話はしないでください」と完全にシャットアウトされてしまいます。気持ちは焦っても、正論や理屈だけで相手をおいこむようではいけません。
○○寺で副講頭をしていただいているAさんという方がおりますが、その方はとにかく真っ直ぐな人で、家族や知人で折伏したいと思っている人に会うと、常に最初から最後まで信心の話だけをし続けていました。しかし、成果があがりません。
そんな折、昨年の暮れの支部登山の際、東京のある支部でこれまで何十人も折伏してきた七〇歳の女性の方とお話しする機会があって、Aさんはその方に「折伏のコツはなんですか」と聞くと、「とにかくいろんな人と付き合い、全ての人に信心の話はするけども、付き合いは九十八%、残り二%ここだというポイントを見極めて信心の話をして、一挙にお寺に連れて行く」と聞かされました。
これまで付き合いは二の次と思っていたAさんは「気持ちが楽になった」と言われて、年が明けてすぐに折伏を成就しました。その時に相手が入信する決意に至ったのは、教義の内容ではなく、Aさんの二言でした。
それは「あなたを幸せにしたいと真剣にお題目を唱えていたら、人の幸せを願っている自分は何と幸せなのだと涙があふれてきた。こんな気持ちにさせてくれたあなたを幸せにしなければバチがあたってしまう。とにかく大丈夫、幸せになれなかったら全部自分が責任をとるから」といぅ言葉でした。正論や理屈を述べるよりも、相手を救いたいという心のありのままを述べる方がよっぽど相手の心を動かす筈です。
4 寺院に参詣させる
折伏をするときには寺院でするのが望ましいと思います。自分の家では、電話が鳴れば話が途切れたり、喫茶店では周りの動きが気になったりもします。やはり一番気を散らさずに話を聞いてもらうことができるのは寺院です。
また 「百聞は一見に如かず」ということわざもあるとおり、相手に寺院を見てもらうだけでも、随分と心の壁が剥がれます。例えば賽銭箱がないということだけでも、一般の方は随分と驚かれます。もっとも寺院に参詣するという約束をとれれば、それだけで聞く体制にはなっている筈です。ですから唱題をするときに「まず寺院に参詣させよう」と具体的に祈ることもよいのではないかと思います。
また、最近は総本山を紹介しているビデオがありますから、ビデオを見せることも効果的です。
話すばかりでは相手が不安になることがありますから、自分の目で確認させてあげることが大切です。
ビデオを見せた親戚から、「創価学会と勘違いしていた。学会とは全然違う素晴らしい宗教だね」と言われたという方もいました。そのような誤解もすぐに解けますので、ビデオもどんどん活用しましょう。
5 思いやりの心
人は「たったこれくらいのこと」に感謝をし、話を聞いてみよう、あるいは心を開こうという気持ちになるものです。ほんの些細なことでも大事に、何より相手を思いやることが大切です。
かりに目の前に目の不自由な人が来たとき、こういうときどうしていいかオロオロしてしまうようではいけません。よく道の真ん中で目の不自由な方が杖をトントンとついていることがありますが、あれは「どっちへ行けばいいのか分かりません。教えて下さい」という合図なのです。
そんなとき「ああ、右へ曲がりなさい」とか「左でどうぞ」などと口で説明しても駄目です。
実際に外で目をつぶってみれば分かりますが、音がどっちから来るのかさえ分かりません。そこに声だけで右・左と指図されても、かえって迷ってしまいます。
こんな時には必ず手を振るか、あるいは自分の肩に手を乗せてあげて、体を正しい位置にしてから教えてあげなくては、せっかくの親切も何の役にも立たないのです。
やはり折伏する相手のことを常日頃心に置いて、「なんとしても幸せにしてあげてください」と真剣に唱題を重ねてこそ、相手を心から思いやり、あらゆる状況に対して正しく適切な対処をすることができるのです。
以上が相手に対して配慮すべき五つのポイントです。
これらの事柄は目的地に向かうためのいくつかの方法、手段にしかすぎません。大切なのは「なんとしても折伏をやり遂げるのだ」という覚悟だと思います。
御法主日顕上人猊下は折伏について、
「(折伏には)一つのポイントがあるのです。すなわち、身命を捨てて法のために生きようという信心と決意であります。この中心がはっきりあると、そこからずれていくことがないと思うのですが、このポイントがずれておると、一生懸命やっているつもりでもなかなかうまくいかないし、また、そのうまくいかない原因も判らないのであります。こういうことからも唱題が大事なのです。」
(全国教師講習会開講式の砌 平成八年八月二十九日 大日蓮六〇八号 六五頁)
と御指南あそばされています。
皆さん共々に、命を捨てて法のために生きていこうという信心と決意を持って、なんとしても折伏を成就し、平成27年、33年に向かって大前進してまいりましょう。